すべての問題の根源【価値観の否定】を知ろう
こんばんは。
おそらく牡蠣に当たって倒れておりました。
皆さんもお気をつけください…!
というわけで、今回はこの世の全ての問題の根源が分かったので紹介します。
牡蠣ではないです。
ウイルス性のもの以外全てです。
価値観の否定
それは、価値観の否定です。
呼び方は、価値観でも信念でも考え方でもなんでいいです。
今回は価値観と呼びます。
兎にも角にも、人が大切にしている考え方を否定することが全ての争いや人間関係のトラブルにつながっています。
人には人それぞれ固有の価値観が存在しています。誰一人同じものはなく、一人だけの経験に沿って培われたものです。
そんな人生かけて積み重ねた価値観を否定されたら、怒りが生まれたり、自分の価値観を守るために攻撃をしたり何かしらの反応を見せます。特に人間関係においては、相手の価値観を(例え自覚がなくても)否定してしまった時に問題が起こります。
例をいくつか見ていきましょう。
ちなみに、問題が起こること自体の良し悪しについては、場合にもよると思っています。価値観の否定によって問題は起こりますが、必要な問題なら起こした方がいいこともあるので「価値観の否定をしないでください」という話ではないです。
いくつかの例え
1,ネットの争い
今日も今日とて、インターネットでは様々な価値観の押し付け合いがされています。
具体的な事例として、最近話題になったXでのやり取りを見てみましょう。
こちら様々な方向から様々な意見が飛び交う結果となりましたね。
価値観の否定という観点からこの件について考えていきます。
まずは、ゴワくんの発言ですが、こちらはもちろん価値観の否定をしていますね。
たか子さんの価値観「人間は息をしているだけで素晴らしい」というものに対する明確な否定です。
たか子さんのこの価値観が生まれた経緯は詳しく知る由がありませんが、おそらく何かに挑戦して、つらい経験もしてきて、その中で生きていることそのものに意味を見出したのでしょう。
そして、それを似たようにつらい経験をしているフォロワーの方にもそのことを伝えたくなったのでしょう。
それに対して、ゴワくんの目線からも考えてみましょう。
本人は知り合いとの雑談の場にて悪ノリで書いたものを誤送信してしまったとのことですが、そこには少なからず価値観にどこか触れるものがあったからこその行動だと思います。
こちらも真意は知る由はないですが、ゴワくんの気持ちも分からなくないので考察をしてみます。
というのも、「人間は息をしているだけで素晴らしい」という価値観の中には大きく2パターンの価値観の否定が含まれています。
・息をしているだけじゃなく、努力に励み、社会に貢献をしてきた人
・息をしているだけじゃ認められず、怒られ蔑まれ、息をする以外のことを必死に模索して金を生み出し、必死に足掻きながら生きている人
おそらく芸能界で売れて、生活ができるようになるのはちょっとやそっとの努力や才能では難しいのでしょう。そんな戦いの螺旋の最前線で血を流しているゴワくんにとって「息をしているだけで素晴らしい」といった価値観は、"生き方そのものへの否定"と捉えてしまっても仕方ないのかもしれません。
インターネット上の発言は、その多くが文字情報のみとなってしまうため、"発した言葉"を受け取る側が自由に捉えることができてしまいます。そのため、言葉選びを間違えたり、伝えたいターゲットと違う人に届いてしまったりと思わぬところで価値観の否定が発生しやすいです。
この前見たのは「暇だから悩むのだ。忙しくするべきだ。」という旨の発言をしている人がいて、この人に対して「俺らは考えもせず、悩みもせず働く機械じゃねぇ」という想いが湧いたのですが、この人の他の投稿を見てみるとおそらく伝えたいターゲットは"目の前のやるべきこともせず、文句ばかり言う人"に対してだったのだと気づきました。
そうなると、多く悩んできた自分の価値観の否定ではなく、"やらない理由を多く並べて悩んでいるふりをしている人の否定"なんだと気づきました。
2,性の問題
次に、人間の性別に関する問題についてです。
こちらも日々様々な意見が飛び交っており、こちらに関しては意見だけではなく社会のルールにも影響する大きな問題です。
この点については2種類の立場の人達に分けます。
①現状のやり方では、今まで通り不自由を強要されながら生きなくてはならない人達
②今までのやり方で不自由がない人達
性差別に苦しむ人や性自認に困惑している人がいる中で、今までのやり方で何不自由なく生活ができる人達もいます。
どちらの目線にも立って考えると、こちらも価値観の否定が大きく関わっていることが分かります。
というのも①自分の性と社会の認識の差異によって何かしらの問題が発生している人達にとっては、社会そのものの仕組みがその人の価値観を否定している状況にあります。
