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2.やがて従者は騎士になった

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木の葉は鋭い刃と化し、やがて従者は騎士になった。

言葉の家族

前の記事では北欧神話の古ノルド語英語と共通の起源を持ち、そこから両者が分岐して誕生したことを話した。

しかも実をいえば話はこの2言語だけに留まらない。
ドイツ語オランダ語も含まれるし、古ノルド語の末裔に当たる北欧の言語(アイスランド語など)も当然該当する。

英語もドイツ語も北欧諸語などもかつては同じ言語――ゲルマン祖語(Proto-Germanic)だった、というのが言語学上の定説である。
言語の家族といえばわかりやすいだろうか。

ゲルマン祖語の子孫グループをゲルマン語派ゲルマン諸語(Germanic languages)という。

ヨーロッパでの現代ゲルマン諸語の分布地図 (PDM)

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この名は古代ローマ帝国の周辺に住み、ローマ人によってゲルマン人(ラテン語:Germānī「ゲルマーニー」)と総称された人々に由来する。
ちなみにフィンランド語は含まれない。

今回はこのグループを中心に言語史への道を案内したい。

(ゲルマン語派の同系性については下宮・金子2005, p.11; 高津2005, pp.46-49; 吉田和2005, p.84; 清水2010, p.4などを参照)。


ゲルマン諸語の系譜

ゲルマン諸語の簡易系統図は次のようになる(下宮・金子2005, p.11; 清水2010, p.4など)。

ゲルマン祖語
・(北語群)
 →古ノルド語
  ⇒アイスランド語、ノルウェー語、デンマーク語、スウェーデン語など
・(東語群)
 →ゴート語など
・(西語群)
 →古英語
  ⇒英語
 →古高地ドイツ語
  ⇒ドイツ語
 →古オランダ語
  ⇒オランダ語など

ゴート語は古代後期に活躍したゲルマン系部族の一派、ゴート人(ラテン語:Gothī「ゴティー」)の言語である。
後に死語になったため現代語の子孫は残っていないが、主な直接記録としては後4世紀の文献がある(高津2005, pp.46-49)。


見えないものを探して

ゲルマン祖語は直接の文献記録を持たない。
子孫と仮定された諸言語の系統比較や個々の歴史変化などから間接的に示唆される想定上の古代言語である。

年代は諸説あるが、一説には後200年頃まではひとつの言語として続いていたといわれている(下宮・金子2005, p.13)。
ゴート語、古ノルド語、古英語などが分かれたのはそれ以降と考えられる。

いくつか再建された語を挙げておこう(IEW, EtymOnlineを参照)。

*albiz「妖精」
*gardaz「中庭,囲い地」
*haimaz「家」
*midjaz「中央の」
*stainaz「石」

*は直接記録がない想定形を表す(*jはヤ行子音のような音)。今後の研究次第では当然修正される可能性もあるが、現段階での定説と考えてほしい。

なぜゲルマン祖語の実在が想定できるのだろうか?

それは言語の音変化には規則性や傾向が見られることが多く、情報を総合して時代を遡れば太古の姿を推定できるからに他ならない。
(詳細は高津1999, 松本2006, マルティネ2003などを参照)。


古英語と現代英語

後450-1100年頃の英語を古英語(Old English)という(堀田2013-06-29)。
日本語にも古文があるように英語にも古文というべきものがある。
そのひとつBēowulfベーオウルフ』は8-9世紀頃の英雄叙事詩で、英語の古い姿を今に伝えている。
一説には8世紀頃に口承として完成し(堀田2013-01-25)、少しずつ文章化されていったといわれる。

・ベーオウルフの写本 (PDM)

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そんな古英語と現代英語の同源語ペアを示す(松本2006, EtymOnlineを参照)。

古英語 > 現代英語
hāliġ > holy「聖なる」
hām > home「家」
stān > stone「石」
tāc(e)n > token「印」
gāt > goat「山羊」
rād > road「道」

古英語の発音はローマ字読みに近い(松本2006, p.6など)。hāmなら/hɑːm/(ハーム)だったと考えられている。
<c>の発音は/k/、<i>の隣の<ġ>はヤ行子音のような音になる。
母音の上の横線は長母音を表す。
長音記号やgのドットは写本にはないが現代の注釈ではよく付加される。

現代英語では子音はあまり変わっていないが母音や綴りはかなり変わっていて、上の<o, oa>は/oʊ/(オウ)と読まれる(アメリカ英語)。
<o, oa>の違いや無音の<e>の存在は綴字習慣の変化の話になるのでここでは気にしなくてよい。

