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【生きづらくて当然】人生とは社会に出て己の欠けたパズルのピースを探し求める旅【生き方のコツ】

「初めのうちは気の付かない程度だが、ある日急に、何もする気がしなくなってしまう。 何についても関心が無くなり、何をしても面白くない。 この無気力はそのうちに消えるどころか、少しずつ激しくなってゆく。日ごとに、週を重ねるごとに、酷くなる。 気分はますます憂鬱になり、心の中はますます空っぽになり、自分に対しても、世の中に対しても、不満が募ってくる。 そのうちにこういう感情さえなくなって、およそ何も感じなくなってしまう。 何もかも灰色で、どうでもよくなり、世の中はすっかり遠のいてしまって、自分とは何の関わりもないと思えてくる。 怒ることもなければ、感激することもなく、喜ぶことも悲しむことも出来なくなり、笑うことも泣くことも忘れてしまう。 そうなると心の中は冷え切って、もう人も物も一切愛することが出来ない。 ここまでくると、もう病気は治る見込みがない。後に戻ることは出来ないのだよ。 うつろな灰色の顔をしてせかせか動き回るばかりで、灰色の男とそっくりになってしまう。 そう、こうなったらもう灰色の男そのものだよ。 この病気の名前はね、致死的退屈症と言うのだ」

ミヒャエル・エンデ著『モモ』P360より

人生

「経済的に自立し、ささやかな趣味を楽しめるだけの余暇と収入が得られる定職に就いている分には」大人はくそ楽しい。問題はこれからの若者にそんな贅沢を楽しめる層が何割いるかどうか。

はてなブックマーク - 大人ってくそ楽しい | mochrom blog

―――人間は自由の刑に処せられている

山田太朗参議院議員がSNSでとったアンケート
https://sangiin-jimin.jp/?p=1336
経済的な不安を感じる人たちが最も多く、20代は「年金・社会保障」、 30代は「安楽死・尊厳死」に、 40代は「老後・介護・孤独死」に不安を感じはじめていた。
なかでも「安楽死・尊厳死」は、不治の病を宣告されたときの死の決定権ではなく、「自殺の権利」を求めるものがほとんどだった。
現代を生きる人の多くが、この世界を攻略不可能な無理ゲーだと感じ始めており、その絶望から「安楽死・尊厳死」を望む人たちに溢れている。

無理ゲー社会 - akon2.00βのよっぱらいの戯言

『荒れる』のは、 それだけ、鬱屈した感情があるからですし、 『引きこもる』のは、 そうでもしないとどんどん傷つく現実があるからです。 『ウソをつく』のは、 本当のことを言ったら、余計ひどい目にあうからですし、 『やる気がない』のは、 やる気で意見を言っても必ず否定されてきたからです。

布施と裁判官と観音菩薩|『生きる意味』を親鸞聖人、ブッダの言葉で示す仏教講師、菊谷隆太のブログ

―――正解を求めようとしてしまう

―――逃げ道、自分のホームをいつでも探している

40年前ならヒッピー、30年前なら新興宗教、20年前ならマルチ商法、10年前ならバックパッカーやってたような層が2016年にやるのがブログで起業なんだろな

生きづらい人々の受け皿がプロブロガーしかない問題

―――どこに行っても"社会"はついて回る

「池の中で一度にたくさんのフナがプカプカと浮かび上がったら、フナがおかしいと思うより、まずは水質を疑ってみるのが順当だろう。世の中がおかしければ、まっとうな人間がグロテスクに映る」 これが、私が四十年前から主張している「フナ論」です。

悲しむ力 深く悲しまない人間は幸せになれない : 大越 俊夫

著者は次のように指摘する。
〈ホームレスには何事も一歩引いて譲ってしまう人が多く、他人と争ってまで強引に仕事を得るような人は少ない〉
〈おとなしい性格で、人を押しのけてでも生きていくのが苦手な人や、人付き合いが苦手な人などが、非常に生きづらい時代である〉
つまり、〈無口で少し変わり者を許容しない〉のが現代だ、と。

他人事ではない100人の『転落』 ~30代独身者はホームレス予備軍?:日経ビジネスオンライン

―――人生山あり谷あり、希望を捨ててはいけない

私はいじめられた小中学生の時に、20歳の自分を想像しました。 今こんだけ辛いってことは、20歳の自分は凄く綺麗でモテモテで人気者で幸せに生きてるはずだろうなって妄想しました。 20歳を迎えた時、あーちゃんと20歳になった。昔妄想した自分になれてるかはわからないけど、でも私生きててよかった。今は楽しいと思える、幸せと思える。夢も持ててる。 そうして、今はTBSアナウンサーにもなれました。 諦めなくてよかったよ。

相談は踊る | 林みなほのMinaho's diary | TBSブログ

―――極端な世の中、理想の場を見つけづらい

日本みたいに労働環境が硬直化しちゃってて、その上プライベートよりも仕事を優先することを強要される社会は生きづらい。でも、アメリカみたいに労働環境が流動化しまくってて、その上プライベートでも完璧を求められる社会も同じくらい生きづらい。

アメリカのホワイトカラーは結構ブラックな労働環境で働いているらしい - 俺の邪悪なメモ

―――"生きづらさ"は少数派という肩身の狭さ・孤独感なのか?

―――どんな人間にも苦しみがある故に幸せを他人に見せつけては己が幸せであると錯覚したい

42: 以下、(^o^)/でVIPがお送りします 2016/06/26(日) 01:11:04.610 ID:1nVDZjWe0
あと他人の就職先、年収、facebookを閲覧し自分より良い生活してそうだななんて間違っても考えない事。 他人は他人なりに絶対に問題はあるし満足してないからFacebookに自慢したがるし家族の幸せな一時をわざわざ他人に見せたくなってるハズなんだ

年収1000万~250万まで体験した俺が幸が何かわかったから教える:哲学ニュースnwk

学校化社会

福本伸行『ガメラ35』

下記noteにて触れられているが、哲学者イヴァン・イリッチによる脱学校論についてである。現代社会は一般的なものさしとして「~しなければならない」という評価基準が暗に認識されているということである。学校と言うのは、大日本帝国時代の学校教練のような軍事的・競争的な目的が一時期あった場所であり、現在でも社会に出て活躍するための義務教育としての側面は残っており、学歴競争と言う言葉が用いられるように競争的意識は依然として残っているように思える。

価値観として、義務教育後の受験戦争による偏差値の高い大学への進学から大企業就職といった成功のルートとされるものが依然として残っている。レールが敷かれていて道筋が明確なのは良いが、かえって型にはまり過ぎて窮屈さがあり、そこから脱線することで路頭に迷い、生きる道を失ったという考えに陥りやすい。
型にはめられることを窮屈に思い、苦労しながらも恩恵をどこかで求めている状態であることから、そのレールを外れた者を脱落者として認識し、その苦労を通らずに生きるものをならず者として白い目で見るのである。

95年ゆとり世代だけど強迫性障害発症して大学中退してから人生立て直せず今は底辺SESやってる。ゆとり世代なので時代のせいにすることすらできない。人生の立て直し方を知りたい。

[B! 人生] 言論では届かなかった氷河期世代の声 - ニャート

―――同じフォーマットにあてがわれたとしても先々で起こる出来事が違うことによる個人の異質性

相変わらず思うのだけど
歪んだ人は自覚がない上に、自分にとって都合の良い分を正当化して
無責任に押し付けるのは本当に気持ち悪いと思う
心を強くする教育や制度を作ってしてほしいかな
正しさや厳しさではなく、無責任と理不尽を押し付ける人に
基本的に対応できる人は少ないと思うよ
後、勉学より生きていくために必要な事を教えるべき
都合よく人は成長しない事実に、目を向けてほしいな

「実家が地獄」という若者たちの「見えないホームレス化」 公的支援にたどり着けないワケは?(弁護士ドットコムニュース)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース

家庭がまともに機能していない場合、就労以前に生きていくのすら厳しくなってしまう場合もある。 そのような場合に、「お前には就労意欲がない」と言われても「最低限の衣食住もない状態で就労意欲を求められても、それより当座生かしてくれ」とならざるをえない。 働けば生きてけるんだから!!と説教すれば就労意欲が湧くのなら苦労はいらない。 もちろん、役所といえど未来永劫養ってあげなさいと言うわけにはいかない。 しかし、当座の生活に見通しも立たない状態で、就労意欲を先行して発生させろと言うのはあまりにも非現実的な意見であり、「当座の生活の上で、就労意欲は後から湧かせればよい」と言う対応をしていくしかない。

「実家が地獄」という若者たちの「見えないホームレス化」 公的支援にたどり着けないワケは?(弁護士ドットコムニュース)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース

―――模範主義、べき思考に囚われると「なぜ?」という憤りを感じる

―――捉えようで大きく変わる物事は多々ある

人生って別にそんなにつらいものじゃないよ 日本はとりあえず恵まれている例えば自分がワープアだとするじゃん。年収200万以下。辛いって思うじゃん。でも、月17万くらいあったら、安い家賃のところに住んで、そこそこうまくもまずくもない飯を毎日食べれて、娯楽費にもある程度ぶちこめてちょっと節約すれば貯金もできるわけ。(ただし独身に限る)発展途上国ではなかなかこうはいかない。飯が食えて家があるだけでとりあえず上等。娯楽費にお金なんてなかなか使えない。とりあえず何かスキルをつければお金をもっと稼げるようになるスキルがあれば億万長者になってうっはうはというわけではないけど、とりあえずある程度まで何らかのスキルを身につければ、収入は上がる。そうすれば生活はもっと楽になるし、選択肢ももっと広がる。こういうのって21世紀より前ではなかなか考えられなかった、つい最近の話。悲観しているのは未来が悲惨っぽいからどうせ頑張ったって人生に意味なんてないんだからとか、虚しすぎて生きたくないとかさびしいとか、ニヒリズムとか、いろいろあるのだろうけど、そういうことって、たぶん「今が楽しくて、将来もきっと楽しいだろうな」っていう考えがあったらあまり考えないんじゃないかな。「今が辛くて、将来も辛そう」っていうのが見えちゃうから悲観的に考えてしまうんだと思う。そもそも人間は未来のことを考えて動けない「10年後こうなるために、頑張る」ってのは、ちょっと狂気の沙汰だ。10年後に結果が出るようなシステムはうまくいかない。アリアハンでひたすら敵を倒し続けた結果、いきなりLv1からLv99になるようなものだ。「10年20年先のことを考えて動け」とか言う人がたまにいるけど、それはすごく難しいことだ。あいつらはいつも「こうするべき」とか言うけど「こうやってそれを達成する」とかは言ってくれない。「これをやらないと将来は悲惨」というような考え方は捨てよう「別にやらなくてもいいけど、やっといた方がオトク」みたいな考え方の方がわりとうまくいく。睡眠不足の人に「寝なくても別に目瞑って横になっとくだけでいいんだよ」とか言うと寝れちゃうみたいに、プレッシャーを感じすぎると人間は動けなくなる。ニートだったら、「働いたら将来オトク」とかそういう考え方にシフトしておこう。そう思うことで、「もし働いてたらこのPC買えるんだな」とか「働いてたら今から風俗行くのに」って考え方になる。もちろん、金持ちニートはその限りではない。ていうか金持ちニートはこれを読む必要がまったくない。スキルつけたいときも、「やらないと…!」とかいうよりも「とりあえず30秒だけやっとくかwwやらないよりマシだろワロス30秒たった今日の勉強終わりwwww」のほうがうまくいく。できれば取り掛かったのなら長時間やるべきだけど本当に30秒で終わってもいい。毎日30秒でも1年で3時間、10年で30時間分の勉強になる。あとは適当に気が向いたときに「今日はもう30秒だけ余分に勉強するか」とか言いながらやっておけばいい。スーパーでよく思うであろう「こっち10%OFFだからこっち買お」というぐらいの手軽さでいこう。あと、昨日やり忘れたから、今日は2倍やろうだなんて思わなくていい。昨日やり忘れたなら、スケジュールが1日伸びるだけだから、たいしたことない。世の中は割と単純人間は、とりあえず生きるために、とりあえず狩猟したけどめんどくさかったし死ぬかもしれないから、とりあえず食糧生産して、楽したいからとりあえず工業製品とか作って、暇だからサービス作ったりもっと楽するためにとか趣味とかで勉強したりしてるだけ。だから、えらそうなことを懇々と垂れる人たちも、単なる一人のエロジジイだったということもよくある。Vimを使おうVimはすごく高機能なテキストエディタで、人生に彩りを与えてくれるすばらしいものだ。どのOSでも使うことができる。最後に人生って別にそんなにつらいものじゃないよもしあなたの人生がつらいのなら、それは人生がつらいのじゃなくて、あなたの人生に対する考え方や行動がつらさの要因なので、考え方さえちょこっとシフトしてしまえば、人生は楽しいだろうし、別に楽しくなろうとしてなかったとしても、「人生のつらさ」の面は解消されるはずでオトクだから、のびのびとしたゆとりある人生を送りましょう。

人生って別にそんなにつらいものじゃないよ

―――どんなこともそう上手い話はない

―――見えない屍の上に成り立つ社会

言いたいことはわかる。
俺の兄貴も40代で鬱病になって無職になり、生活保護受けながら
ケースワーカーに相談して療養をして回復したけど
そこから社会復帰がなかなか出来なくて思いつめた挙句 
保険金を自分にかけて自殺をしてしまった。
保険金、入ってきたよ。
母が受け取り名義でね。
このままだと自分が老後の面倒見れないからって
保険金親に渡すために自殺しちまったよ。
日本は異常だよ。
一度落ちると這い上がれない国。
希望を持てない国。
こんな国は滅んでしまえばいいって思う。

自殺するのは「若者」ではなく「おまえら」:国内自殺者3万人の実態 - 村上福之の誠にデジタルな話

対人関係

職場でもそうだが、他人に会うとヘトヘトに疲れてしまう。
別れた瞬間に「今日も怒らせずに済んだ」とホッとする。
人付き合いが悪いからか、休日も趣味などでグループ活動した方がいいとアドバイスされたことがあるが、
独りの休日という最高の幸せが真っ黒に塗りつぶされる気がして、思わず涙が出てしまった。
独身だが、結婚や子育てなんて絶対無理だと思う。そういうのは国とかで代替してくれないだろうか。
帰省だってしたくないが、これも怒られるのが嫌で渋々帰っているだけ。
もう人間関係すべてが嫌だ。自意識を失くして、感情無く生きていければいいのに。

他人とは怒らせないようにするだけの存在であり、会ったって楽しくない

「耐えられるかどうか」ではなく、「この苦しさだったら一生付き合っても良いと思えるかどうか」で考える。で、付き合いたくない苦しみからは全力で逃げる。色んな言い訳やアイディアや人脈を駆使して、逃げる。その逃げ様こそが、誰にも真似できない自分だけの生き様になる。

via: fta7

―――独りの時間がないとやっていけない

―――「自分だけ…」という不公平感が自身の感情を悩ます

公正世界仮説の考え方であり、完璧主義のもたらすものであるが、不公平感が生じるのは防ぐことが出来ず、気の持ちようで対処するしかない。大富豪の如く、貧弱カードが革命によって覆ることもあれば、ローカルルールで意味を持つカードになり得るケースもある。自分の手札でババを引いてしまったとしても、そのカードが持つ効力に何か良いものはないか利用する必要があるのだ。

