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マイナーなメジャー:Anizine(無料記事)

「自分が何かを判断するときの物差しは、特殊で歪んだモノではないか」といつも考える。

先日、原宿で観光客風の若者が電話をしていた。友人と待ち合わせをしているようだ。今いる場所を説明していたのだが、このあたりを知っている人同士なら「原宿駅竹下口」で簡単に伝わる。彼は周囲にある店の名前などで説明しているが、すぐそばにいるはずの相手に伝わらない。互いに知らないんだから仕方がない。

次に彼が言ったのは「スニーカー屋がある。有名じゃないところだからわからないかもしれないけど」だった。

これはちょっと話が違う。自分が知らないから有名ではない、と関連づけてしまった。知識とは絶対に100にはならない。いくら物知りな人でも、昨日発明されたモノを知るはずはないし、たとえ宇宙物理学の権威であろうと、宇宙についてはわかっていることの方が少ない。

だからそこで使う「自分の物差し」で相手のことを測るときは、測定結果だけではなく、測定器が壊れている可能性も考慮しておかなければいけない。

常に誰かを断罪している人は、自分の持っているメートル原器のようなモノを振りかざして「あなたは間違っている」と言うんだけど、一度でも自分の物差しが歪んでいるのでは、と思ったことがあればそんなことはできない。

彼が「SKECHERS」というよく知られた店を知らないことに罪はない。知らないことは知らないんだから。でもその物差しで「有名な店じゃない」という結論を出すのは間違っている。

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3mのメジャーでマラソンの距離は測れないし、竹の物差しをあててもウィルスの大きさはわからない。

「大きく、精密に。」

自分が読む本や、観る映画や、聴く音楽といった体験は、自分の物差しの精度を上げていき、測れるモノの種類を増やしていく。そしてそれは自分にとっての精度であればよくて、他人と同じ目盛りが刻まれていなくてもいいんだけど、目盛りが雑だったり、マイナーなメジャーは使い物にならない。

測れないと理解ができないから、誰かが提示した(ある程度多くの人が評価しうる)モノを判断できない。そういうときに身を守るために返ってくる言葉はただひとつ。

「意味不明なんですけど」だ。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。