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Anizine

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。
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2020年9月の記事一覧

身体と時間:Anizine

大事なことは「身体と時間」であると、昨日友人と話した。 体験と、それに割く時間。二次的だけどそこに使うお金の問題もある。口だけでそう言っていても始まらないので、Anizineでは定期購読料の中から「旅に行きたい人」に旅行資金を援助してきた。これは元々が購読メンバーが出してくれたお金なので、俺のモノではなく、ただ使い道を決めているだけなんだけど。 若い頃には時間がたっぷりあるのにお金がないから旅に行けない。お金が自由になる頃には仕事が忙しくて行けない。よく聞く話だ。だから若

小説を書く:Anizine(無料記事)

結論から言うと、小説を書き始めています。 解説でも説教でもなく、あの小さい方のヤツです。小説。 『ロバート・ツルッパゲとの対話』の中に「本を出したい」と頑張っている人はたくさんいると思うけど、出した人しか出ていない、という意味のことを書きました。ちゃんと読んでいないので細部はうろ覚えですけど。 ソーシャルメディアでよくわかったのは「人は願望を多く語る」ということです。ああなりたい、こうしたい、そればかり言う。言ってしまうと、もうやり終えた気になるんです。 映画が公開さ

駅からムーンウォークで8分:Anizine

近所の不動産会社の張り紙に目がとまる。 「駅から徒歩3分 ムーンウォークで8分 築2年 3LDK」と書かれていた。 なるほど、築2年の3LDKでその値段ならなかなかいいな、と思って通り過ぎてから「おい」と小声で言う。ムーンウォークで8分という表示は必要なのか。そして、徒歩3分かかる場所は、ムーンウォークなら8分で着くという計算に正確な根拠はあるのか。 不動産業界で使われる「徒歩1分=距離にして80m」という基準は、ハイヒールを履いた女性が歩く平均的な速度から算出されたと

善意でメッキされた言葉:Anizine

自殺の問題は確実に哲学や宗教の領域だから、軽率には話せない。 まず一番に除外すべきなのは「ポエティックな言葉」や「典型的な言葉」で、これらが流通することによって、窓は曇り、前が見えなくなる。もしかすると辛い現実を認識したくないための磨りガラスが、それらの言葉の役割なのかもしれない。 現実をバイパスするには「取るに足らないどうでもいいことだ」とか「そこには問題など存在しない、なぜなら私には見えていないから」という詭弁を使う方法がある。 ソーシャルメディアというビッグデータ

センスの悪いワンピース:Anizine

夜中の2時頃に電話かかかってきた。知らない番号だ。相手は名前を名乗らず、いきなりこんなことを言った。 「なんで、あんなことをブログに書いたんですか」 誰なのか、何のことか、さっぱりわからなかったが、怒らせると面倒なので冷静に話を聞くことにした。その女性は僕がブログに書いた内容のことで怒っているのだという。人違いではないかとたずねてみたが、書かれている内容は僕のブログに間違いなかった。 いつも配達に来る30代前半くらいの宅配便の女性がいた。実はその女性配達員の「距離の取り

ありがとう:Anizine

高校生のとき、仲のいい友人から言われたことがある。 「あのさ、お前は何かしてもらうとサンキューって言うよね」 まったく気にしていなかったが、たぶんそう言っていたんだろう。最初は彼がどういう意味で言っているのかわからなかったんだけど、どうやらそれではきちんと感謝が伝わらない、ということらしかった。 「ありがとう、って言った方がいいよ」 まるで幼稚園の先生のようなことを言われて、俺はとても恥ずかしくなった。もちろんそれまでも目上の人に向かって言ったことはない。友だち同士だ

ダサいと、田舎臭い:Anizine

先日、茂木健一郎さんのツイートに対して、「茂木さんは英国のカントリー文化の価値を現地で学んでいるはずなのに、すぐにダサいとか田舎臭いとか表面的なことを言っていて遺憾である」という長文のリプライがついていたのを読んだ。 すべてのことを「ダサいかダサくないか」で判断する俺としては、他人事ではないと感じていろいろ考えてみた。 『ロバート・ツルッパゲとの対話』にもそう書いたけど、俺は生きていく上で「ダサい」と言われないようにしたいと思っている。その言葉の定義から始める。 「あの

マイナーなメジャー:Anizine(無料記事)

「自分が何かを判断するときの物差しは、特殊で歪んだモノではないか」といつも考える。 先日、原宿で観光客風の若者が電話をしていた。友人と待ち合わせをしているようだ。今いる場所を説明していたのだが、このあたりを知っている人同士なら「原宿駅竹下口」で簡単に伝わる。彼は周囲にある店の名前などで説明しているが、すぐそばにいるはずの相手に伝わらない。互いに知らないんだから仕方がない。 次に彼が言ったのは「スニーカー屋がある。有名じゃないところだからわからないかもしれないけど」だった。

ホームランバッター:Anizine

noteでもそう表現しているけど、皆が誰でも「クリエイター」である、という考え方そのものはとても素晴らしいと思っている。 なぜわざわざクリエイターにカギ括弧をつけるのかと言えば、精密な言葉の定義を共有しないと話が進まないからだ。クリエイターというのは造物主のことで、アクセサリーを作ったり、広告を作ったりする人のことではないと思っている。敬虔なクリスチャンであれば、神の名前を無闇に呼ばないという理由で「Oh my God.」とは言わない。 便宜的に「クリエイションをする創造