―――無理に明るく振るわないといけない風潮

―――人間関係は面倒臭くて辛いが、孤独は寂しくて辛い

「孤独でないと生きられない人」もいる。「孤独に耐性がある」というよりは「集団の一員であることに耐性が無い」というような。ただ、孤独は孤立とイコールではなく、きちんと他者と関係性を築いていたり、ネットワークを作っていたりするんだけど、日々の心の持ちようとして孤独である、というか。精神のありかが孤独であるがゆえに生活の基盤や自身の仕事の仕方もまた個を主体として生きざるを得ない人

Kousyoublog - 孤独でないと生きていくことが出来ない人

煩わしい人間関係から離れるためにフリーランスになっても結局は人間関係に苛まれることはあるだろう。そこを上手く一人で生活していける土壌を作り上げられたところで孤独の寂しさの埋め合わせはできない。経済的に余裕があれば交流を図る手段も豊富だが、結局は社会参画できる能力のある人間力のある己自身が自信のカギとなる。

41 :名無しさん@涙目です。(芋):2011/12/22(木) 04:30:35.04 ID:Tn4VcAVL0 電車内で化粧してる女も、タバコポイ捨てしてるDQNやらも本当は正しいんだよな 電車で済ませれば時間短縮になるし、灰皿持ち歩くより捨てたほうが手早いし 他人への迷惑なんか考えるだけ無駄だよな 48 :名無しさん@涙目です。(茸):2011/12/22(木) 04:39:16.01 ID:h07KOGMo0 »41 ほんとだよな でも世の中人に嫌われたら生きていけないからジレンマなんだよな 自分は好き勝手したい、でもすると人に不快感を与えてしまい疎外されるのでしかたなく人に嫌がられない程度に好き勝手するってこと 世の中囚人のジレンマで成り立ってるようなもん

結局人間は自分さえ良ければそれでいいんだな… | ライフハックちゃんねる弐式

448 :なまえをいれてください:2010/12/24(金) 19:32:57 ID:FanBXqcY
羨ましい。俺は、さっきローソンで買った唐揚弁当のラップを破り、食うだけ。
独りで。こんな毎日が続く。この秋を乗り切っても、次にやってくるのは冬。
恋人に、配偶者に、親に、子供に、愛する人のために贈り物を選ぶ人々を尻目に、
俺は自分の欲望を満たすためだけの買い物をする。
「俺は自分の金は自分で全部使えるんだ、それが嬉しいんだ」
意識の外で自分に言い聞かせる。
愛する人のために身を削るのは、利己的に生きるよりずっと幸せなのだということに
気づかないふりをする。愛情を惜しみなく周りに与えれば、空いた部分は幸せで満たされる。
愛情を自分だけに向けて疑い深く生きていれば、大切に抱えているその愛情が
価値の無いものへと変質していく。一年中それが続く。
俺は幸せにはなれないと気づいた

俺は自分の欲望を満たすためだけの買い物をする。 by コピペ馬鹿 ~創造力の欠如~

元来、人間は親しい間柄になって付き合いが長くなると接しやすいように思われるが、長くいる分自分の役割も固まってきてしまって身動きが取れづらくなったり、細かい違和感や疑問が不信感に変わりながらもその間その人のコミュニティにいることに不満を感じて別のコミュニティに理想を抱いたり、孤独を求めやすくなる。一方で、学校や職場と言った癒着剤のないまっさらなコミュニティにおいて、歴史の浅い関係であればかえって自分を出しやすかったり、お互いフラットな状態である分接しやすい利点もある。ただそういったコミュニティは刺激が少なく退屈であることが不満となり、次第にメリットを感じずただ面倒なだけとなって別のコミュニティに理想を抱いたり、孤独を求めやすくなる。そしてこういった背景に自分が対象となることを恐れて、過剰な反応をして素直になれない自分にさえ自己嫌悪を感じるようになるのだ。

損をしない生き方は得を生みにくい

VIPPERな俺 : 人間関係で損しない方法を淡々と書いていくスレ

―――友達とは?一人でも孤独ではない生き方

下記は、作家、狩猟者として活動されている方の考え方である。巷では「休日に遊びに行く人がいない」「こっちは友達だと思っているが相手が自分をどう思っているのか不安」と言うような不安が巻き起こるのも人間関係の悩ましさである。究極、ネットがある現代はどこにいても人と繋がることはできるし、自身の生活に充実していれば寂しさは感じないのかもしれない。

―――上手くできない…自分の真似が

―――類は友を呼ぶが真なら、心に絹を羽織った人物を目指すべき

―――共感性周知、知ること知っていることによるトラウマや恐怖がトリガーとなる「もし自分だったら…」の恐怖

―――一度こびり付いたトラウマは背負っていかなければならない

―――逃げるが勝ち

―――「なりたくない」人物に自分がなってしまったと感じた時に起こる自己嫌悪と無力感

こういった事象はほぼ自分で気づくことが不可能だろうが、第三者から見てその人が言っていることとやっていることが矛盾していると感じる場面は多い。たとえば「縦割りの社会で若手が苦しむ現状を変えたい」といっている上司がその若手にマウントを取ってはパワハラをしている光景は珍しくないだろう。本人は相手のためを思っていたとしても、他人が見た時にそう映らないのは不信感を抱くだけで、付いていこうだとか頼りにしようとは感じなくなってしまう。ただこういった不満を抱きながらも自分も同じことをしてしまっているんだろうなと我に返ることで、至らない自分を前に他人の不届きに目をつぶっているのが現代社会の大きな仕組みなのだ。

―――表面上だけでも仲良くすることで、お互いの均衡を良好に保つ

うまーく表面だけ見て気分良く生きていた方が幸せよ 裏面見ると際限無いし、嫌な気分になるだけで滅多に自己防衛にはつながらない ってのが人生失敗したおっちゃんになってやっとわかってきた気がするわ

社 交 辞 令 の 怖 さ は 異 常:キニ速

―――安易に界隈に溶け込もうとすると身を滅ぼす

―――人当たりの良さと居心地の良さは違う

よく利用してた回転寿司が潰れた
昔は店長と無口ながらも注文をきちんと裁いてくれる店員さんで回してたんだけど
ニコニコ明るい(だけの)おしゃれな男子大学生のアルバイトが入ってから激変
いつの間にか無口な店員さんは隅に追いやられて辞め、店内は明るいバイトくんと
似たようなタイプの若い男女のバイトさんが増えた
みんなノリがよくて声もよく出し店の雰囲気は明るい
でもその分馴れ合いも多くて客の目の前で悪びれもせずに堂々と私語に夢中
注文のミスや作り忘れも増える、指摘するとしっかり謝るけど改善されず
夜ともなれば順番待ちの行列が出来てた店は休日夜も空席が目立つようになり
正月明け久しぶりに店の前を通ってみたら閉店して貸店舗のポスターが貼ってあった
店長は人の良さそうなおじさんだったが最後の方はバイト達の奔放な態度に
困惑の表情浮かべてオロオロしているだけになってた
バイトくんの第一印象が明るくてハキハキして人当たりもよく見えてただけに
結果的にバイトクラッシャーのようになっててホントにこういう人いるんだなぁと今でも信じられない

ニコニコ明るい(だけの)おしゃれな男子大学生のアルバイトが入ってから激変した : 育児板拾い読み@2ch+

表面上は面接で評価されやすいような明るくハキハキした雰囲気だが、実際付き合うと精神的に苦しくなるような傾向が出てくるタイプの人はある程度存在する。特徴としては、ただ自身が明るいだけで周囲の気持ちまでも明るく安心感を与えられるようなタイプではないため、周囲の不安や違和感に気が付かずにワンマンで盛り上がってしまう傾向があり、表面上明るいだけに隙が無く、誰も指摘できずにさらに居た堪れない状況となる場合がある。

―――苦手なタイプの人間、接するのは苦痛でもそんな生き方ってアリなんだと面白がる見方

これは2ch創始者のひろゆきも同様の発言をしていたが、苦手な雰囲気のタイプの人も面白がって見ることによって自分にとっても良い方向で解釈できる。嫌だなと思う展開でさえも「この人はこういうとらえ方で乗り切ろうとするんだ」とか「何喰ったらこんな考えに至るんだろう」と珍しい生き物を見る目で観察するとある種インスピレーションを刺激されて良いものだ。皆が良い人で悪口一つも言いませんと言うのは平和だが、当たり障りないというのはそれはそれでつまらない。外れ者がいるおかげで、ヨゴレを演じてもらい、それに付き合うことで自分はこうならない様にしようと鑑にしたり、面白さが生まれて新鮮なのである。

―――一方的な主義主張によって根絶やされる弱者

―――共依存からの腐れ縁、自己の不安から親しい人をサンドバッグに

アイデンティティ

目の前の人に対して誠実でいようと思えば思うほど、自分に不誠実になってしまう。だけど自分に不誠実のままだと結局その我慢の皺寄せで相手に不誠実になってしまう。どうすればこの悪循環から抜け出せられるんだろうね

labipaas

灯台下暗しという言葉があるが、自分自身の内面は自分しかわからないが、外面は自分が一番わかっていない。この際の仮説として、もし自分の周囲の人間がすべて自分のクローンだったらという考え方がある。この仮説に対してさらに、周囲の人間が自分であると"知覚していない"か"知覚しているか"でその周囲の人間(自分のクローン)に対しての態度や印象が変わるだろうと仮説を立てている。周囲の人間が自分だと知覚した際に強く出るか、甘く出るか、でその人が自身で知覚できない死角の部分を見ることが出来るのだろうと思う。

―――気にし過ぎて引きずる

―――人は皆社会の中で複数の役を担っていて、どれも社会性のフィルターを通して認知できる範囲内では普遍的である

―――自信がないのは皆同じ、良い人ばかりでいられないのも皆同じ

結局皮肉なものでこれらは結果論なので、自分で見た理想像とそれを元にやっている自分と、はたから見た自分の姿は同じではなく、真逆にさえ捉えられることが多い。「自信がある」ように見せるために他人にマウントを取り、「良い人」でいるために卑屈にも近い弱さ由来の謙虚さで自信を薄れさせる。八方美人が嫌われるのは、結局どこかに抜けがあり、その行動原理を疑われるからである。自分が汚れずに完璧であろうとするも、皆を納得させられるほどの器量や深みがないのだ。

「自信が持てません」というのは、どうも「自分が傷つかないようにするにはどうしたらいいですか」という悩みにも思えます。

とらわれない生き方 悩める日本女性のための人生指南書 (―) / ヤマザキ マリ - 電子書籍 名言まとめ 

―――石を投げれば酔っ払いに当たる、悪口を言えばみんなに刺さる

煙草の銘柄で言うと、WinstonはWinstonの木があって葉っぱが取れるわけではないし、それはSevenStarも同様。人も煙草も皆同じ木の元に生まれて味付けは後から行われる。故に、そこで差異を出そうとも同じ人間であることには変わらず、物は言いようで良くも悪くも捉えられる。もどかしさの中でどう応えるかという大喜利を各々が体現しながら社会・人生が成り立っている。ちなみに、このたとえ話は松本紳助で紳助が話していた記憶がある。

164 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2012/02/19(日) 05:12:57.01 ID:OnoLqQZK0「個性的」なのに「自分がない」
「神経質」なのに「ミスが多い」
「目立たない」のに「悪目立ちする」
「自分に自信がない」のに「プライドが高い」
「他人にやたら気を遣う」のに「空気が読めない」
「自分を良く見せようとしない」のに「自意識過剰」
「マジメだけが取り得」なのに「それほどマジメじゃない」
「褒めて伸びるタイプ」なのに「褒められても伸びない」
「趣味に生きるタイプ」なのに「誇れるような趣味がない」
「独りでいる方が気楽」なのに「ハブられるのはイヤ」
「他人を笑わせることは苦手」なのに「よく他人から笑われる」
「美人・イケメンが好き」なのに「美人・イケメンが苦手」
「平和主義者」なのに「トラブルメーカー」
「他人の気持ちに鈍感」なのに「他人の悪意に敏感」
「考え込むことが多い」のに「考えることが苦手」
「ミスを深く反省する」のに「同じミスを繰り返す」
「忘れっぽい」のに「イヤな思い出は忘れられない」
「疑り深い」のに「騙されやすい」
「フケている」のに「ガキっぽい」
「外見至上主義に否定的」なのに「面食い」
「妥協してばかり」なのに「恋愛・結婚は妥協したくない」
「リア充になりたい」のに「リア充が嫌い」
「波乱万丈な半生だった」のに「逆境に弱い」
「人生に絶望している」のに「今すぐには死にたくない」
166 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2012/02/19(日) 05:18:07.45 ID:ant4FyhM0»164
9割当てはまってワロタ
こういう無能ってどう生きていけばいいのか・・・
169 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2012/02/19(日) 05:23:56.74 ID:qxrWa60B0»166
ほぼすべての人が半分くらいは当てはまる
占い師と一緒

VIPPERな俺 : ガチでコミュ障にありがちなこと

―――人は皆自分を使い分け、そしてそれらすべてがその人

―――我思う故に我あり

虚構も現実と同じくらい現実であり、現実も虚構と同じくらい虚構である。この世にはっきりと断定しきれる正しさや真実は皆無であり、各々の正義感や価値観よりこの世の中を見渡しているのであり、同じ世界にいながらそれぞれが平行世界に生きていると言っても過言ではない。

養老孟司は「人間は物理現実なんか生きてない」とはっきり言ってますよね。「目の前の他人と自分が同じ現実を生きてるんだという話は、科学的には証明不可能。人間は脳で生きてるだけだ」って、あの人の言うことはそれに尽きるんだよ。全部脳内現実にすぎないんだと。  彼と対談したとき「だからバーチャルリアリティーなんか存在しませんよ」って言ってた。誰もがバーチャルを生きてるから、バーチャルなんて言葉を言う必要すらないんだよ。実態はなんとなくお互いに現実をすり合わせてるだけ。なぜなら、そうしないと破綻するから。自分と相手が本当に同じ現実を見てる保証なんてどこにもない、客観的な証明は不可能です。当たり前だよね。それって意識の問題だもん。  それと同じように、自分の子供時代の意識と、去年の意識と、昨日の意識と、それらは比べようがない。自分が「これが自分だ」と思い込んでいるだけなんだから、それ以外にどうやって自分のアイデンティティを保証するの? 自分の幼年期とか子供時代なんて、今の自分が想像している「過去の自分」でしかない。

過去を変えられる、それが人間の能力です:日経ビジネスオンライン

―――既にあるフォーマットに合うように自分を偽る・合わせるという苦痛

自分は普通の人に比べたら自分は劣っているのでは…と感じる場面は多々あるが、それは持病と言うほどでないにしろ花粉症や食品アレルギー、アトピーといった症状を抱えていることによる弊害と同義で、世間の風潮もアップデートするにせよ、その規格に自分が合わないということは多々ある。また依然としてそういったものには対策は打たれており、個人レベルで対策して何とかなる者もいるのだ。

世間的には、ひきこもりが異常で、働いたり学校へ行ったりしている人が正常に見えるのだろうが、私は、ひきこもる前の自分が異常で、ひきこもりになってから、徐々に正常な自分を取り戻していったと思う。ひきこもりになったことは、今までの自分の生き方が、自分に合っていないというシグナルだったのであり、ひきこもり期間は、本来の自分自身を取り戻すための戦いだった。

無意識に理想が高い人 - yuhka-unoの日記

自分に嘘をついて生きるというストレスは並々ならぬものではあるが、下手に高飛車に生きるよりも身の丈に合った方がストレスがないのは当然だ。ただ、同じ土俵に上がろうと、合格基準に合わせるために頭にシリコンを埋め込んで力士として活躍した舞の海がいるように、背伸びをして同じラインに並んで切磋琢磨していくうちに、実際は周囲の人間も自分と変わらず弱さや生きづらさを持った生き物なのだということを実感するようになるのだ。もしかしたらこの世の人の多くは背伸びをしているだけで皆同じ身の丈なのかもしれない。