自分の能力やスキル・経験は度外視され、性別によって受け取れる仕事が変わったり、生物学上の性別のみが重視されて、世のカップルが受けられる制度を受けられなかったり。
それは社会から「あなた達には普通ではないので他の人に提供しているものでもあなた達には提供しません。」と言われているようなもので、その人の価値観の否定であり、存在の否定そのものです。
では、②の今までのやり方で不自由がなかった人達の立場で考えてみましょう。
今まで、多少の変化はあったものの同じようなルールの中でやってきて、それでも怠けていたわけではなく努力をしてライバル達と切磋琢磨してきた。
その中で、新たにルールを作り変えなくてはいけない風潮がやってきて、対応できていないと時代遅れだと言われる。
それはその人たちにとっては"自分の経験によって培ってきたものの否定"になっているのだと思います。「あなた達の今までのやり方は間違っていたので、変えないとダメですよ」と言われているようなものです。
または、自分が今まで不自由していなかったために、マジで分からないという可能性もあります。何故、それによって苦しんでいる人がいるのか本当に理解できないというものです。
話では聞いているし、そういうものだと納得しようとしても真の理解には繋がらない。
そのような人にとっては、社会の風潮が"理解できない自分"を否定しにきている感覚なんだと思います。
価値観の否定というのは言葉で行われるものだけではありません。
このように、社会そのものによって否定される場合もありますし、今まで否定されてきた人の勇気ある行動によって過去が否定されることもあるということです。
ここで言いたいのは、どっちがどうという話ではなく、常に価値観の否定が行われていて、"問題を提起した側"と"改善を迫られた側"がいるだけということです。
その中で、自分の思いとしては、自分の価値観を守るために立ち上がった人は応援したいと思いますが、風潮を利用して改善を迫られた側を執拗に攻撃したり、"理解するのに時間がかかっている人"への攻撃は応援したくないです。
②の人達が①の人達のことを理解しようとすることも大事ですが、①の人も②の人達の努力を分かってあげてほしいです。
まだ声が上がっていないだけで、今後本当に今の常識じゃ理解できない人達が現れるかもしれません。
車と結婚したい人とか、人権を欲しがる宇宙人とか、殺人にしか幸せを見出せない人の社会復帰制度とか、分かりませんが人の数だけ価値観がある中で、今声が上がっているのはマイノリティの中でのマジョリティでしかないと思います。
マイノリティの中のマイノリティの人は今も尚苦しんでいるかもしれません。一人に一つ価値観があるので、ここでカテゴライズできるものでもありません。
それら全てを認めるべきという話ではなく、これからの社会を円滑に良い方向に変化させていくのには、どんな立場にいても、その立場にいない人からしたら"他人の価値観の否定"になっていることを理解する必要があるのだと思います。
3,陰謀論
陰謀論は価値観の否定を語るのにすごく良い題材だなと思います。
というのも、陰謀論の真偽はともかく、"信じる人"と"疑う人"が対立しているという構図が分かりやすいからです。
今回、楽しむ人は横に置いておきます。
また「陰謀論と揶揄されたくない」ということもあるかと思いますが、、、まぁそういう人はこの話と自分の信じている話を紐づけないか。一般的に言われている陰謀論を想像してください。
特に陰謀論は、心霊系より信じる想いが"ガチ"なことが多いし、単なるエンタメで消化されるものでもないです。
様々な陰謀論が囁かれていますが、囁いている人は本当にそう信じているのだと思います。そして、その信じる心は根源としてその人の正義感や危機感があるのだと思います。
実際の事件や出来事、数々の証拠から裏で糸を引いている人達がいて、そこに気づかなくては搾取されてしまうという危機感。そして、それを他人に伝えて多くの人にも危機感を持ってもらわなくてはいけないという正義感。
私もいくつか信じている陰謀論と呼ばれるものはあります。
しかし、それを"信じていない人"に押し付けようとする瞬間に、問題が起こります。多くの人に知ってもらう必要はあるので、どうしても周りの人やSNSでその考えを流布しようと画策します。
そうして「こんなに根拠があるのに信じない人はおかしい!」としてしまうのは、信じていない人からしたら性の問題と同じで"分からない・どうしても信じることができない"ことへの否定になります。
そして、疑っている人の中にいる「そんなこと信じているなんておかしい」という価値観の人と対決するという構図が出来上がるのです。
問題を起こしたい場合は良いですが、「本当に知ってもらいたい」のであれば価値観の否定は有効な手段ではないのかなと思います。
そして、信じている人達の面白い特徴として、信じている人同士はお互いに価値観を肯定し合える仲間と出会えるということです。