なお言語学では< >で表記を、/ /で発音を表す(発音の詳細は別の記事で述べる)。またAからBに変わったことを「A>B」と書く。


音が示す歴史

ここでよく見ると、先の各ペアは発音が無秩序に変わっているのではなく、古英語の/ɑː/が規則的に/oʊ/になっていることがわかる。
(変わっていない箇所も重要だが明白なので特に触れない)。

これは極めて重要な意味を持つ。
なぜなら個別の言語内では同じ音は変化するとしても特別な条件がない限り規則的に変化することが想定されるからである(松本2006, pp.6-7)。

そのため膨大な数に及ぶ単語の構成音が変わったとしても、そのプロセスを

古英語/ɑː/ > 現代英語/oʊ/

のようにまとめて記述できる(同じ音が語頭と語中で別の変化を遂げるといった例もあるが、条件が明確なら例外ではない)。
(中英語期には中間段階として/ɔː/(オー)がある)。

言語学ではこの音変化の規則性という原理により、膨大な数に及ぶ単語の音変化史を簡潔に説明することに成功してきた(松本2006, pp.3-18)。
この(個々の言語内での)変化の斉一性は音韻法則とも呼ばれる。
規則的な理由は完全に解明されているわけではないが話者の認識などの話になる。いずれ解説しよう。

このように言語変化のプロセスを考察することには大きな意義がある。
ゲルマン諸語の系統説の一端もそれに支えられているのである。


系統比較

ゲルマン諸語の同源語の例を挙げて分析する(語源はEtymOnline; IEW; Orel, 2003; Zoëga, 2010を参照)。

英語 / ドイツ語 / アイスランド語
goat「山羊」 / Geiß / geit
holy「聖なる」 / heilig / heilagur
home「家」 / Heim / heimur₍₁₎
stone「石」 / Stein / steinn
token「印」 / Zeichen / teikn

古英語 / 古高地ドイツ語 / 古ノルド語 / ゴート語
gāt「山羊」 / geiz / geit / gaits
hāliġ「聖なる」 / heilag / heilagr / hailags
hām「家」 / heim / heimr₍₁₎ / haims
stān「石」 / stein / steinn / stains
tācen「印」 / zeihhan / teikn / taikns

(1)「世界」の意味に変化

他にも無数にあるが相互の共通性は著しい。
綴りと発音の詳細は略すが、ここで最初の母音には

古英語ā /ɑː/ > 現代英語o, oa //
古高地ドイツ語ei /ei/ > 現代ドイツ語ei /ai/
古ノルド語ei /ei/ > アイスランド語ei /ei/

のような時間的対応だけでなく、

古英語ā /aː/ (アー)
古高地ドイツ語ei /ei/ (エイ)
古ノルド語ei /ei/ (エイ)
ゴート語ai /ɛː/ (エー)

ゲルマン祖語:*ai ※再建形

といった系統的対応(並行的・空間的対応)があることがわかる。
(英語の/oʊ/などは各要素が一気に発音される二重母音というもの)。

これは何を意味するのだろうか?


時間と空間の対応

これらの違いはゲルマン祖語で同じ音だったものが別々に分化して生じたものとするのが妥当である。
(音変化が規則的というのは個々の言語内の話で、別々の言語で同じ変化が起こるとは限らない点に注意)。

音が各言語ごとに規則変化する以上、「語頭の/h/」のような無変化の箇所に限らず、「古英語ā /ɑː/ : 古ノルド語ei /ei/」のような規則的なズレ方を見せるペアも同語源の根拠にできる。

そしてこのように幅広い音韻対応が存在することは共通祖語を持つ有力な根拠となる(上の*aiは様々な情報から推定された元の形)。
音韻対応は個別言語の変化と別言語間の並行関係――時間空間両方の対応から言語の歩みを裏付けていることになる。

重要なのは似ていることそのものではなく広範な規則性の有無のほうになる。
語頭での「英語t /t/ : ドイツ語z /ts/」なども立派な音韻対応の例となる。

英語⇔ドイツ語
two「2」⇔ zwei /tsvai/(ツヴァイ)
ten「10」⇔ zehn /tseːn/(ツェーン)
tongue「舌」⇔ Zunge /tsuŋə/(ツンゲ)

このときに元の形をどう設定すべきかには考察が欠かせない。
それはいずれ言及しよう(この例では*tというのが通説)。

この横断的な系統比較と「祖語からの分化」という概念は個別言語の研究と相互に作用し、言語学をさらに大きく躍進させた。


木の葉は鋭い刃と化して

古語との比較や系統分析で明かされる事実を紹介しよう。
(語源はEtymOnline; IEW; Orel, 2003; Zoëga, 2010を参照)。

古英語blæd「葉,刃」 /blæd/(ブラド)
英語blade「刃」 /bleɪd/(ブレイド)
ドイツ語Blatt「葉」 /blat/(ブラト)
オランダ語blad「葉」 /blɑt/(ブラト)
古ノルド語blað「葉,刃」 /blað/(ブラズ)
ゲルマン祖語*bladą「葉,刃」

