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「理想の具現化」

ホームレス小谷が明日からNYに行くそうだ。

コタは誰かに奢ってもらって日々を優雅に生きているんだけど、そこに幸福の擬人化というか、理想の具体化を見ている。

「いい会社に入っていい生活がしたい」という昭和40年代くらいの考え方はいまだに根深い。バブル崩壊や、山一、リーマンなどのショックがあろうとも喉元を過ぎれば熱さを忘れ、やはり誰も彼も真っ黒なリクルートスーツで就職に臨む。

「メキシコの漁師」というよく知られた話があるけど、最終的な幸福の形態を先取りしているのがコタだ。

毎日美味しいモノを見知らぬ誰かに奢ってもらい、泊めてもらい、毎月外国に遊びに行く。いい会社に入ってマジメに働いている人に同じことができるかというとそうはいかない。

なぜなら「自分の時間を会社に売っている」からだ。

時間を売らないと遊ぶための収入が得られない。この矛盾を、立派に働いている誰かにお金を払ってもらう方法で軽々と解決しているのがコタなのだ。

「一ヶ月NYに遊びに行く」というのは一般的な考えからすると大冒険の部類なのかもしれないけど、コタは「なんとかなるでしょ。今までもなってきたし」とコンビニにでも行くように言う。

難しい解釈をすれば、それは誰かの自由の象徴であり、誰もがしてみたい生き方だったりする。長屋の皆が少しずつ助け合って与太郎を食わせているような落語感覚。

その与太郎の存在を、今の社会では「努力しない落伍者」と自己責任論で切り捨てるんだけど、その生き方に嫉妬しながらも羨ましく思っている人は多い。

そんな暮らしで老後はどうするんですか、病気になったら困りますよね。そう心配している本人が、私は大丈夫ですと自信を持って言えるだろうか。日本はそんな福祉社会じゃない。働けなくなったときのリスクは全員が均等に抱えている。

会社をクビになったら何が残るか。専門的な能力があればただ働く場所をかえればいいが、今までの社内での役職を取り除かれたらゼロにリセットされる人は多いはず。

社会のしがらみから純粋に自由である人の方が、上司に媚びへつらってリストラをまぬがれようとしている人より楽しそうに見えるのは当たり前だ。我々観客はそれが見たい。

立派な仕事をして社会の役に立ちながら、自分の生活も豊かになりたいです。小学生の作文なら点数がもらえるだろう。でもそんな社会主義的な理想世界はどこにもない。

一部の富裕層が大部分の富を独占する世界的な構図の中で、ひとりの会社員が経営者と同じ豊かな生活を享受するのは不可能なのだ。

言うなればコタはホームレス界のトップで、ホームレスというピラミッドの頂点にいる富裕層なのかもしれないと考えると合点がいく。

決して豊かになれない俺たちの小銭がコタに一極集中している。「自由の象徴が自由の女神に会いに行くのだ」と思うと、ちょっと面白い。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。