正直な生き方は宝石のように尊いが、身に着けた者は一文無しで死ぬ。

反実用英語メモ 正直のことわざ

―――存在意義・承認欲求

自分が存在する理由などそもそも必要はないし、ましてや理由や意義を持って生まれたわけでもないが、何かそれらしい存在意義を持ち出して人間的価値だのを評論する場がある。なんだかんだ言っても人に価値のアリ・ナシは存在しない。この世の多くの業務は程度や進捗の差はあれど、ある程度までいけばほぼほぼ誰でもこなせる手合いのものである。そこに優劣を付けたり誰かを悪者に仕立て上げて我を主張することが生きづらさを形作っており、ひいてはそれ故にありもしない自己の存在意義を見出さなくてはやっていけないような社会が成り立っているのが被害の深刻化と言える。「いらない」と言われるのを恐れてすることが"それ"であるならば"それ"は本当に「いらない」行為なのだ。この世に本当に必要と言えるもの自体少なく、本来「いらない」と言う者も別に「いらない」のだ。

そこらへんのサラリーマンでもフリーターでも、だいたい6割くらいの人間がこれにとりつかれてる。
一緒に飲みにでも行ったらちょっと酔っぱらうと自慢話がはじまって要約すると自分が会社でいかに重要かみたいな話を延々としてる。
シラフでも1日有給取るだけでも俺がいないとあの案件がストップだの現場が混乱だのいらん心配をし始めるし
自分が会社辞めようもんなら会社は潰れるし世界は滅亡するくらいのことを本気で思ってそう。
実際はそいつが5分後に突然死しようが会社は問題なくまわっていく。ただその位置にある歯車の機能としての価値しかないことがほとんど。

「自分が必要とされている」という妄想に取りつかれてる人が本当に多い

自分の証明書となるものや保証書の類はないため、自分で自分が不安になったり、自分に裏切られることによって自己嫌悪を深めることは負のルートだろうが、これは受け入れる他ないのだ。自分が天才であると思っている場合や可能性を感じている場合はその期待にこたえられない自分に無力感を感じてしまうが、そもそも自分は特別でもなく、なんとなくただ階段を上っていくうちに程よい高さまで来るだろうの感覚だけで過信し過ぎないことが重要。

自己肯定感を持ちなさい、などと、いい年になった人たちに臆面もなく言う専門家がいる。が、それは、育ち盛りのときに栄養が足りずに大きくなれなかった人に、背を伸ばしなさいと言っているようなものだ。
 自己肯定感は、これまでの人生の結果であり、原因ではない。それを高めなさいなどと簡単に言うのは、本当に苦しんだことなどない人が、口先の理屈で言う言葉に思える。
 いちばん大切な人にさえ、自分を大切にしてもらえなかった人が、どうやって自分を大切に思えるのか。

現代人をむしばむ「愛着障害」という死に至る病(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

―――実力と自信は別

下記Tweetは、自身の高さと実際の学力を表した棒グラフである。自信では最下位だった日本が実際の学力では上位の成績である。なんなら自信で最上位だったアメリカは学力では芳しくないことがわかる。


―――理想の姿に自分を代弁してもらう

―――自分が正しいと感じる自負心は自己肯定感を維持し、人生を全うするのに最もシンプルで分かりやすい方法

敵に追われたときは、どちらに逃げるべきか悩んでる暇があればサッサと決めた方向に全力で逃げる方が生き残りやすいでしょう。一度結婚してしまった場合は、その結婚が正しかったかどうかクヨクヨ悩むよりも選択の正しさを完全に信じて生きる方が得でしょう。常に自分が正しいと思っている人は精神的に悩むことも少なくてすむでしょう。 自己正当化力が強いほど生き残りに有利だったのかもしれません。

第52回 自己正当化の圧力 | WIRED VISION

―――コントロール願望

自分の思い通りにいかないと気分が悪くなるというのは子供から大人まで皆同じである。人生は往々にして何が正しくて正解なのかがわからないため、各々が自身の中に人生哲学を持っている。そしてそれは1つに定まらず、ダブルスタンダードのような形で自己矛盾として現れ、時に自己嫌悪に苛まれる。
何かに期待して行動を起こす以上、そこには自身の想定する展開があり、それに基づく希望や期待が行動原理となり、実際問題は想定しきれていない展開が起こったときに「なぜ?」という怒りや悔しさが沸くことで、自分の思い描く展開へ強引に持っていこうとすることで問題を解消しようとする。他人は自我を持っていて、それは自分でコントロールできない制御不能なものであり、表面上上手く折り合いをつけて何とかフェアな状態で交渉する。他人の運転する車で乗り物酔いを起こすのと同様、他人のペースに流されるのはある種楽でもあるが、付き合わされる側としては動きが予見できないものなのだ。

若い時は『生きてるのがつらいなあ』と思うことが多々あったワタクシですが
その生きづらさの正体が『コントロール願望』が満たされないが故だ、と気づいた時からぐっと軽くなりましたね。「あ、おきまりのアレね、アタシ彼(あるいは『この状況』など)をコントロールしたいと思っちゃってる」って思えるようになって。

ワタクシの生きづらさが軽くなった時の話。 by ジェミニ五十嵐 | ShortNote

―――自分は自分で作り上げるもの

罪と罰

―――叩いて埃の出ない人間はいないし、人は皆それぞれの十字架を背負って生きている

―――奪われた悲しみや怒りを部外者が嗜めたところで、その感情は当事者にしかわからず、その穴は埋められない

人を呪わば穴二つと言う言葉があるが、これは北野映画における「拳銃を使った人間は幸せになれない」と同義で、過去に手を汚した者の手は汚れたまま時に刻まれていく。過去の過ちは変えられないため、未来に期待して改心して良い人ぶっても過去は偽りでしか美化できない。呪いと言うのは実体がないが、誰かから呪われている・怨みを抱かれているという事実とそれを身に染みてわかっている悪事を働いた当事者の心理的な不安定が引き起こすプラシーボ効果に過ぎない。どうしても免れなかった理不尽な罪はあるだろうが、その動機が自信の悪心からでは、死ぬまで呪縛は解放されず、誰かに赦しを乞うたり、裁きを受けて罰されることで救われたいと考えるようになる。その十字架を背負って生き、罪を認め、正しい道を模索しながら生きることでしかお互い幸せにはなれないのだ。

全然スーッとしないけれど 服役してた昔の友人が満期で出所してきた。 今35才なんだが、コイツは16才以降、今まで檻の中に居た時間の方が長い 小・中と、ひどい虐めを受けて、ある日突然キレて生き方を変えた奴なんだが 本人曰く「また、正月前には自首予定」、、、 似たように虐められていた他の仲間達が 「もう20年以上たってるんだ」 「もうやめてやれよ」etc 言っても聞かない 何か壊れてしまって 昔虐めていた連中に徹底的に粘着して復讐することが 人生の目的になっちまってる 虐めていた連中4人の人生は、殆ど崩壊と言うか 毎日が地獄のようだとは思うが 「あいつらが全員、自殺するまで止めねぇ」と ケラケラ壊れたように笑うのが怖かった。 鈴木・林・金山 これ読んでたら、柴田のようにあの世まで逃げろ お前等が虐めてた過去は、忘れもせず水に流しもしないが 相手は、ナチ戦犯を追いかけるモサド並みだ 柴田の墓石たたき壊して、骨壺にウンコかけるなんてまともじゃねぇが 止めようもない。

No.32119 おもしろい、もっとやれ - コピペ運動会

理不尽

―――時折理不尽を感じる世の中の不完全なシステム

子供は大人の背中を見て育っていき、それを人間の模範のようにして生きていくため、一番大事で身近な大人である親及び幼少期の影響が今後の人間活動に大きな影響を及ぼしてくる。それと同様に、学校の先生と言う存在は教育者として良き大人、人格者であるような印象を子供は抱き、どんなに面倒と思っていても教えられたことがほとんど正しいものであると錯覚してしまう。大人になればそれが嘘であり、自身を縛り付ける呪縛であることに気が付くが、学校で与えられた価値観は人間的に抱く疑問を度外視して守るべき大切なものと言うように教えられるのが質が悪い。

学校で教える「三つの大嘘」は以下のとおりなんですけどね。
1 金儲けは汚いこと
2 誰とでも仲良く
3 多数決は正しい
この三つを生徒に埋め込まないだけでも、社会に出て生きやすくなるでしょう。
この三つを信じてしまうと、社会人生活はかなりきつい。

三つの嘘 - 定型発達者もつらい…かな?

―――常識を疑え

―――この世の行き場のない不平不満を自分の無力を棚に上げて非難する

375 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/01/28(水) 22:16:31.30 ID:2dIWNKpY0
今の30代40代世代の親の学校へのクレームの多い例
夢を追いかけてそれに向かって頑張ることは大切なことと話した先生への苦情
「夢を追いかけろなんて教育するな!それで失敗したらどうするんだ!お金を稼げることを教えろ!」
子供どうしの喧嘩が起こったときへの学校への苦情
「この世は騙し騙されの世界なんです!もっとそのことを子供達に教育し人を疑ってかかるべきです!」
↑まぁあながち間違いじゃないわな。腐った大人がそうしてんだから。
学校の受験対策へのクレーム
「うちの子が死んでも良いから良い大学に入れるように教育しろ!良い大学に入れないのだったらうちの子は死んだ方がましだ!」
学校での交友関係へのクレーム
「うちの子が何と言おうと頭の良いことしかつき合わさないでくれ!それがうちの子の幸せなんだ!」
などなど
全部子供のことが可愛いからならではんであるが。結局自分の欲求を押しつけてるだけ。
そんな糞世代に育てられればゆとりは腐って当然。
そうやって育てられたゆとり共が大人になれば当然もっと腐る。
もう死ぬしかない。
今や誰かのせいにして責任を放棄することしかしない人間が良くなるはずがない。
綺麗な人間以外は早く死滅すべき。
どう育てられようが。子供がどうであろうが。責任を片方に押し付け自分を省みたりそれを乗り越えようとできない人間が増え続ける限り
腐るだけ。
人間の手でなくエゴの無い天の裁きが必要早く
早く早く早く早くはやく

F速VIP(・ω・)y-~ ゆとり怖えー・・・・・と感じた瞬間あげてけ

―――「何で自分だけ」と言う感情と「自分もちやほやされたい」と言う感情

上記Tweetは下記記事の内容になるが、内容がいたたまれないものであるのもそうだが、ここから派生した「ハブられた腹いせに公正な立場でハブったクラスメイトを教師に密告」という行為に、SNSを始めとする媒体で見かける現代の不和を感じる。”人格や世渡りって、どう教えればいいんだろうな”と言う文が味わい深い。ただ”「友達がやってる打ち上げ会を、誘われようが誘われまいが、チクっちゃいけません」「同僚を売って上司に媚びうるのは評判が悪い行為です」”とあるが、実際これで世渡りできてしまっている人がいるのも事実だし、こういう行為をしながらもある程度の人望ある人間もいる。こういった事実がノイズになって、結局何が正しいのかわからないというのが生きづらさを加速させている。結局自身が正しいと思うことを行うのが一番で、その方が自身の信念に偽りがないので自我は保ちやすいのだろう。

―――世の中の理不尽や不都合を誰かしらのせいにしたがる

―――積年の恨みつらみの気持ちはものの数秒の謝罪の一言では晴れない

いたずらをされて喧嘩になって、大人に怒られてその犯人が謝った時、 ・何故か、「謝られた」ことで責任の位置が転倒し、自分が「許さないといけない」という責を負わされてしまう ・ただ「謝られた」だけで、自分の被害は何も回復していないのに、「水に流す」ことを強制される ということに、幼少時の私はよっぽどの「理不尽」を嗅ぎ取ったのだろうなと。

「謝ってるから許しなさい」という言葉の理不尽について。 | Books&Apps

―――器用貧乏・馬鹿真面目は割を食う、それ以上に上手い立ち回りが社会においては重要

248: 名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/12/05(月) 20:26:19.24 ID:qz3iMu8I0 私が日本に抱いていたイメージは、武士道、サムライ、強さ、礼儀、 そして無敵の男が持つ一分の隙もない精神力、そんなものばかりだった。 ところが日本に来た私は失望した。 確かに深い尊敬の心を感じたが、それは強さや精神力ではなく、 むしろ弱さから生まれるものだったからだ。尊敬の心が感じられても、 それは他人の人生を邪魔したくないと怖がっているからだったり、 他人の意見を聞きたくないからだったりする。 もう少し自分を出し、エネルギーを出しきって生きれば、 どんなに幸せになれるだろうかと思う。                        
ヒクソン・グレイシー

真面目な人ほど損をするよな。:哲学ニュースnwk

自由や楽しさから乖離した世界で勉強し、苦労した上で成り上った人は、その苦労があったから今の自分があるんだと主張することが多いが、これは自分の過去を肯定して自分の人生及びその選択が正しかったんだと納得したいが故の主張である。実際同じルートを辿ったものの志半ばで挫折して何も成し得ず、普通の生活は愚か、苦労に見合わない底辺の暮らしをする羽目になった者もいる。この場合は自分の道が正しかったということは受け入れられないため、間違いを誰かの責任として不当を主張するようになる。大きすぎる代償に引き換える生贄もまた大きいのだ。
結果論で考えれば、苦労は博打であり、どっちに転ぶかわからないゆえに躊躇い、普通の道を選択するのが多くである。ただ、道自体自分の意志で選択できず、成り行きでいばらの道を進んで潰れていく者もいる。そのフラストレーションは人間・感情ある生き物である以上発生し、歪みとなる。その地点になってみないとわからない事象に関して、軽はずみに「なんで?」は通用しないのである。

人生の頂

122 :名無しさん@涙目です。(山口県) 2011/11/06(日) 20:08:02.03 ID:prKoG/BV0 生きる能力が高いことも「頭が良い」ことに入ると思うんだよね。 すぐにくよくよして悩んだり、人とうまくやってけなかったり、そんな状態で「俺は頭が良い」と思ってるのがアホらしいわ

頭からっぽの方が絶対に人生楽しい、苦労して勉強して頭でっかちになって不幸になるとかバカみたい - 役立つちゃんねる

壮絶

人生は学校であるそこでは幸福よりも不幸のほうがよい教師である

幸福より不幸の方が良い教師である フリーチェ

―――ちょっとしたことで崩壊する安定

―――落ちていくこと、そして這い上がろうとして上に上がれないこと

昔オヤジが脱サラして失敗して、ハロワに通って前の会社の五倍は酷い条件の所に就職し、俺はその惨めな背中を毎日見続けていた。日に日に曲がっていく背中が痛々しかった。あんなことになりたくねぇと思ったな。毎日毎日。土曜も日曜も出勤してたな。何百万かの借金背負ってな。だから俺も毎日毎日頑張ったさ。それなりにな。宿題もやったし受験勉強もした。そこそこいい大学にも入った。オヤジのためにも、いろんな教養を身につけて、世界に誇る人材になるんだって思ってた頃もあったな。俺は違う人間なんだと思ってたこともあったな。でもそんなことにはならなかった。勉強しても勉強しても、俺は「一般人」というカテゴリから離れるほどの場所に行けなかった。なんだ、たどり着けねぇじゃんかよ。百年間学生やってもいいんだったら、やるけどな。四年しかねぇ。そして三年も半ばになって、何もないことに気づくんだ。なあ、たどり着けないところまで行くために、俺たちは何度絶望すれば良い?一分の隙も無いほど毎日勉強したとは言わねぇぜ。そんなに思い上がっちゃいねえ。でも結果だけを見たら失敗だ。毎日毎日、オヤジの情けない背中をまるでカーボンコピーしたような、情けないスーツ姿で玄関を出て行く。怠惰だけが俺の罪だったかい?それとも夢を見たことが罪だったかい?夢でご飯は食えるかい?なあ……教えてくれよ。結局俺たちって、その他大勢なんだぜ。選ばれた人間なんじゃない。選ばれることすらない人間なんだってな。宝くじを買っても一文字も合いやしねぇ。年賀状のお年玉もあたらねぇ。切手シートすらもらえやしねえ。なあ、俺たちが「選ばれし人間」になるまで、何枚年賀状をもらえば良いんだ?俺たちは負け組だ。なんの名前も残さずに死ぬ。臆病者の名無しの増田だ。自殺すらできやしねぇ。電車の一本も止められねぇ。それが俺たちだ。