疑っている人達でのコミュニティは作られにくいですが、信じている人達の間ではコミュニティを形成し、お互いに肯定し合うことができます。
価値観の否定は問題を生みますが、価値観の肯定は味方を作るのに最適です。
4,教育
子どもでも部下でも、誰かを育てるということをする人がいるのであれば価値観の否定への理解は大事なピースだと思います。
というのも、効果的な教育とそうでない教育の明確な違いは、価値観の否定が入っているかどうかだと思っています。
他のことはあまり言い切ることはしないのですが、教育については自分は感情が出てしまいます。
本当に教育するときに価値観の否定を行う人が大嫌いです。
分からないことを教える→分かる
どう動けばいいか迷っている人にアドバイスをする→分かる
自らの意志で行動して失敗した人を叱る→ゴミ野郎
スキルや経験が足りなくても学んだことを糧に挑戦したことに対して、叱ったり怒ったり怒鳴ったり遠回しに「お前にはまだ早い」ということを言ったりする人は総じて無能なことが多いです。
どんなことがあろうと、誰かの失敗を叱るというのはその教育者に不都合なことがあるからです。
"教育"なんてことは忘れていて、自分に降りかかる不利益の腹いせをしているだけです。全てのケースにおいて"強い口調や態度"が出た時点で全てそうです。
それを教育だなんてほざかないでほしいです。
貴方がいつも権力に否定されながらサンドバックになっているから、そのストレスをぶつけているだけです。
今、しっかりと誰かの価値観を否定しています。
もし、この発言が問題の火種になるのなら、私は必要な問題だと認識して否定しています。
取り乱しましたが、そういうことです。
自らの意志で行動したことに対しての苦言はそのまま自分の考えや決断力の否定です。
教育の場において、上下関係が明確な場合、そのような価値観の否定が行われると、その否定が直接その人の自己肯定感に繋がるから絶対してはいけないことだと思います。
今までの否定は、単純に価値観の違う人同士のぶつかり合いが主でしたが、教育の場合、否定された側に深い傷となって残り、今後の人生に影響を及ぼしかねないと思います。
対等な立場・自分が下の立場において、価値観の否定は必要なことがありますが、相手が立場が下の場合に価値観の否定を行うと、相手の受け皿の大きさを間違って人格を否定し、自己肯定感を下げ、最悪死に至らしめます。
教育という体を取った価値観の否定は人殺しと同義です。
マジで気を付けてください。
5,恋愛
恋人に対しては気が緩みがちというあるあるがあるので、ピックアップしました。
付き合う前は価値観を肯定し合って気持ちよくなって付き合ったのに、気づいたら価値観の否定ばっかりになって険悪なムードになるのはどんなカップルも経験があるのではないでしょうか。
違う人間と長く一緒に居たらそんなものはしょうがないです。
一人ひとり価値観が違うんだから。
すごく似た価値観を持っていても、絶対違いがあって、その違いから目をそらし続けているとある日爆発することになります。
なので、恋人同士のような長く一緒にいる人とは何度かお互いの価値観について話し合う必要があります。
こういったパートナーとの関係性で難しいのは、どこまで許容できなくなったら離れるか決めるところです。
価値観の違いは絶対にある。
そして、譲れない想いもある。
そんな中でお互い納得できる解決策が見つからないことがある。
お互いの及第点を探し続けるのにも、LP(LOVE POINT)を使う。
LPが空になるまで探し続ける。
このLPを貯めるために価値観を肯定して、LPを補充しながら、死ぬまで見つからなくても死ぬまで探し続けることができたら幸せなんだと思う。
もし、このLPが空になるまでに見つけられなかったらもう離れても良い。
何年の月日が流れてても、二人を繋ぐものがあっても。
LPが無かったら全てに悪影響を及ぼす。
さっきの教育にも関係してくる。
LP貯めるか、離れるか。
決めることから逃げるのが一番良くない。
自分の心に手を当てて、LPを感じるんだ。
LPってなんだ。
最後に
どんな価値観の否定が起きているか言う。ということに関して無限にできる気がする。
お題もらってそれにすぐ答えるっていう価値観の否定版の謎かけ始めようかな。嘘
今回5つ例として挙げましたが、人間関係のどんな事象においても価値観の否定が存在しています。
そしてこれは、ちゃんと見極めて使ったり、見極めて使わなかったりしないと本当に取り返しのつかないことになるので気を付けてください。
この存在を伝えていきたいです。
世界には様々な価値観の否定が存在していて、良い効果をもたらしていることもありますが、多くの場合は悪い使われ方をして、悲しくて無意味な争いを生んでいると思っています。
これは、私にとっての信仰であり陰謀論です。