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好きという感情

「あ、なんかいいな」くらいから「ぐっと胸が締め付けられる」くらいのグラデーションがある感情だ。

好きとはどういう状態なのだろうか。

対象物にもよる。
先程のグラデーションが1〜10だとしたら
食べ物や服など趣味ものは1番好きでも7くらいではないだろうか。カレーのことを考えると眠れないんだ。という人は少ないと思う。

しかし恋人に限っては10の感情にたどり着く。

だが結婚すると5〜7くらいが心地よいようにも感じる。

もう少しレベルを下げたところから考えてみる。

誰でも好きな色ってある。それはどうやって決まったのか。

色とは可視光(太陽や蛍光灯)が物質に当たり、その物質によって特定の波長の光だけを反射させる。赤いリンゴなら赤の波長の光だけが反射している状態。だから明るい場所では物が見えるが、暗闇では見えない。

物理的に言えば、その赤い波長、周波数を持った電磁波が人間の網膜に刺激を与える。視神経を通じて脳に伝えられる。脳はそれを赤色として脳内に映像化する。

だがこれは私が見えてる映像とあなたが見ている映像は同じではない。視神経の数も感度も脳の作りも個人差があるからだ。そしてそもそも確認のしようがない。

このような伝達構造において色は区別して感じることが可能である。

ではその色が好きとはどういうことか。

本能的に好きということはあるだろうか。例えば古代は自然の中で生きていたので緑が好き(あるいは心地よい)と感じる種族が結果的に生き残った、とか。鳥などは赤い実をつつきにやってくる。そういうものは多分本能だろう。


後天的に好きになる色はあるか。

周りを見渡してみて共通点を考えみる。
中国人は朱赤が大好きだし、カズレーザーも赤が好き。
アフリカなどは原色系の彩度の高い色の服を着ているイメージ。

中国は国旗が赤。カズレーザーはアニメ「コブラ」が好きで主人公と同じ、金髪赤服としている。日本は控えめな性格な人が多い。

つまりどれだけその色に馴染みがあるか、または良い思い出があるか、で後天的に好きになるのではないだろうか。

男女も会う回数が多いほどカップルになる確率が上がる。

そうなるとひとつの仮説が浮かび上がる。

好きとは、心理安全性が確保できている状態である。(会えば会うほど警戒が解ける)

簡単に言えば、安心して接することが出来るものが、心が落ち着き、好きになる。

しかし、これは色や物といったレベル5〜7くらいの対象に当てはまるが、恋人を好き、のようなレベル10には当てはまらない。

誰でも一度はあるであろう、あの青春時代の胸の痛み。あれはどちらかと言うと安心の真逆のような気がする。安心を手に入れたいというよりも、なにかに取り憑かれたような。。感覚。



少し考えて出た結論は、なんとも悲しいものであった。

結論を言うと、あのレベル10の正体は、
欲望である。

子孫を残す本能。セックスしたい。気持ち良くなりたい。好奇心。

そういった潜在意識がベースにあって、激しく愛し合う。これが恋。手に入れたい。失いたくない。全て欲望。

少し慣れてくると、安心感がでてくる。またの名を情。居心地が良いのでずっと一緒に居る。やがて相手は自分の一部となる。それが愛。だから相手のことを自分事として想う。

まとめると、
好きとは、自分にとって心理的安全性を確保している状態。子孫繁栄のために本能的に欲望が働く場合があるが、最終的には相手を取り込んで自分の一部となり、やはり自分の心理的安全性を確保するものである。

ふぅ、妻にとって私は彼女の一部になっているだろうか?

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