就活で自殺するぐらいなら就活する前に自殺しろ

―――生きづらさを「死にたい」と思いながらも懸命に生きる人を蔑ろにして発言することの軽率さ

稀にメディアで身投げによる人身事故が報道された際に、その遅延の影響にいら立った人々から「一人で勝手に死ね」「時間・場所をわきまえろ」といった趣旨の投稿が出て、それに対してコメンテーターが「心が弱っている人間にそのような発言をするのは自殺を誘発させて良くない」との趣旨の発言が出る一連の流れがある。この流れに対しては違和感があり、誤解を招かぬよう最後まで読んで欲しいが「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった人が、あれほど生きたいと願った明日」という旨の言葉があるように「あなたが空しく死んだ今日は、死にたいと日々苦しみながらも懸命に生きている者の足を引っ張った今日」との言葉もあると個人的には考えている。シビアだが、シビアな世界に生きている故、この世は生きている・生き残った者の世界である。ただ、軽率に自己保身のために他人を悪人に仕立て上げ、思い通りにいかなければそれを何かのせいにして批判しなくては生きていないのであれば他の人の足を引っ張ることになる。ひいては、それを恐れて生きづらさを感じている人もいるため、結果的には同族嫌悪であって自らの言動により首を絞めているに過ぎない。ガンジーが「目には目をでは世界が盲目になるだけだ」と言ったとされるように、誰かからの評価や自分の落ち度を恐れて他人や社会を批判して敵対視するようでは、結果自分の生きづらい環境に従って自らその風潮を推進しているだけであり、この世はより不合理で苦しい世界になる。

―――自然界はピラミッドが成立する、人間界でも同様

この世には、人や環境、時代や文化など、当人の"できなかった"言い訳となり得る要因で溢れている。そういった負の心の拠り所たらしめるものがあるからこそ自我を保てる部分はあるだろう。それと同様に、学校や会社組織の中でも何らかの序列が発生し、スケープゴート的にヒエラルキー構造が生まれる。自分より下がいる安心感、そういった存在によって社会が回っている部分があるのは承知のことだろう。そうして自己を保ち、心の安定の上スキルアップをしていく人は多いと思われる。言うなれば、それだけ社会には人がいて、各々が小さい戦争、戦を繰り広げている。他人を使ったり使われたり、そういう所に生じる違和感さえ何らかの要因を言い訳にして日々やり過ごしているのが現状。多くの人は、自己保身のために何かを犠牲にする修正が見受けられる。これが正直に、素直に生きることの難しさ、自身の持つ信念や「けしからん」と思う所以の根源である。

―――反出生主義に見る人生への責任の重さ

―――人は生まれながらにして罪を背負っているのか?

―――狭い世界に生きて自分に嘘をついて脳死で出過ぎた行動をすると、広い世界では嫌われて制裁を受け「誰もお前を愛さない」状態になり孤立する

狭い環境で生きていて、特に芸もない、そこまで頭も良くない状態であれば、そもそも「何が面白いのか」また「何が悪くて何がいけないのか?みんなそんな感じで悪さをを働いたりするじゃないか?何が違うの?」という点を理解していないため、限度を知らずに「やってみたら結果面白いかもしれない」というぼんやりとした浅はかな考えで行動して、結果どうなるのか、どういったリスクが考えられるのかまでを考慮しない。いざそれによって自分が悪者になると居直って悪態をつくことも考えられるが、それは翻って考えると当本人も生きることに苦戦し、自分の身の振りや社会の本質がわからない状態に悪戦苦闘しているということなのだ。未成年ならまだしも、成人後も身の振り方がわからず、自分の成長にもつながらない罪の上塗りをした上、屁理屈で正当化しながら何とか生きているものもいるが、総じて人から煙たがられ、嫌われるものだ。

希死念慮

「実行には移さない。決して実行しないという自信もある。それなのに、なんとかして消えてしまいたいという感覚が、実際に自己をすっかり支配している」
私は言葉を選びながら、ゆっくり話した。「悲観や絶望に陥らずに、毎日、できることをやり、少しずつでも進むことが大切であることも、解決法はそれだけであることも知っている。それなのに、自分のどこか根幹の部分が、どうにもならないほど疲弊していて、進むことができない。疲れきって動けない。これではいけないとは思う。いつまでこんなふうに苦しみ続けるのだろうという思いが圧倒的になってきて、なにもかもを終わりにして、世の中から消えることが、理不尽に永久に続くかのような苦しみを終えるには唯一の方法であるようにも思えてくる」

希死念慮と向き合う | 社会不安障害と向き合う

躁鬱病で自殺した先輩がいたのですが、最後のツイートが「自殺した可能性があるのでこちらの住所まで確認を」という内容でした。
タイマーを仕掛けて6時間ほどツイートがなければ自動で書き込むような設定にしていたそうです。
本当に有能で魅力的な先輩でした。
遺言としてはそういう方法もあるでしょう。

Twitterの「亡くなられたユーザーに関するご連絡」機能、ほとんど利用されず | スラッシュドット・ジャパン IT

―――安楽死の概念

下記記事では安楽死について述べられている。安楽死を掲げる数カ国について、重度障害ではなくうつ病などの精神病による自殺についても安楽死が行われており、イギリスの例では、家族が身内の自殺幇助を行ったとしても罪に問われずに不起訴となる例も見られた。また囚人にも安楽死が設けられ、安楽死後による臓器提供も自己決定権によって進められているようだ。

―――「生まれて来なければ良かったなんて誰だってそう」現在進行形でもどかしく生きる人たちが頭に思い浮かべる希死念慮

「死にたい」という言葉は正確には「楽して幸せに生きたい」である。ある種、こういった悩みが適度であれば新たな道を開くきっかけとなったり、トリガーになる。不便な環境から便利さを求めて人々が新たな製品やシステムを開拓して利用するのと同様である。

―――ふとした思い付きで死に至る

―――ふと我に返る瞬間、自殺1秒、人生一生

―――死ぬことはいつでもできる

―――過去に執着せずに日々更新していく

多くの人は「死にたい」と思っても具体的に実行した人の割合は少なく、もし思考停止に陥るほど精神的に脆弱な状態に陥ったとして、そこでぱっと思いつく考えが「死」である。どんなに心の中で自分は自我を持っていてこれまで生きてきたという自負があったとしても、自分一人の考えや言動ではのっぴきならないのが社会の辛さである。ここまで貧相になると、通行人にもおびえ、些細なショックも致命傷になりかねない状態になるため、さらに内向的で無気力に陥る。ただ「死」以外の選択をして、新たな安定した道を築くことが出来ればそれが自分にとってのベストアンサーとなる。そうして心に余裕が生まれれば、過去の辛さも笑い話にし、受けた与えた罪と罰にも寛容で前向きな行動を取ることが出来る。

私はいじめられた小中学生の時に、20歳の自分を想像しました。
今こんだけ辛いってことは、20歳の自分は凄く綺麗でモテモテで人気者で幸せに生きてるはずだろうなって妄想しました。
20歳を迎えた時、あーちゃんと20歳になった。昔妄想した自分になれてるかはわからないけど、でも私生きててよかった。今は楽しいと思える、幸せと思える。夢も持ててる。
そうして、今はTBSアナウンサーにもなれました。
諦めなくてよかったよ。

相談は踊る | 林みなほのMinaho’s diary | TBSブログ

卒業後、モノづくりがしたくて、出版社に入った。 それは、最初の3年だけでは仕事人生決まらない - レールを外れてもまだ生きる - 派遣OLブログの方と同じだ。 そして、何年か働いて、過労で病気になって、退職した。 自己管理できないバカ、乙。よくある話だ。 正直、病気で退職すると、その後の仕事人生は、非常にハードモードになる。 再就職うんぬんの前に、純粋に働けない。 病気の状態から社会復帰するまでは、とても苦しんだ。 治療中という名の、無職ひきこもり期間ももちろんある。 いきなりフルタイムでは働けなかったので、働く時間数を選べる仕事なら何でもやった。 選挙事務所の臨時バイトから始まって、TSUTAYAバイト(週3)、パソコン講師(週3~4)、今の仕事(週5)と、徐々に働く時間を増やしていった。 今はめでたく週5で働き(それでも7時間)、何とか一人暮らしできる収入を取り戻した。 「あれっ?これだけじゃ、レールを踏み外したら人生ハードモードで終了って話じゃん」 いや、まだ続きがある。 今の会社は小さい会社で、従業員は10人以下だが、年商3億。 会社の事業内容や、社長の働きぶりを見て思う。 「こういうお金の稼ぎ方があったんだ」 身バレが怖いので詳しく話せないが、元手ゼロで在庫も抱えず、生きるのに十分どころか社員を雇えるほどお金を稼ぐ方法は、結構世の中にあるのだ。 もちろん、詐欺とかマルチとか違法行為ではない。 お金が、成果と労働時間への対価なのは、会社員だけだ。 会社での労働時間に縛られず、アイディアへの報酬への対価としてお金を手に入れる方法も、知られていないだけでたくさんあるのだ。 できたら、そのことを社会人3年以内に知りたかった。 そうしたら、会社にただの一歯車として、体を壊すまで消費されて放り出されることもなかったのに。 だけど、高学歴だと、意外とそのことが分からない。 「大企業で正社員として働く」もしくは「社会的に成功していると認められる形で働く」ことしか選択肢にない。 事実私も、病気になった後、人生リベンジをかけて、資格試験の勉強をしていた時期もある。 そして、自分が自分を、最も責める。 「あの時やめなければ、もっと恵まれた人生だったのに」「こんなに落ちぶれたのは、周りには自分しかいない」「再びレールに乗れることなどない」「もう同窓会など行けない」 プライドが高ければ高いほど、苦しい。 だけど、その思いを捨て去ることができれば、仕事人生はぐっと楽になるし、面白くなる。新しい道も見えてくる。 私も、もっとお金を貯めて、レールを踏み外した人たちが楽しく働ける会社を作りたい。 独身男女が高齢になった時、居場所になりそうなシェアハウス的共同体も作りたい。 バカな妄想でも、アイディアはどんどん出てくる方が楽しいし、夢が広がる。 レールに乗っていた頃は考えもしなかったことだし、挫折したからこそ、考えが至るようになったこともあるのだ。

最初の3年でレールを踏み外した方が仕事人生は面白い - しろぐらまー

―――二兎を追う者は一兎をも得ず

すべてを効率よく手に入れられるだろうという慢心が沸くと、その欲望のまま中途半端な思考と謎の自信で当たって砕けてしまう。塞ぎ込んですべてを引っ込めてしまうのは死と同義で、生きていれば中には時間が解決するような問題もある。銀行預金と同じく、生きているだけで多少は利益が出るような要所はあるのだ。そのためには、周囲の人間と肩を並べた生活をまず行い、その中で安定を図った上で次の手を考え、余裕がないときのために余裕があるときに動くべきなのだ。

夫婦仲が悪く、仕事も上手くいかなくて、借金は増え、子供たちもにも見放され、友達もいない、信頼できる人は死んでしまい、どん底の状態だ、という場合に、夫婦仲を戻す、仕事を上手くいかせる、借金をしない、子供たちに戻ってきてもらう、友達を作り、新たに信頼できる人を探す、というようなことをすべて実行するなんて到底不可能だ。だから、もう駄目だ、と思い詰めている。そういう人が、たとえば、子犬を一匹飼うだけで、一時的にでも問題が解決するかもしれない。この「一時的」が大事である。僕は、生きるということは、そういうものだと感じている。

MORI LOG ACADEMY: 空気なんか読めなくて良い

―――長く生きていけば思いがけぬことも起こる

下記記事では10年以上引きこもり生活を送っていた男性が介護職を始め、後に結婚にも至るが、最期には一人になってしまう。それでも失った10年以上の経験を得て決して虚しい結果ではないと自負している模様だ。

メンタルヘルス

「辛かったら逃げろ」じゃなくて、「こっちに居場所作ったからこっちで生きよう」って言ってくれ

辛い人に向かって「辛かったら逃げろ」とはよく言うけどそうじゃなくてこう言って欲しい、という意見に同意の声 - Togetter

―――ただ穏やかに暮らしたい

―――肉体と精神の同異

―――答えのない人生を頭を抱えながら生き抜く悩ましさ

何が正しいかを知らないとメンタルに不調をきたす。そういう意味では虚構も現実も同義で、映画を1本見るにしても内容のきついものは観るのに精神力が必要となる。ショックな出来事や焦りや不安は、ある程度メンタルが保たれているときであれば身の回りを改善するためのトリガーになるが、自分に自身が無くなり行く末に不安を感じたら立ち直れなくなる。エアコンはつけると寒いし消すと暑い。人間の感情、欲も同じで、ちょうど良い期間はただ1つに定まらずに過ぎ去ってしまう。

―――癌よりも多い自殺による死亡

―――その時々の気分で思考回路さえも180度変わる脆弱さ

「自分を雑に扱う社会がおかしい」って誰かがここで叫ぶくらいいいじゃん、と物分かりのいい日と、「その程度の不満なら自分も別件で長いこと我慢してきたぞ」の日を繰り返しながらみんな毎日を生きている

[B! 増田] 鍋のレトルトスープ買おうとしたけど2人分からしか売ってなくて疎外された気分になった

―――支え合っていきましょう

おまいらが勇気づけられた言葉ってある? gimpo.2ch.net/test/read.cgi/lifesaloon/1228867788/l50 75 名前: ななしのいるせいかつ 投稿日: 2009/07/19(日) 07:03:08 自分でも理由は分からないが、気が付けば仕事やる気を無くして 会社を欠勤し、それが数日続いたある日の夜、怖面ての上司が自宅に来た。       最後通告かな、と思いながら、上司の行きつけらしいショットバーへ連れていかれた。 案の定、会社に出て来ないオレを気に掛けてた様子で、 オレはなぜかやる気が出ない事を正直に話した。 辞めようか悩んで居るとも。 ヤクザ顔の上司から意外な言葉が返ってきた。 人間は自分で思ってるよりもギリギリのバランスで生きてるんだよ。 走れば走る程、それだけバランスを崩し易くなる。 周りが見えなくなる。 少しだけ運が悪かったり、少しだけ考えが及ばなかったり。 体の痛みや疲労は分かっても、精神の痛みや疲れは分かりづらい。 他人の事なら尚更だが、自分の事は我慢してしまう。 お前は今少し心が疲れてるだけだ。 治るまでゆっくり休め。 いつか治った時、痛みを知ったお前は少し強くなる、その分人に優しくなれる。 痛みを知った者が、次に傷付いた者を癒す薬になれるんだ。 だから今は休め。いいから。な? んで、いつかオレが疲れ果ててたら助けろよなwww オレ泣いた。

