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ダサいと、田舎臭い:Anizine

先日、茂木健一郎さんのツイートに対して、「茂木さんは英国のカントリー文化の価値を現地で学んでいるはずなのに、すぐにダサいとか田舎臭いとか表面的なことを言っていて遺憾である」という長文のリプライがついていたのを読んだ。

すべてのことを「ダサいかダサくないか」で判断する俺としては、他人事ではないと感じていろいろ考えてみた。

ロバート・ツルッパゲとの対話』にもそう書いたけど、俺は生きていく上で「ダサい」と言われないようにしたいと思っている。その言葉の定義から始める。

「あの人ってダサいよね」と言われて大喜びする人は皆無という大前提がある(ここに異論がある人はこれ以降、何も意味のあることは書いていないと思うので読む必要はないです)。

だから誰でも「ダサい」と言われないようにしようと心がける。ただそう単純にはいかないもので、結果としてダサくなってしまうことは大いにある。俺は日に三度ほどある。

そのダサさを反省して繰り返さないようにするか、無視して放置するかに違いは出てくる。ダサいの反対の概念は「お洒落」とか「洗練されている」だという誤解があるけど、そうではない。対義語は「ダサくない」である。ここを間違えないで欲しいんだけど、お洒落のようなプラスの概念は一朝一夕に身につくものではない。

だから「ダサいこと」を意識的に排除する。自分の中から「ダサ成分」を取り除いていって最終的に残ったモノが、ようやく「お洒落の戦い」の地方予選出場権を得ているだけで、ダサいが地下三階、ダサくないが一階、洒落ている、はさらにそのはるか上階にある。

俺がいつもソーシャルメディアにおいて飽きずにワーワー唾を飛ばしているのは、「自分は最低でもゼロポイントまでたどり着きたい、お洒落なんてチョモランマは見上げるだけで気が遠くなるけど、せめて三合目あたりの景色を見てみたい。酸素が薄くてつらいけど」と反省しつつ思っているからだ。

他人のことをとやかく言うのはそれこそダサいからどうでもいいんだけど、参考になる反面教師については、細かく観察している。

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外国の有名ブランドだからお洒落、テレビに出ている人が薦めていたからいいモノ、といった自分の尺度を持たない行動原理はダサいし「田舎臭い」と言える。田舎臭いとは、地域の問題ではなく行動原理のこと。自分が想像しているエスタブリッシュメントと現実との乖離、その距離が大きいほど田舎臭いと言える。

こんな話がある。アパレルブランドの営業担当が、仲良しの雑誌編集者に愚痴をこぼしていた。今シーズン売れると思っていた服がまったく売れず、大量の在庫に困っている、というのだ。

さて、茂木さんを批判したような人の目に触れると面倒なので、ここからは定期購読メンバーだけに向けて書く。

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。