ホームランバッター:Anizine
noteでもそう表現しているけど、皆が誰でも「クリエイター」である、という考え方そのものはとても素晴らしいと思っている。
なぜわざわざクリエイターにカギ括弧をつけるのかと言えば、精密な言葉の定義を共有しないと話が進まないからだ。クリエイターというのは造物主のことで、アクセサリーを作ったり、広告を作ったりする人のことではないと思っている。敬虔なクリスチャンであれば、神の名前を無闇に呼ばないという理由で「Oh my God.」とは言わない。
便宜的に「クリエイションをする創造的な人」のことをそう呼んでいるんだろうけど、自分のことをクリエイターであると名乗る人の言語的な鈍感さには同意しかねる。俺が紹介されるときに「クリエイターのワタナベアニさんです」と言われても、まあ仕方ないかと諦めているし面倒だからいちいち訂正はしない。
なぜならそうやって人を紹介する人は部外者だから、時間の無駄なのだ。
部外者とそうでない人の断絶は、マジックミラーのように片側からしか見えない。アナウンサーに「ホームランバッターの筒香嘉智選手です」と紹介されることはあっても、本人が「ただいまご紹介にあずかりました、ホームランバッターの筒香です」と言うことは決してない。
だから、誰でもクリエイターですという言い方は、どんな人にも個性的な何かを生み出せますよという意味では正しく、キリスト教徒的な正確さからすると間違っている。造物主はこの世にたったひとりしかいないのだ。
こう言うと、ただの言葉なんだからどうでもいいだろうと必ず言われるんだけど、自分の職種をテキトーに扱われたらどう思うだろうか。
「タクシーの運転手さんですよね」「いえ。私はバスの運転手です」
「そんな細かいことはどうでもいいじゃないですか。運転手なんだし」
で納得行きますかね。
もっと言うと、クリエイターというのは概念であって職種ですらない。役者、タレント、歌手などを大ザッパにまとめて「芸能人」と言うのによく似ているし、「有名人」なんていう極めて雑な表現すらある。
問題はこの「部外者の雑な領域」に住民票を置いたまま、私はクリエイターです、と言ってしまう人なのだ。まったく広告業界のことを知らなくても、電通が、博報堂が、などと言いたがる人がいる。では三番目の規模の広告代理店はどこですか、と聞いてみると知らない。これがどれだけ乱暴な聞きかじりかはわかるだろう。王と長嶋しか知らずに巨人のV9を語るようなものだ。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。