育児板拾い読み@2ch ギリギリのバランス

―――メンタルの不調は気づきづらい

―――優しさは余裕、自分に余裕がなくては他人に親切をするにも億劫

―――卑屈になるな自負心のある謙虚であれ

―――ネガティブな発言は控える

1回言われただけなのに100回言われた気分。残りの99回は自分で再生ボタンを押しているのね。

記憶|禅的心の悩み解決法

―――逃げるは恥だが役に立つ

―――モチベーションの下限を決める

肉体のストレスなんか大したことないんです。要はメンタルのストレスで疲れは決まる。毎日2本、3本とヒットが出れば、疲れるはずなどない。1時間のマッサージより、1本のヒットがストレスを解放してくれるものです。

イチロー「心折れた」11年を振り返る - MLBニュース : nikkansports.com

―――1日よもや1秒単位で気分の変化は起こる

ストレス

―――過度なストレスは生活を荒廃させる

―――過度なストレスは人生を停滞させ、やがて停止させる

―――人が壊れる前兆

―――欠落こそ我が哲学

人間は、「当たり前だと思っているものが自分に欠けていること」にストレスを感じますが、逆に「当たり前だと思ったものを手に入れたら、今度はそれが思い通りにならないこと」にストレスを感じてしまうものなのでしょうね。そして、「それが自分に欠けていた時のこと、それが欲しかった時のこと」をきれいに忘れてしまう、ということですね。

未婚ストレス”の原因は、無償の愛を求めすぎ | キャリワカ:トレンド | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

虚言癖

虚言癖の人に初めて会ったときは結構な衝撃だった
話していて30分もしないうちに辻褄が合わなくなってくる
ついさっき死んだって言ってたはずの人がいつのまにか生きてる設定に変わっていたり
何がなんだかわからず混乱
立場上突っ込めない相手だったので内心ゾワゾワ半ば恐怖しながら聞いていた
今は完全にその人とは縁が切れたけど、その後虚言癖スレスレでやたら話を盛る人に二人ほど会い、
わりといるものなんだということにも驚いた

虚言癖 - 続・妄想的日常

ルノアールで若い女の子四人の会話1「もう最終で滑るとか本当馬鹿だよーもうみっともないわ自分まじクソすぎる」2「私も第一志望駄目だったよー。切り替えていかなきゃねーつらいけど」1「うん…でももう他にやりたいことも夢もないしドン底だよー」3「1ちゃん、ウチのパパ××(有名な株式会社の社名)の人事部と知り合いだし言ってみようか?」1「嘘!?本当に!?本当に!?いいの?本当に!?そんなこと出来るの!?」3「うん、パパに電話してくるね」女の子3が席を外したらずっと黙ってた女の子4が「また出ちゃったねー虚言癖」と言って女の子2も「あれ病気だからさ、可哀想だけど真に受けちゃ駄目だよ」と言っててまさかの展開で聞き入ってしまった

まさかの展開 - 続・妄想的日常

―――現実逃避のうちに虚言癖が加速する

―――堂々と素をさらけ出すことで胸のつかえを取り除く

208 :没個性化されたレス↓:2007/10/16(火) 23:53:52
親が厳しくてテレビや友達づきあいなどを異常に制限されて育った俺は
親に自分の欲求を隠すために嘘ばっかりつく人間になった
そんなことではいけないと思い、25歳から風俗嬢などに
素の自分の趣味や好みや欲求をカッコつけずに話す訓練をして
その結果別にバカにされないということを学習し
2年位でうそつき癖は直った

虚言癖が止められない・・・

メンタルケア

―――不安の断捨離が必要

不安で悩んで苦しみ、自分の中でもがいても答えは出ないし、そもそも自ら課題を生み出して勝手に苦戦しているだけで、実際周囲はそれほど事を重んじていないし、解決策を切望している訳でもないことに気付いた方が良い。答えのない問に答えようとしたところで正解は存在せず、一番正解に近いと思われる回答を自分の中に持っていて、余計な問題を増やさニアようにするのが上手くやり抜くコツと言えるだろう。くだらないことに頭を悩ますよりもっと有益なことに思考を割いた方が良い。

―――睡眠剥奪は記憶定着を妨げる

失恋から夜通し酒を飲み明かすなどの話はよく聞く話ではあるが、寝ることが記憶定着であるから貫徹せずに受験生は睡眠をとった方が良いということもよく聞く。ただ一方で軽い出来事程度であれば変に頭を抱えるよりも寝て一度リセットしてしまった方が良さそうだ。

―――思考を整理するには真上を向くのが良い

―――占いはほぼカウンセリング

まず占いに何回か通ったのだが、基本的に良い事しか述べず、不安で来ている人が多い分相手の悩みに対してそれを安心させるためのメンターという要素が強く、未来予知などスピリチュアルでは絶対ないと確信した。技術的な占いの面で言うとこれまたピンキリで、どう考えてもこちらの言い分がわからずに的外れな結果を占う人もいた。

―――趣味や楽しみが人生を助く

私の母はストレスが限界に達すると頭がぽぽぽぽーんってなってしまうのだが、
いままでずっとそれを間近で見てきてやばいなって思うパターンが、
何かきっかけとなる出来事が起きる

その出来事によって生じたストレスを発散できず、ひたすら抱え込み思い悩む& 過去のいやなこと、ストレスも芋づる式に引っ張り出して不満が溜まりまくる(※この段階で身近な人が話を聞いてあげたりうまくストレスを笑いに変えたりできればまだ軌道修正が間に合う)

考え続ける、そのこと以外考えられなくなる
(※この段階だと思考が逸脱してくるので会話が噛み合わない、軌道修正不可)

夜寝なくなる(※いちばんやばい段階、もう無理)

ぽぽぽぽーん
これをいままで何回も見てきた……。
人間、ひとりでは生きられない。インターネットでも現実でもいい、とにかく話を聞く相手が必要。
会話が無理なら、書く。文章が無理なら絵なり、手芸なり、掃除なり、とにかく出す。感情を出す。ぶつける。
あと寝る。とにかく寝る。あと考えない。考えちゃだめ。ドツボにはまる。
そうしないと、案外ひとはかんたんに壊れてしまう。

寝るのめっちゃ大事

酒や煙草は健康に悪く、長生きできないなどと嫌煙されることがしばしばあるが、実際は今日この1日・明日を生き抜くためにそれが必要であれば、いつまで生きるかもわからない未来よりも現時点の方が重要だ。衣食住という必要最低限の無駄のない暮らしの中で、娯楽や嗜好品が何よりも生きること及び人生の豊かさに寄与していると言える。

生きがいを感じて暮らしている男性は、精神的ストレスがあっても脳卒中で亡くなるリスクが大幅に低い

asahi.com(朝日新聞社):「男の生きがい」ストレスに勝つ? 脳卒中の死亡率減 - サイエンス

―――なんとかして元気を出す

精神病

精神病から回復してくると、患者さんは「しみじみと淋しい」と訴えるのだそうだ。この「しみじみとした淋しさ」を受け入れていくことが、生きていくということなんだ……ということが書かれており、そうだよなあ……と思った。

田口ランディ公式ブログ - おとなのさびしさ、子どものさびしさ

ある精神科医の書いた本を読んでいて、おもしろいなとおもったのは、病気が治りそうになると、治療にこなくなり、他の病院へ転院してしまう患者がいるということだった。理由はもちろん、「このままだと本当に治ってしまうから」である。病気が治るのは、実はけっこうつらいものだ。今まで、病気だということで免除されていたあれこれと、現実的に向きあわなくてはいけなくなるからである。就職はどうする。税金を払え。結婚をしろ。子どもは、家は、生活は。それならば、いっそのこと病気でいいやと、つい考えてしまう人がいても、おかしくはない。病気はくるしい。しかし、治るのもけっこうしんどい。だったら、今のままでいいや。これは、たしかに想像がつく。 誰もがしあわせになりたがっている、というのは、たぶんまちがっている。幸福も、けっこうたいへんなのである。逆に、「また失敗しちゃった」とか、「やっぱりだめだった」というのは、とても安心なのだ。もし、今までに経験したことのないような、ものすごいしあわせを手にいれてしまったら、自分はいったいどうすればいいのか。このままだと、冗談じゃなく、本当にしあわせになってしまう。どうしよう。そんな、よくわからない状態で、未知の幸福の前で立ち止まり、うろうろしている人を、わたしは今までに、けっこう見たような気がする。 わたしはおもうのだが、そうやって、失敗することや、負けることが癖になってしまうのは、すごくこわいことだ。負けることに安心するのはまずい。なにかに挑戦して、失敗すること自体はぜんぜんかまわないが、うまくいく方がいいに決まっているからだ。目の前にしあわせの可能性があるときは、手をのばしてちゃんと取るべきである。そっちの方がぜったいにいい。

2005-11-30 - 空中キャンプ

―――心療内科・精神科の良し悪し

統合失調症、うつ病、発達障害などの精神疾患を持つコンボ会員対象の調査では、約4割の人が信頼できる精神科・心療内科などの医療機関、医師を見つけるまでに5年以上を費やしていた。

医療機関の評価を可視化 病院選びをサポート 西田佐保子 / 毎日新聞 医療プレミア編集部2016年2月2日

新卒で入った仕事によって自信を完全に喪失し、心療内科に行ったことが数回ある。事情を話し、なんとか薬を手に入れたが記憶や行動に関して特に変化はない。別の心療内科でも同じような薬を渡され「ストレスが原因だとは思うのですが…」と、反応も同じ感じであった。脳外科へ行き、CTとMRIを見ても異常なし(海馬の萎縮などもない)。ここで再度「心療内科で見てもらっては?」と訊かれ、ループに陥りそうになった。
結局、無駄に「まだ薬残ってます」「では今回薬出さないので様子見ましょう」といった5分程度の診察で1000いくらか診断料取られたり、根本的な原因を解決しない限り病院にかかっても何も解決されないんだと気が付いた。

―――精神科、心療内科、カウンセリングの違い

不安障害

―――パニック障害とPTSD

パニック障害が何の前触れもなく不安や恐怖心が沸いて精神症状が発作が起こるのに対し、PTSDは過去のトラウマが原因となって発作が起こるという違いがある。どちらも発作が起こるのではないかと言う不安から発作が起きてしまうようだ。ベトナム戦争帰りの米軍はゲリラ戦の経験から、物音に過敏になったり妄想するようになった人(PTSDを発症する人)が多いらしい。

逃げ場の無い状況とは、飛行機や電車、トンネル、歯医者、人が集まった会議のような場、等々。単に逃げ場がないというよりも、それプラス、何か粛々と物事が進んでいて中断できない、というときが多い気がする。特定の状況で発作が起きるトラウマみたいなものとも違って、起きる条件はぼんやりしている。
なったことがない人にとっては、理解がしにくいことだと思う。なぜなら、「何から逃げたいのか」がよくわからないから。電車内で包丁を持って暴れている人から「逃げる」のはわかる。トラウマのようなものならある怖かった場面の記憶がある。しかしパニック障害の場合は、もうその「逃げ場がない」という状況自体がこわいのだ。不安になることに対して不安になるのである。
ちなみに「パニック障害=パニックになりやすい」というのは正確には間違い。普通の人が本来パニックにならないような状況でパニックになる、ということであって、普通の人が本来パニックになるような状況で、意外と冷静沈着かもしれない。たとえば、電車が定刻通り発車して車内も何事もなく平和なときにパニックになるのであって、包丁を持って暴れている人がいても必ずしもパニックにはならない。

パニック障害が楽になったいくつかの理由 - 寝太郎ブログ

―――PTSDには治療法もある

鬱病

―――みんな、鬱

―――鬱の後には躁が来る、その後にはまた鬱が

―――鬱だけが原因とも思えない辛い人生

下記記事では職場でのパワハラによって鬱と謳って退職後、孤独を感じて居た堪れない独身中年男性の話が綴られている。
メンタル面の回復に孤独を出しようと模索する男性だが、自分に付いてくる人がいないこと、居場所がないことに気が付く。文を読んで感じる印象としては、自身の改善すべき点を治さぬまま過ごしてきたつけが回ってきたように思える。それが原因で鬱々とした展開が待ち受けていたのではないかと思うエピソードが多く、振り回される周囲を意に介せず一方的に自己都合で人と接していると見受けられる言動が目立つ。
実際に鬱と診断されたわけではない男性は交流を求めるが、交流の中で自身の改善すべき点を改めて接していかなければ上手く軌道に乗るのが難しいだろう。自戒を込めて読むと良い、身につまされるエピソードだ。

―――うつ病になると判断力が鈍る

1.判断力低下は想像以上に怖い うつで一番恐ろしいのは、気分が憂鬱になることではなく、判断力が低下することです。 判断力が落ちるとどうなるかと言うと、自分が健康なのかどうか判断できなくなり、仕事を休むべきなのかどうかで判断を誤り、病院に行くべきな のかどうかで判断を誤り、良い医者かどうかで判断を誤り、周りの助言は正しいのかどうかで判断を誤り、自分は絶望的な状況にあるのかどうかで判断を誤り、 生きるべきか死ぬべきかで判断を誤ります。 そういったときに自分の健康状態を把握するのは大変難しいということを認識した上で、たとえば、一日に5通メールが書けなくなったら要注意と か、未処理の案件が5件以上何日 も手付かずでたまる ようになったら通院するなど定量的に判断できる基準を作っておくと良いと思います。

プログラマーが知っておくべきうつ病の知識 - aikeの日記

―――うつ病の発症傾向の違い

―――うつ病は目に見えない

下記は実際に深刻なうつ病に陥った方のエピソード、知見である。
長文だが、全文読むことを推奨する。
最終的には、皮肉にも父親の死がきっかけになって寛解し、そこからはどういう経緯かはわからないが、農業に従事しているようだ。
薬やカウンセリングではなく、抜本的に意識的にうつ病から抜け出すきっかけが見つかることが重要。何か行動を起こすことが現状を変えるきっかけにつながるとしているようだ。自発的に動き、改善しなくてはならない。

