飛べない鳥
「フェラチオしてあげるから1000円ちょうだい」
暗闇から声が聞こえた。
新宿2丁目にある小さな雑居ビルの小さな店の小さなカウンターで俺はジンジャエールを飲んでいた。
小便と汚物の混ざり合った香りに覆われた電信柱の横を曲がると小さな階段がある。人一人がすれ違うのにも苦労するほどの狭い階段を上がると古臭くて重いドアがあり、そのドアを開けたところにその店はあった。
「ねぇ、お兄さん」
聞こえないふりをしてジンジャエールを飲み続けていた俺に暗闇の声は語りかける。偽物の蝋燭の光が店内を照らす。
「フェラチオ」+「1000円」=「安い」という公式が一瞬だけ頭をよぎる。しかし、その公式はすぐに「フェラチオ」+「1000円」=「怪しい」という公式に変化して左脳のあたりにとどまった。危ない。何かあるはずだ。面倒くさい事になりそうだ。こういう時は無視するに限る。触らぬ神に祟りなしである。
「で、どこで?」そう言って、振り向くと、そこに立っていた女は、明らかに若かった。女というよりも少女だ。どう見ても中学生にしか見えない。これは間違いなく怪しい。
「で、どこでするの?」と、なぜか同じことをもう一度聞く俺。
「外に出て階段降りたところの電柱のところ」と少女はボソボソと言い放つ。
電柱って階段降りたところの?
少女は頷いた。
俺は「トレイン・スポッティング」に出てくるトイレを瞬間的に思い出した。それくらいその電柱は汚い。
「君いくつ?」
「・・・・・」少女は答えない。
「君、中学生でしょ、べつにそんなことしなくも、1000円くらいならあげるよ」俺はいきなり大人になって、そう言った。
中学生はなぜかソワソワと後ろを振り向いたりしながら「終電がなくなっちゃって、朝まで時間つぶしにここにいたいんだけど、ドリンク代がもうなくて」と早口で言った。
で、フェラチオして1000円稼ぐの? うん、介護の免許持ってないし、と意味不明なことを言い出す彼女。
完全に大人になりきった俺は「まあ、とりあえず2000円あげるから、始発を待ったら? 今、俺そういう気分じゃないし、何もしなくていいからあげるよ。2000円。別に返さなくてもいいから」と俺は言って1000円札を財布から探す。少女は何も言わないが受け取る様子をにじませていた。君、誕生日いつ? これ、誕生日プレゼントにあげるよ。今日会った記念に。といって1000円札2枚を財布から出した。少女はゆっくりと手を伸ばす。少女は俺を見上げた。
「横田めぐみさん」
と、いきなり彼女の声が聞こえた。
えっ?
横田めぐみさんと同じ日。
一瞬何の話か分からなかった。
あっ、誕生日の話ね、で、それはいつなの? 10月5日。へー、そうなんだ。うん、多分。えっ、多分なの? うん、多分。
そう言って、少女は2000円を受け取った。
▶︎つづく?
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