各言語での形からゲルマン祖語の形が推定できるだけでなく、blade「刃」とBlatt「葉」が同源ということも裏付けられる。
同系言語の系統比較が古語と現代語の比較と同等に重要なことがわかる。

どちらが元の意味だろうか?
煩瑣を避けて簡単に述べるが、「葉」と解釈できる。
この語はblossom「花」と同源だからだ(厳密には前半が同源, EtymOnline)。

このように音変化の研究は意味の分析に繋がることも多い。
(意味変化の分析には注意点も多いがここでは深くは立ち入らない。高津1999, pp.94-97などを参照)。


やがて従者は騎士になった

もうひとつ例を挙げよう。英語のknight「騎士」を「ナイト」と読むことが不思議だった人も多いのではないだろうか?
実はこのk-や-gh-は元々発音されていた。

古英語cniht「従者」 /kniht/(クニヒト)
英語knight「騎士」 /naɪt/(ナイト)
ドイツ語Knecht「従者」 /knɛçt/(クネヒト)
オランダ語knecht「従者」/knɛxt/(クネフト)
ゲルマン祖語*knehtaz「少年,従者」

knightの綴りは中英語(1100年頃~)あたりから現れる。綴りの歴史は略すが、hもghもドイツ語などのchも2文字で1子音である(shのようなイメージ)。

当初は「クニヒト」のような発音だったが、17世紀にはghが脱落し(Wells, 1982, p.190)、代わりにiが長くなって「クニート」、次いで母音が音割れして[əɪ]となり「クナイト」に至った(いずれ触れるがこの母音変化は重要、さらに後には[aɪ]に到達)。
kn-の/k/は17世紀末から18世紀にかけて消えた(堀田2009-08-27)。
古英語niht /niht/(ニヒト)「夜」も(k-はないが)ほぼ同じ変化を経て現代のnight /naɪt/(ナイト)に至っている(神山2011, pp.240-241)。
他にeight「8」、ice「氷」、knee「膝」などを見渡しても規則性が窺える。

文字しか残っていない古英語で<cn>が確かに/kn/だったことやknightが本当にcnihtの継承語だということもこの対応から補強される。
(古英語詩の頭韻法も根拠になるが省略)。
綴りがそのままなのは発音が変わる前に定着していたためである。

語義も従者から騎士に推移したことが英語内だけでなく同系言語からも裏付けられる(古高地ドイツ語や中期オランダ語でも「従者」)。
文献というものは性質や量に限りがあるものなので、こうした多角的な情報は確実性の向上に寄与する。

変化の流れも「従者」が「従者としての騎士」をも意味するようになり、やがて「騎士」自体が中心的な語義になったと考えれば自然である。
文献上で明確に騎士の意味で使われるようになったのは1100年頃くらいからのようだ(EtymOnline)。

なおドイツ語では「騎士」をRitterという。reiten「乗馬する」の派生語で英語のrider「騎手」と語源関係がある(riderも騎士を意味することがあった)。


変わりゆくもの

言葉は時代と共に変化する。
それは多くの人が意識していることだろう。

しかし語源説で特に顕著だが、言語学以前の分析は個別的で体系化が弱く、裏付けを欠く傾向が強かった。
言語学の誕生はそれが変わっていく契機だったといえる。

特にこの「音変化の規則性」や「系統間の対応関係」の意義は大きい。
言語にも生物のような近縁関係があり得るとわかり、語源理解も深まった。

しかし最も重要なのは言語の実相や変化のプロセスを解き明かす機運が高まったことそのものだろう。
情報の断片から体系を導くことで言語研究は大きく発展したのである。

(今回説明した原理には注意点も多く、実用的には万能ではないこともあるが、情報過多を避けるため別の記事に回す)。


印欧語族

ところで、ここまであえて話を絞ってきたが、ゲルマン諸語の系統関係はこのグループだけで完結しているのだろうか?

答えは否である。
ゲルマン諸語とは、主にインドからヨーロッパに及ぶ地域を中心に広がり、同じ祖語を持つ印欧語族(インド・ヨーロッパ語族)というグループのそのまた一部分に当たる。
一般的に名前が知られているヨーロッパの言語の多くはこの中に属する。

この印欧語族という概念の提唱は言語学にとって極めて大きな一歩だった。
内容については機会を改めて語ることにしよう。


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