長くなります。よかったら読んでください。 まず、私から提案したいと思います。 私の家に遊びに来ませんか。鹿児島県のとある田舎町で農業を営んでいます。新規就農してからまだ半年余りなので、アルバイトをしながら何とかやっている状態ですが。 独り者です。バツイチです。質問者の方が男性でしたら、何日か泊まっていただいても構いません。 柴犬と猫とヤギ、ニワトリがいます。 以下、陰鬱な内容を含みます。耐性の無い方は読まれない事をオススメします。 私もうつ病でした。 それも重度のうつ病でした。主治医には、最終的には脳に電極をつけて電気ショックを施すことを勧められたぐらいです。 入院治療も2度行いました。 最初の入院は、自殺未遂をしてから運ばれました。施錠された病室に隔離されました。常にモニターで監視されていて、トイレなどハナから丸見えです。 1週間の後、一般病棟に移りました。 職場には、主治医からうつ病の為3か月の休職が伝えられました。 2週間後くらいから、躁状態に入りました。 室内では腹筋、腕立てを繰り返し、外出許可をもらってはランニングに勤しみました。 自分自身が何故うつ病になってしまったのか自省し、退院してから復職する迄のやるべき事リストを作り上げました。 前向きな様子を見て、主治医も退院時期を前倒しにしました。 一月後、退院しました。 退院してから、先ずは主夫業に精を出しました。 過剰なまでの不安と心配を与えてしまった妻の為、早起きして犬と散歩に行き、朝ごはんを作り、掃除、洗濯を済ませ、夕ごはんの買い出しに行き、夕ごはんを作って妻の帰りを待ちました。 週に2回の通院は、あえて15キロの道のりを自転車で通いました。散歩にも出かけ、野の花や小鳥なんかをスケッチしたりもしました。 全てはうつ病を克服するためだけに、日々を過ごしました。認知療法、行動療法、薬物療法すべて行いました。 1か月後、再発しました。 休職期間も残り1か月ともなると、緊張と不安が絶え間なく襲ってきます。また寝れない日々が続きます。食欲もなくなり、何をするのも億劫です。 復職1週間前ともなるとある思いが心を支配します。 (死にたい…) とにかく私は死にたかったのです。 いわゆる、希死念慮です。 簡単に言うと自殺願望なのでしょうが、色んな自殺の方法を探りました。 結局は首を吊る事に落ち着きました。 妻の居ない日中に、何度も何度もタオルなどで首を吊りました。でも死に切れませんでした。 勇気を振り絞って復職しました。 3か月ほど働いたでしょうか。職場での日々は、私にとって正に地獄でした。常に緊張していました。頭が上手く回転しません。真っ直ぐ歩くことさえままならず、何故か柱や机の角にぶつかりました。トイレに用がなくても頻繁に入り、周りの好奇な目から逃げました。その度にトイレの窓から飛び降りたい気持ちになりました。自殺を試みた人間に対して、同僚は腫れ物に触るように対応します。 毎週末、今日こそはと思い、首つりを繰り返しました。しかし、最後まで出来ません。 私は思い込みの世界で生き、想像の世界で苦しんでいました。 自殺未遂をしてから、うつ病と告知されてから、いやもっとずっと前から私は、私自身の妄想に自縄自縛の状態でした。 あいつは仕事が出来ない。 あいつのせいでみんな迷惑している。 自殺未遂するぐらいなら仕事を辞めればいいのに。 それでも上司は私を励まします。 君なら出来る。死んだ気になってがんばりなさい。みんな君の事を心配しているんだ。恩返ししないとね。 妻も私を励ましてくれました。 折角、頑張って公務員になったのに、今辞めたらもったいないよ。家のローンはどうするの。その年から転職なんて出来ないよ。あなたの大好きな柴犬も手放して、動物も飼えないようなアパートに移る事になるよ。今が頑張りどきよ。 私はもう限界でした。いや、もうとっくに限界だったのでしょう。主治医からは兎に角強い睡眠剤と抗うつ剤を処方してもらいました。 起きていても何時もボーッとしていました。 漢字もどう書くのかよく分からなくなりました。 ひらがなさえ、「あ」と「お」の違いさえよく分からなくなり、度々授業中の計算ミスを子どもに指摘されました。 ある日、子どもに問いかけられました。 「先生、なんで死のうと思ったの?前の先生が、H先生はぼくたちのことが嫌いで死のうとしたって言ってたけど、本当?」 「そんなことないよ。死のうとなんかしてないよ。」 咄嗟に取り繕いました。 代行の先生が、断片的で恣意的な情報を子どもたちに伝えていたようでした。 再休職することになりました。 うつ病の原因は今だからよく分かります。 新しい学校に移動したものの、子どもたちと以前のような信頼関係を築けないことからの自己嫌悪。 同僚とも良好な関係を持てないことからの苛立ち、不安、不満。 それらから派生するように、仕事への自信喪失。 40過ぎても子どもを持てないことへの落胆。 35年住宅ローンの重圧。 自分の故郷が地震と津波で壊滅的な状況なのに、何も出来なかったことへの後悔。 妻とも友人とも、会話が噛み合わないことからの孤独感。 当時の私は客観的に見ても、八方塞がりでした。 でも多くの方たちも、多かれ少なかれ40も過ぎれば仕事や家庭で問題を抱えています。しかし、うつ病にはならないでしょう。だからこそ私は私自身に失望しました。失望感は再休職したことからさらに募り、積み重なった失望感は、絶望感へと集約されました。 再休職して、私はまさに生きるしかばねの様でした。 以前の休職期間のように、前向きにうつ病治療をすることも有りません。ただ、ただ死なないように生きているだけです。 誰かの歌詞にあったように、 私は小さく死にました。 当時の私は死にたいと云うよりも、「楽になりたかった」のです。 40も過ぎて再休職し、再び同僚や子どもたちに迷惑をかけ、上司の配慮や期待にも応えることが出来ず、その上、妻への罪悪感は筆舌に尽くし難いものがありました。 いつ自殺が成功しても大丈夫なように、定期的に遺書を書きました。妻への謝罪、同僚たちへの謝罪、両親兄姉への謝罪、毎日毎日こんな自分が生きていることが申し訳ありませんでした。 妻は週末になると、神社へとわたしを連れ出しました。近所の神社、箱根神社、鶴岡八幡宮、春日大社にも行きました。 2時間で2万円もするカウンセリングも受けました。 主治医から処方される薬は、5種類まで増えました。病院でのカウンセリング担当医は、大学を卒業したばかりのような若い女性です。彼女なりに真摯に私と向き合ってくれましたが、私は彼女から助けてもらえるとはとても思えませんでした。主治医で院長でもあった先生は、薬を処方するだけです。もしうつ病が治らず、教員を退職する事になったら精神障害者として生活保護を受けるしかないと言われました。 一向に良くならない私の状況に、妻は失望し、疲弊しました。あとで知った事ですが、リストカットなどの自傷行為をしていたようです。 毎晩、妻から叱責をされるようになりました。 このままだとどうなるか分かる?あなたがうつ病を治さないとどうなるか分かる?いい加減、治してよ!どれだけあなたが沢山の人たちに迷惑を掛けているのか分かる?だから早く治して! 時には包丁を持ち出され、一緒に死のうと懇願されました。 一度、人は道を踏み外すととことんまで堕ちるのだと思いました。しかも、底がありません。どこまでも堕ちるのです。 生き地獄でした。 翌年の4月、私は別の学校に移動し復職することになりました。 私は私を偽りました。うつ病は治っていません。しかし、治った事にしないと妻がもちません。 治ったと偽り、主治医にも復職を許されました。 復職して、3週間後の朝、自宅の梁に電気コードを括り付け、椅子を倒し首吊り自殺しました。 死んでいませんでした。 気づくと愛犬の柴犬が必死に私を舐めていました。 何も見えません。呼吸が止まっていたのでしょうか。私は必死に呼吸をしました。呼吸を繰り返し繰り返し行うと暗闇に光が差し込んできました。 何故かコードは解けていました。今際の際で、コードを解いていたようです。しかし自分が何をしたのか暫く理解できませんでした。失禁していることに気づきました。脱糞までしていました。眼球は出血し、白目部分は真っ赤に染まっていました。左半身が上手く動きませんでした。 その日、再入院することになりました。 主治医から、電気ショック治療を勧められました。一定の効果は期待できるが、全身に激しい電気ショックが流れるので多少の骨折や記憶の欠落などのリスクは覚悟してくれと言われました。妻の反対で行いませんでした。 もはや、自分が何をしたいのか、生きたいのか死にたいのか全く分かりません。ただただ矮小で卑屈で社会のゴミのような存在だと思いました。 生きている意味などあろうはずもありません。 でも私は生きていました。あの日以来首を吊るのも止めました。何も考えず何もせず、出されたものを食し排泄し、夜になれば睡眠剤でぐっすり寝て朝になれば看護師に起こされ、何もない1日が始まります。 2か月後退院しました。暫くして、教員を辞めました。無職になりました。新築の家も売りに出しました。妻には当然ですが、見放され東北の実家に帰ることになりました。実家にはまだ思春期の姪たちがいたので、兄がアパートを探してくれそこに1人で暮らす事になりました。 私は何も考えなくていいように、中古のゲーム機を買って一日中ゲームをしていました。たまにスーパーに食料を買いに行きますが、誰かに見られるのが恥ずかしくて、短時間で目につくものをそそくさと買ってアパートに戻ります。何も考えません。感情も有りません。風呂にも入りません。歯も磨きません。ある時、履けるパンツが無く、Tシャツを逆さにして履きました。チンチンが寒かったです。 以前の主治医から実家近くの病院を紹介され、紹介状も持たされていましたが、そこの病院に行く事は有りませんでした。もう精神科医も抗うつ剤も睡眠薬も私には必要ありませんでした。 なぜなら私は人の形をした、ただの醜いぬけがらでしたから。 時間も季節も、世間も仕事も、私には何の意味も有りません。物欲、金欲、食欲といった欲求もありません。ただ日々死なないように生き、金を食いつぶし、秋が来て、冬が来て、春が来ました。 定期的に父から電話がありました。その日は今までにない雰囲気で、もうアパートを引き払えと言ってきました。 実家で両親と兄家族と暮らす事になりました。 父は頻繁に私を外に連れ出しました。80も近い父の運転で、被災地の風景を見たり、故郷の野山を見たり、桜を見たりしました。 5月過ぎ、父が帯状疱疹になりました。 6月になると、胃腸に何らかの不調を訴えるようになりました。 7月、近隣の中核病院に入院することになりました。 最初は泌尿器系の病気が疑われ、手術を受けましたがあまり体調が改善されません。その後、ガンが疑われましたが、その部位が分からないと言われました。原発不明ガンと診断されましたが、本人には告知していませんでした。 父が体調を崩してから、病院の送り迎え、入院の準備や手続き、お医者さんの対応など、私が行いました。初めは嫌々でしたが、結局手が空いているのは私しかおりませんから、仕方なく対処していました。 原発不明のガンなので、具体的な治療方針が決まりません。何故か、一時退院が許されました。 退院してから、定期的に通院する事になりました。その日は泌尿器科の受診の日でした。泌尿器の主治医がお休みで代理の先生に診てもらいましたが、受診後父の様子が変で、帰り道に尋ねるとガンだと告知されたと言います。 何年ぶりでしょうか。私の中に忘れていた感情が芽生えました。 怒りです。 その日告知してきた先生は、あくまで泌尿器科の主治医の代理で、しかもガンの部位はおそらく消化器系だろうと言うことで告知する時期は消化器科の主治医と治療方針と共にこれから考えていきましょうという段取りになっていたのです。 父の落胆は見るからに明らかでした。父はタバコも吸いません。深酒もしません。健康番組が大好きで、健康に人一倍気を使っていました。 食事の世話も私が行っていましたが、食欲もめっきり無くなりました。歩くのも酷く疲れるようになりました。 私は消化器科の主治医とアポを取り、抗議の為病院に赴きました。何の相談もなく、科も違う代替先生が告知をしてしまった事に、平謝りでした。 それから私は、ガンについてできうる限り勉強しました。通院の際は、ノートを持ち込んで先生の所見を事細かくメモしました。 PET検査なるものでガンの所在が分かるかもしれないと聞き、検査機のある病院まで連れて行きました。 しかしながら、ガンの所在、及び部位は特定できませんでした。 8月になり、いつも以上に辛そうな父を見て再入院させる事にしました。病院に着くともう自力では歩くことが出来ず、車椅子に乗せて診察室まで連れて行きました。 父は気丈で弱音を吐くことを聞いた事がありません。 私が小学生の頃、車のドアで親指を挟み、骨が見えていても自分で運転し整形外科に行き、夕方には仕事をしていました。 私が中学生の時には、母が粉砕機で薬指を切り落としてしまいました。側にいた父は、すぐさま薬指を拾い、氷袋に入れて母を病院まで連れて行きました。指はくっつきませんでしたが。 そんな父が、自ら車椅子に乗っている姿に愕然としました。 主治医からは、胸水が溜まっているのでお辛いのでしょうと言われました。とりあえず、入院治療することになりました。 胸水を抜いてもらい、多少楽になったのか父に少しだけ笑顔が戻ってきました。後から来た母とも談笑していました。 数日後、父は永眠しました。 死因は、原発不明ガンとのことですが直接的な死因は、窒息死です。深夜になって吐いたものが気管に詰まり、自力では解消されず看護師が気づいた時には亡くなっていたのです。 解剖はしませんでした。 母の取り乱しようは筆舌に尽くし難く、身内一同呆然としました。 それでも、お通夜や葬儀は粛々と進められます。 葬儀が終わり、明日早朝に火葬を残すのみという晩の頃、私は葬儀会場で棺の中にいる父と2人きりになりました。 止め処無く涙が溢れてきました。あんなに泣く事はもはやないだろうと思います。 おそらく1時間ほど泣き続けたでしょうか。その間、私は心の中で同じ言葉を繰り返していました。 (ごめんなさい。ごめんなさい。) (もう大丈夫だから。) ほぼ平均寿命とは言え、父は80手前で亡くなるような人ではありません。ましてや、ヘビースモーカーで高血圧の祖父より早死にするような人ではないのです。 では何故、こうも早逝してしまったのか。 原因は、私です。 私の存在がストレスとなり、私のうつ病が治らないこともストレスとなり、40過ぎの息子が無職になって帰ってきて引きこもりになっている現実がこの上なく父に負担を掛けたのは間違いありません。帯状疱疹になったのも、胃腸に不調をきたしたのも、がんと診断されて1か月余りで亡くなったのも、私のせいです。身内は誰も口には出しませんが、みんなそう思っている事でしょう。 それなのに私は、父の棺の前で1時間ほど泣いて泣いて泣き疲れた後、気づいたのです。 うつ病が治ったと…。 皮肉なものです。父の病と死が、私のうつ病を寛解に導いたのです。 半年前まで、私は私の抜け殻でした。 何もせず、何も考えず、ただ無意味に時間とお金を浪費する肉の塊に過ぎませんでした。他人と会話する事は勿論のこと、身内ですら顔を見て話すことも出来ませんでした。 それが3か月前から止むを得ず、父の世話をするようになってお医者さんと交渉したり、看護師と話したり、父の様子を親戚に伝えたりするうちに何となく、うつ病は回復の兆しを見せ始め、最終的にに父の死によって寛解に至ったのです。 父は全く意図していなかったでしょうが、結果的に父の病と死が、私を深い深い谷底から救ってくれたのです。 結局のところ、私のうつ病を治したものは医者でも無く、カウンセリングでもなく、ましてや薬でもありません。タイミングときっかけ、そして行動です。 以下は私の経験則からの私見です。異論がある方もいらっしゃると思いますが、ご容赦ください。 うつ病は、薬で治る病気ではありません。 一般的な解釈としては、うつ病は過剰なストレスなどにより、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンといった神経伝達物質が上手く働かなくなり、シナプス間における電気信号が不調となる為、活動性が低下し、感情が失われていくとされています。 抗うつ剤などの薬は、上記の神経伝達物質を良好に分泌させる為のものですが、あくまで一時的なものです。言わば、身体が疲れた時のユンケルみたいなものです。ユンケルのような滋養強壮剤の効果は、有って小一時間ぐらいらしいです。医者に聞きました。寧ろ(俺はりぽDを飲んだから元気だ!)といった暗示の副作用の方が大きいといいます。抗うつ剤も同じです。気休め程度にしかなりません。しかも抗うつ剤を服用し続ける事は何の根本的な解決にはなりません。また様々な種類があり、強いものを飲み続けると廃人になるようなものも有ります。ハイリスクローリターンです。 私が知っている精神科医で、うつ病を本気で治せると思っている人はおりません。彼らは、薬を処方し点数を稼ぎ、報酬を得ているに過ぎません。私が暫く通院していた病院は、正にそうでした。2年ほど通いましたが、沢山の精神病患者で寛解に至った方を私は知りません。私の主治医だった精神科医は、患者を1時間待たせ5分の問診で処方箋を書き、効率よく病院に富を蓄積させます。おそらくそれが出世の処方箋なのでしょう。 先日、NHKドラマで阪神淡路大地震を体験した精神科医の話がありました。患者の話を30分でも1時間でも真摯に聞く先生でした。私もそういう精神科医に出会ったら違っていたのでしょうが。 現実は違います。それでも精神科医に診てもらいたければ、開業医をお勧めします。少なくとも組織の中にいる精神科医はダメです。 カウンセリングもお金と時間がかかるばかりで、効果のほどは期待できないと思います。 中には、行動療法や認知療法で寛解する方もいらっしゃるとは思いますが、私は懐疑的です。 そもそもうつ病の根幹的な治療は何か? まず、うつ病に至ったストレスを無くすことです。私は公務員という立場や家のローン、世間体などから仕事を辞めるという選択肢を選ぶのか遅すぎました。 そして、死なないように生き、どこかのタイミングで行動を起こすことです。具体性に欠けますが、深い深い闇の中にいて、抗うつ剤や他人の空虚な言葉が一筋の光になる…なんて事は現実的ではありません。 最初はどんな行動でも構いません。ポイントは、うつ病を患ってからした事がない行動です。 よくうつ病を患った人に、「神様から休みなさいって言われているんだよ。」という方がいますが、うつ病患者は休んでいるわけではありません。深く傷つき、深い闇の中でいつ終わるとも分からない嵐が過ぎ去るのを息を殺し、感情を捨て、ただただ耐えているのです。 話が逸れました。 質問者の方は、生きている意味があるかと問いかけられていますね。 私の答えは、「ない」です。 そもそもが、生きているだけで意味がある人間なんてどれほどいるのでしょうか?人間は人間を特別視し過ぎです。過去には、人間ひとりの命は地球よりも重いと言った政治家が居ました。馬鹿げています。 この地球には、既知の部分だけでも175万種の生命体がいるそうです。未知を含めたら500万とも800万とも言われています。その多種多様な生き物が懸命に命を繋いでいます。その中で、何故人間の命だけが尊いと言えるのでしょうか。 周りを見渡せば、ニュースを見れば犬、猫より価値の無い生き方をしている人が沢山います。蜂や蟻よりも生産性の無い生き方をしている人間がありふれています。 人間の命、そのものには意味がないのです。 あるとすれば、意味ではなく「時間」だと思います。 そして時間があるからこそ、「行動」ができるのです。 重度のうつ病患者は、行動が出来ません。 行動が出来ないということは、時間が止まっているのです。 故に今のあなたが、生きている事の意味を問いかけるのははっきりいって無意味です。 それはあなた自身が本当は理解されているはずです。 けれども今あなたがその漆黒の闇を抜け出せるその日が来た時、あなたの(生)に価値が生まれます。あなたが自分の足で、自分の意思で前に進み始めた時、時間が再び動き出します。 生きている限り、意味はなくてもあなたには「時間」がある。時間があるという事は、あなたの人生は何度でもやり直せるのです。 更にあなたが価値ある、より良い行動をとることで、あなたの(人生)に意味が生まれると思うのです。 人の(生)に意味があるとすれば、価値ある行動を実践した時、初めて生まれると思うのです。 人の人生の評価は何で決まるのでしょうか? 財産、出世、肩書き…人それぞれでしょうが、私は行動だと思います。どれだけ価値ある行動を人生で出来たか、だと思うのです。 だからまずあなたがするべき事は、死なないように生きることです。そして、私のようにきっかけを待つか、自らきっかけを作り行動することです。 正直言って、私のようなきっかけを待つことはお勧めできません。 だからこそ、私のところに遊びに来ませんか? もしかしたら、何かのきっかけになるかも知れません。仮にならなくても、きっかけのきっかけぐらいにはなるかも知れません。 私は今、農業に従事しています。何故、東北から南九州に来て、農業をしているかの経緯は割愛しますが、私はうつ病が寛解してから2年ほどの、50手前のおじさんです。 うつ病が治り、取り敢えず3つの事を目標に掲げました。 ①飼っている柴犬を、日本一幸せな柴犬にする事。 ②最低限、父の年齢まで生きる事。 ③世界の真理を一つでも多く学ぶ事。 です。 農業では、無農薬、無化学肥料での、循環農法を実践しています。なるべく、F1の種に頼らず固定種の種から作付けして、この土地に合った野菜を育て、種取りをして、安全、安心な、究極的には硝酸態窒素を過剰に含まない、ガンにならない野菜作りを目指しています。 知らない土地に来てからの挑戦なので、苦労もありますがやり甲斐も有りますし、生き甲斐も感じています。 何よりも、何度となく死んでしまってもおかしくない我が身がこうしてお天道様の光を浴びて働けることが、嬉しくて嬉しくて仕方が有りません。 昔、ドイツの哲学者が言っていました。 (自らを否定して否定し尽くした時、あなたは超人となるだろう。) 私のうつ病期は、自己否定の繰り返しでした。 もちろん、私は超人には成れておりません。 ただ、周りの人達よりちょっとだけ物事の本質を理解出来るようになったかなと思います。 一昨日、東日本大震災から9年経ちました。 2万人以上の方が亡くなられました。 彼らにはもう時間が有りません。行動を起こすことも出来ません。 だからこそ我々生きている人間は、然るべき行動により、震災を語り継ぎ、亡くなった方たちを忘れずに生きねばなりません。 あなたは生きている。 あなたには時間がある。 あなたは行動を起こせる。 大丈夫。時は必ず訪れます。 最後にアメリカの詩人の言葉をご紹介します。 (寒さに震えた者ほど 太陽の暖かさを感じる 人生の悩みをくぐった者ほど 生命の尊さを知る これから私は幸福を求めない 私自身が幸福だ) 長文につき、乱筆、乱文ご容赦ください。

私はうつ病です。昔の事も思い出せず、感動せず、感情もわからず、物を覚えられず、体を動かすのもつらく、毎日ただひたすら苦しく、生きているだけでお金がかかるのに生きてる意味ってありますか?

―――うつ病について明らかになる研究結果

適応障害

―――適応障害でも目標を持てば何とかやり過ごせるかもしれない

 適応障害と診断されました。  先生が仰るには「運動のし過ぎ」が原因だそうで。学生時代サッカーやバスケなど激しいスポーツをしていた人がいきなりオフィスワークをやると適応障害になる場合があるそうです。  サッカーやってたし、強烈な肉体労働ばかりしてたので、めちゃくちゃ心当たりありました。俺が症状と原因に当てはまりすぎていたようで、「ンフフッwwwホントに?」と半笑いで先生診断してた。いやフレンドリーで意見をズバズバいってくれる先生だから気を使わないで助かってるんだけどね……。  適応障害は旧名:自律神経失調症。内臓を制御したり、感情をコントロールしたりする神経が衰弱しちゃって、下痢を頻発したり、「ま、いっか」と物事を流せなくなる病気らしい。ちなみに俺は血便が止まらなくなり、愉快なBGMと不快な言葉がシャウトする幻聴が聞こえだして「さすがにヤバイんちゃう?」と精神科を受信した次第。初診で一発アウトだったね。 俺「仕事あるので薬だけ出して頂けるt」 先生「休みましょう。診断書書くので」  即休職だったね。しかもこれが会社の規定で欠勤にはできるけど休職にはならねえって事態を引き起こして現在絶賛ボンビー暮らしなのよね。貯金したいんだけど。人生ってうまくいかねーな。  でもま、一つ言えるのは「目指す目標があってよかった」って事で、アラサーで人生の一つの節目としてオーストラリア移住を狙ってるのね。Twitterではたまに呟いてるんだけど。その移住って目標のおかげで、病気と診断されてもめげないのよ。「このぐらいで挫折すると思うなよ」って反骨精神が湧いてくるのよ。今までこういう良くない出来事あると絶望するしか娯楽のなかった俺ですが、目標があるおかげで、目標にすがって生きていける。来週、来月、来年を楽しみに生きていける。  これがきっかけで今の会社を退職することになっても、遠回りになっても、諦めることはないな。そう思考できるようになったことが今年イチバンの収穫ですわ。

Life is a bitch: 2015年9月「適応障害と診断されました」

パーソナリティ障害

性格と人格障害を明確に区別することはできません。

【2946】私は境界性人格障害か、それともただの迷惑な性格か。‏ | Dr林のこころと脳の相談室

人から受け取る愛情が常に足りないという人は、受け取った愛情を貯めておくバケツの底が壊れており、
もらった傍から流出し、常に枯渇しており、常に人に愛情を求め、人に与える愛情は無い。
ホウ酸ダンゴを食べて脱水症状を起こし、水分をとってもホウ酸中毒のため体内に貯めておくことが出来ず、
水を求めながらのたうちまわって死ぬゴキブリのような状態なのだと思う。
対症療法としては風俗なりホストなりが良いだろう。しかし、根治したいのであればバケツの穴を塞がなくてはならない。
バケツの穴とは「認知のゆがみ」だ。認知行動療法を行っている精神科を受診しよう。

http://anond.hatelabo.jp/touch/20130130101031

―――特性

―――完璧主義に陥る白黒思考(悉無律思考)

・ちょっとでも相手の意見が自分と違うと、「あの人はわかってくれない」と、あっという間に相手を敵として認定。 ・ちょっとでもうまくいかないことが起きると、「台無し」と感じて作業を放棄、または、「自分はダメな奴だ」とヘコむ。 ・100点が取れそうにないテストは、はなから受けない。50点という評価がつくくらいなら、評価されること自体を避けてしまう。

白黒思考(悉無律思考):認知の歪み(1): モンキークリニック|パーソナリティ障害 カウンセリング 臨床心理士

■自己愛性人格障害

自己愛性人格障害とは一見「自分大好きな人たち」という印象を与えがちな名称ですが、「ありのままの自分を愛せない」障害です。心の底には強い劣等感、コンプレックス、自己無価値感が渦巻いており、もろく崩れそうな自尊心を「自分は万能で特別な存在だと信じること(自己暗示)」「他者から肯定的に評価されること」「優越感を得るため身近な弱者を貶め見下すこと」で維持しています。そのため賞賛・注目・感謝・愛情を求める行動に駆り立てられ、些細な否定に怒り、特別扱いされることを求め、外では理想の自分を演じる一方で、絶えず身近な弱者を否定し傷つけること(モラハラやDV)で精神のバランスをとっています。

自己愛性人格障害の特徴 詳細版 モラハラ加害者 [ モラハラ資料 ]

統合失調症

これ病気ってことになってるけどさ、昔の人は全員これだったんだよね
自分の中に常に二人いて、後ろにいるもうひとりの方を「神の声」とか「天命」とか「内なる声」呼んでたんだよ
哲学が発展して意識というものが明らかになって、「我思う故に我あり」「神は死んだ」ということで「統合」されたのが近代の話で、
むしろ統合されてる方が自然ではない状態なんだよ

「統合失調症」とかいう1度なったら終わりの病気

16 :名無しさん@おーぷん:2014/05/19(月) 02:25:01 ID:xt3nk3AEs 統合失調症の状態を例えるなら、あなたはいま地球が丸いと思っている。 ある日友人が、地球は四角いと言うと、あなたはそれを笑って否定するでしょう。 ところが、両親、兄弟、果てはテレビや雑誌までが地球を四角いといい始めると、 あなたはそんなはずはない、地球は丸いのは当たり前であって、 これこれこういう理由があるとか、証拠があるとか、説明するでしょう。 この、丸と四角を入れ替えた状態が統合失調症です。

林先生の精神科Q&Aで打線組んだwwwwwwwww | ライフハックちゃんねる弐式

特徴として挙げられる、人格の荒廃と言う言葉がひたすらに怖い。

どこかで聞いた話だが、統合失調症は自衛機能でもあり、現実逃避で作り出した架空の設定を自分の人生であると思い込んで幸せに過ごすという例があったらしい。それを見た周囲もその方が本人も幸せだろうと治療をしなかったようだ。

これは別の話になるが、長崎の五島列島では都合失調症の症例が多いとする研究もある。下記は引用だが、リンク先の内容を読むと興味深い。発症者のケースを文面で見ると、決して貧困家庭だとか成績不振などではなく、性格も社交的との文面がある。さらに、当人とその周囲を取り巻く関係者までもが発症しているのだ(当人のみかと思えばその他周囲の人間も同様であった)。

日本の最西端、長崎県に属する五島列島および五島灘に面する長崎西端の島々は、統合失調症など精神疾患の多発地帯である。それは筆者の経験上、全国平均の10倍に及ぶと推定される。それが何故なのか、島という閉ざされた特殊な世界であるからという意見も有る。しかし日本全国の島々が精神疾患の多発地帯であるという報告は未だ無い。
また彼らは出身地、すなわち彼ら自身、または彼らの親、または彼らの祖父母、または彼らの曾祖父母など彼らの先祖の生まれた処が五島であるというのみであり、五島で生活している訳ではない。
五島列島および五島灘に面する長崎西端の島々には統合失調症など精神的疾患を好発させる遺伝子を運ぶベクターが極めて多く存在していると考えざるを得ない。

精神疾患多発地帯:五島地方の研究

記事ではその地域がATLV(成人T細胞白血病)が多く蔓延しており、遺伝子レベルで発症しやすいとの旨がある。
どこまで情報が正しいか、精度の問題もあるが、遺伝によって広まるかもしれないという危惧は感じざるを得ない。

五島地方に統合失調症など精神疾患が多発する理由は第一にそこがATLV(adult T-cell leukemia virus)の多発地帯であることであることをまず考える。
すなわち中南米から海流に乗って西へ西へと流れていった人々が統合失調症など精神的疾患を非常に発生させやすくする遺伝子を持っていた。それは未知のウイルスかスピロヘータの存在の可能性もあり得る。そして五島地方に漂着し土着して行き、その地域の統合失調症など精神的疾患多発の要因を作った、と考えることができる。
また、高度な文明を誇りながら海底に沈んだと言われるムー大陸からの漂流者が黒潮に乗り日本のそれらATLVが分布濃厚な地帯へ辿り着いたという説も存在する5)。

精神疾患多発地帯:五島地方の研究

―――発症したきっかけ

また、下記の芸人2700の八十島の統合失調症発祥のエピソードが興味深い。
自身の中で煮詰まった際(多くの場合は自身の現状や今後の焦り)、身の回りに起こるあらゆる現象が自身に向けて意図的に行われた行為であって、自身はそれに対して応戦しなくてはならないと考えている。対談で千原ジュニアが発した「お前はただ仕事がしたかっただけなのでは?」と言う趣旨の言葉にすべてが詰まっている。そこがもしかしたら当人の潜在的な悩みや不安だったのだろう。

どんな人でもなってしまう可能性があるのが恐ろしいが、鬱になってから統合失調症になったり(併発の場合も含め、躁鬱の躁状態など)、陰謀論にハマって統合失調症になったりと、世の中洗いざらい見渡せばこの病気に当てはまる症状の人は案外少なくないのかもしれない。ある意味、病識を持って素直に現状を見つめて制御できるようになれば回復したと言えるのだろうが、病名が付いているだけで、病名の付かない健常状態であっても同様に不安に取りつかれる日常から解放されるのは難しいだろう。

☟また、統合失調症の際の症状を体験できる

  • 統合失調症の疑似体験動画バーチャルハルシネーション

―――症状と状態、行き過ぎた防衛本能だとする説

統合失調症というのは、今の脳科学で理解されていることとして
喜怒哀楽を司っている扁桃体(へんとうたい)の感受性が高いということが解っています
その仕組みとしては、食べ物がないとか、身の危険が生じた場合に扁桃体に血液が流れて
その扁桃体から海馬というところにある過去の記憶、どうやって食料を手に入れたとか、
危険からこうして逃げたとか戦ったとか、そういう記憶をああでもないこうでもないと探して対応するんですよ
で、統合失調症というのは、ずっと危機的状況が続くと脳の中にある扁桃体の感受性が高まって
危機でもないのに、日常生活の中で危機だと感じてしまって生活が出来なくなるという状態のことです

http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/supplement/1247817826/814

―――その時代と共に変容する妄想

昔は統合失調症の妄想の中に「天皇陛下」というワードが出てきては、自身を天皇陛下及びその家系の人間であるといった誇大妄想をする患者がいたようだ。よく妄想の種類として「集団ストーカー」「思考盗聴」「電磁波攻撃」などが挙げられる。

―――妄言を逆手にとって悪徳商法を行うビジネスのカモになる

メルカリで投稿される自作の対策グッズやTwitterの陰謀論界隈でもそうだが、こういった層をカモにするビジネスがあるように思える。統合失調症が過度に周囲に対して猜疑心を抱くことから、そのわかりやすい解決策を提示する団体とそれらをありがたがる層を見て、自身の疑念は間違っていなかったと錯覚して安堵する。そのために費用を払うのであれば惜しくもないという需要と供給が、何も生まず何も解決しない不毛なまま状況が悪化しているようで、下記の引用のように腹立たしさも感じてくる。ただ、統合失調症の方々にとっては唯一安堵できる、信頼できる環境として認められるのだろうからやるせない。

統合失調症の人は自分が病気だとわからず、病院ではなく警察や弁護士、防犯会社、探偵会社などに相談に行くことが多いのです。主な相談内容には、「盗聴されている」「電磁波攻撃を受けている」「集団ストーカーの被害に遭っている」などがあります。
変わったところでは、額にテープのようなものを張り、「これがないと思考を盗聴されるのです」と言っていた人や、「服のサイズをすべて変えられました」「冷蔵庫のチーズが毎日1つずつ無くなるのです」と訴えてきた人がいました。僕も最初はそれが病気とわかりませんでしたが、メンタルクリニックの先生に「それは統合失調症です」と教えてもらったのです。
――そこで、統合失調症の人たちを医療機関につなげる活動を始めたわけですか。
いえ、以前はそういう人たちの調査依頼は体よく断っていたのです。というのも、「盗聴されている」という人の家を実際に調べ、「何も出てきませんでした」と結果を伝えても、「いや、盗聴器は絶対ある」と言い張り、調査料金を払ってくれなかったりするのです。僕らを家に呼んでおきながら、「お前も手下だろ」と包丁を振り回す人もいましたからね。
――では、何が活動を始める転機になったのでしょうか。
当社が調査を断った人がその後、別の探偵会社に相談に行き、何十万円、何百万円という法外な料金を支払ったという話がちょくちょく耳に入ってきたことです。統合失調症の人の中にもお金がある人はいます。そういう人は探偵会社から「盗聴器探しなら50万円かかります」と言われても、「盗聴の苦しみから逃れられるなら安い」と思ってしまうのです。
そういう探偵会社は実際に調査をして盗聴器が出てこなくても、「盗聴器ではなく、レーザーで盗聴されていたようですね」などと色々な言い訳をしてお金を支払わせます。僕はそういう話を聞くたびに腹が立ち、「そういう会社に大金を払わせるなら、統合失調症の人を医療機関につなげたい」と思うようになったのです。

統合失調症の患者がカモにされる現状に憤り…探偵会社が医療機関につなぐ新たな試み - 弁護士ドットコム

―――寛解後の記憶

当人が発症時の記憶は残っており、その時期は何かが憑依していたり、第三者にコントロールされていたような感覚になるようだ。興味深いのが、幸福の科学の大川宏洋が父・大川隆法について、幸福の科学創設の黎明期に隆法が紙に「いい知らせ、いい知らせ…」と書き始めて天からのお言葉を授かるようになったとしているが、宏洋氏から見ると統合失調症のような妄想に取りつかれているようであったという趣旨の発言があった。実際は大川隆法自身も煮詰まっていて(当時サラリーマン時代は仕事が芳しくなかったのではと言う疑念がある)、結果病気の発症と共に宗教法人を設立する流れになったとすれば、氏の言動に納得ができる。

―――どんな人間でも健常でも不安は常に付きまとう

薬を飲んで幻聴や不安が消えたときに、健常者はこれが普通なのか、と驚いた。なにしろ幻聴はともかく、不安だけはずっとついてまわってたから。

統合失調症になる前のことを書いてみる。

―――ところがどっこい夢じゃありません、これが現実

598 おさかなくわえた名無しさん sage 2010/09/29(水) 19:24:26 ID:Krc1BukL
高校のとき、クラスの女子がみんな俺の悪口言ってるかのような幻聴に襲われて
泣きながら親に相談した。心療内科連れていかれた。薬もらった。
だんだん、女子だけじゃなく男友達にまで悪口言われてるような気になって、なんだ
薬全然きいてない。俺このまま死ぬんだって泣いた。
思いきって親友に病気のこと話したら
「それ幻聴じゃない。本当にクラスの女子も男子もみんなお前の悪口言ってるよ。
だからお前は病気じゃないよ」って言われた。
俺病気じゃなかった。

続・妄想的日常 幻聴

発達障害

112:ななし:2023/05/16(火) 09:54:19.55 ID:0VQMK7vpd
ワイ「あーこれ障がいだわ精神科行こーっ」
医者「健常です」
ワイ「ADHDです」
医者「違います忘れんぼでやる気がないだけです」
ワイ「じゃあ回避性人格障害じゃないですか?」
医者「違います単にコミュニケーション能力が普通より低いだけです」
ワイ「それならアスペルガーは?」
ゴミ「そういう自覚症状があるとしたら人の話聞いてないとか注意散漫なだけでしょ」
ワイ「じゃあ知的障害なんじゃないすか?」
ボケ「IQ80以上あるんで健常です IQ低いからって頭悪いってことにはならないから安心していいよ」
ワイ「鬱とかはないですか?」
カス「軽い抑鬱はあるだろうけど病気とかではないねえ 普通です」
クソ医者「あなたは怠け者で注意散漫で社会性がなくてIQが低めな普通の人です」
ワイ「」

彡(●)(●) 「ワイは発達障害なんや…!」医者「いいえ、あなたは特に異常ない健常者ですね」 : 【2ch】コピペ情報局

ある時自身に何か障害があるのでは?と心理検査を受けに心療内科に行ったことがある。トータルで2~3万程したと思うが、行ったのは適性診断と性格診断だ。いわゆるWAISといわれる性格診断を受けた。結果はいずれも、企業での適性診断のような「あなたは~タイプ」といった簡素なもので診断名は特になかった。
総合的に捉えると、のっぴきならない異常な状態でない限りは診断はしない方が良いのでは?というのが答えではあるが、いくつかの精神科を受診して見て自己分析してみるのもまた答えだと言える。結局は自分が変わらなければどうにもならないのが現状だ。

47: 名無しさん@おーぷん 2014/07/03(木)06:11:31 ID:WljJ6b7QD 俺親に精神病院連れてかれたことあるけど結果俺は精神の安定した芯の強い屑って分かった病人になりたかったよ

サボり癖が強過ぎて最早病気なんじゃないかと期待してるやつwww : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ

また、発達障害(もしくはグレーゾーンか自認している)の人はどんな仕事をしているのか?というのが気になり、交流会へ向かったことがある。就労支援でオープン就労している人よりもクローズドで就労している人が多い印象だった。また、中でも面接時に障害のことを述べた上で採用されて働いている人もいた。度合いもあるだろうが、ほとんどの人は人と関わらないリモートワークメインの仕事(チャットのみ)や倉庫作業などの裏方作業。また人事や経理などの事務仕事などがあった。中には建築関係の仕事や営業をしている人も見受けられた。
また遅刻が多い人がいれば逆に朝型で遅刻しない人もいた。またASDとADHDではタイプが極端に違うと思ったのが、同じコミュ障でも無口なタイプと周りを気にせず一方的に話しまくってしまう人という点でズレていた。
友人関係においては、普通に友人がいるが少ないという人が多かったり、常識を兼ね備えていて話し方や挙動も一見普通だがADHD・ASDの両方を診断されたという人もいた。
また手帳は持つことで収入が少なくなるため持っていない人がほとんどだった。

―――外面的特徴だけでなく内面的特徴までも遺伝する

「目の色」(95%)や「身長」(80%)の遺伝率が高いと言われても意外に思う人はいないだろう。だが、行動遺伝学の発展により、自閉症(70%)や統合失調症(50%)といった複雑な障がいの遺伝率がかなり高いだけでなく、学業成績(60%)や一般知性(50%)の遺伝率も高いことがわかっているのだ。

行動遺伝学者ロバート・プロミン「子供の成功には、親も学校もあまり関係ありません」 | 「何冊本を読み聞かせても読解力に影響は出ない」 | クーリエ・ジャポン

―――"普通じゃない"を自覚する瞬間

―――「生きづらさ」を挙げるとそれは発達障害や何かしらの影響を考える

「発達障害」と聞くと子どもの障害、と連想してしまうかもしれませんが、大人になっても発達障害の症状に苦しんでいる人たちは多くいらっしゃいます。最近発達障害外来に受診する大人が増えてきているそうで、それほどまでに生きづらさを感じ、なんとかしたいと悩んでいる人たちが多いということなのでしょう。
■生きづらいとは
発達障害に限らず、そもそも人には得意分野と苦手分野を持ち合わせています。多くの人はその分野を伸ばしたり、補ったりしながら生きているのです。発達障害の人たちは苦手分野が極端に苦手なので、そうでない人の輪の中にいると苦手なことが突出して浮き彫りになりがちです。本人からするとそのような場面で生きづらさを感じてしまうのかもしれません。
『私自身がADHD。毎日毎日、探し物してる。
この無駄な時間と労力、ほんと嫌になる。
人の顔と名前をなかなか覚えられない。
子どもの行事、提出物、忘れ物ばかり。
そのくせ怒りのコントロールが出来ないところもあって。まわりの人からは呆れられている。
なぜか毎日疲れきってる。
子どもは、私とは逆に記憶力が良く、ADHDではなく軽い自閉傾向との診断だったけど、
うまく生きづらい事には変わりない。やれやれです。
一昨日は、家の鍵をなくすし、昨日は事故を起こしてしまった。
園ママ達に、おかしい人と思われないように必死に取り繕ってるのがとてもストレスです。それでも少しはバレてるだろうけど、嫌われないように迷惑かからないように、そればかり考えてしまう。何でこんなにバカなんだろうと涙が出てきます。』
『私も同じような感じで毎日毎日本当に疲れます。
仕事は人間関係も上手くできず、短期間で辞めてしまいます。
計算ミスと勘違いは本当に多いし、人が説明してくれていることを一度で理解出来ないしメモしないと忘れる。
今日も「これ言ったよね?」って社員さんに言われました。
この前も「メモ取ってるよね?」「何の為に聞いてるの?」と、社員さんをイライラさせてばかり。
申し訳ないのと自信が持てないことで今の職場も長くは続かないんだろうな。
どうしたら良いのか毎日分からない。』
『私もそうだと思う。幼い頃は家族以外の大人と話ができなかった。
コミュニケーションが苦手で友達も少なかったし。
余計な一言を言ってしまったり、テンパって質問と違う答えを言ったり、数えたらきりがない。』
『小学校低学年のころに他校のことばの教室に週1で通ってた。
授業中なのに違う教室に呼ばれて知能テストをしたのを覚えてる。
でも小中は普通学級で勉強してた。たぶん知能が普通だから特殊学級には行かなかったみたい。
高校も普通に行けた。
未だに対人関係、コミュニケーションが苦手。ママ友いるけど言葉を選びながら話してる。そうしないと一言多くて相手を怒らせたり勘違いさせたりしてしまうから。
生きづらいよ。』
■生きづらさを感じないためには
発達障害といってもそのタイプは様々で、その種類によって苦手分野も変わってきます。まずは自分がどのタイプに属しているのか、認知しているかどうかでまた進むべき方向性も見えてくるのではないでしょうか。自分の不得意を受け入れ、どうすれば生活しやすくなるのか模索できるはずです。
『私は多分ADHD。
大人になってから、よく交通事故を起こすようになって気づいた。当てはまることがありすぎだった。
ADHDだと自覚してからは事故を起こしてない。
遠出は控えて、近道よりも安全な道をゆっくり慎重に走るようになった。もっと早く分かってれば気を付けて道を選んだり、色々できたのになと思う。』
『私は工場等の単純なライン作業しか出来ない。
昔接客や事務もやったけど、続かなかった。
メモの取り方すらパニクって、すぐ精神的に不安定になり衝動的に辞めてしまう。
自分では根性ないからと思ってたけど、コミュニケーション能力も低く覚えも物凄く悪い。
だから何回も聞いたりミスするのに進歩がない。
そんなんだから会社の人にも嫌われ、居づらくなり退職する。
工場のライン作業が簡単だからとかバカにしてるんじゃなく、私は決まった作業を黙々とコミュニケーション取らず出来るから、そういう点で向いてると思った。』
『私も資格を持っていて歯科衛生士なのですが、この資格に救われました。
歯科の治療法は根本的には何十年前から変わってないことと、専門学校で勉強したことで比較的に楽に職場に慣れることが出来ました。
学生の頃のバイトでは邪魔者扱いしかされたことがないけど、出産後働き出した歯科医院でもう7年ほど勤務しています。多分資格をとってなかったらずっと職場で邪魔者扱いされ続けていたと思います。』
『やっぱり自分にあった職種を選ぶしかないと思います。
私がやった中で合うと思ったのは配達かな。一人で出来るのがポイント。
今やってる倉庫の仕分けも一人で出来るし楽しいです。
ネックになるのが昼休み。煩わしい人間関係もポツンになるのも嫌なので、9時から13時まで休憩なしの仕事が気楽ですよ~。覚えは悪いけど、慣れちゃえば大丈夫!
地獄だったのはやはり接客かな。あわないなんてもんじゃなかった。まさに地獄!キツイ人が多いしね。
あと早さを求められるのもダメ。 』
「忘れっぽい」人は覚えておきたいことはメモを書き、目に付きやすい場所に貼り付け自分なりに注意を促す、などの工夫で改善を図ったり、「対人関係が苦手」な人はなるべく人と接することの少ない環境に身を置く、支援センターに通ってスキルを学ぶなど適切なサポートを受けるという手もあります。誰にでも言えることですが自分の能力に合わせて適材適所で働くことができれば、自分にとっても会社にとっても大きなメリットになるはずです。そのためにもまずは自分の特性を知り、周りに理解を求めやすく応援を頼みやすい環境に変えていくことが必要かもしれません。

大人の発達障害…生きづらさを感じていませんか?

俺は普通に会話する分には問題ないコミュ力や、
死に物狂いでやりゃ成果がでるくらいの知能はある
でもあくまで発達障害っていうエリアで考えたときに
「普通だね」って言われるレベル。だから、常人でいえばかなり最底辺
長く付き合えば、どんな人物にだって嫌われる
死に物狂いでやればできるが故に、常人と同じ結果を求められる 
死に物狂いでやっとバイトで結果がでる 
これをあと何年続ければいいんだ
こんなことなら一目みてわかる池沼に生んでほしかった生まれたかった
贅沢でもなんでもねえ はんぱな希望見せられて、
「お前の人生どうしようもないよ」って突きつけられて 
ほんとなんなんだよ俺の人生

子供に恨まれるのも親としての仕事だろ。考えなしに俺を産んだ事を残りの人生を掛けて後悔させてやる : 鬼女速

―――「発達障害」は保険に入れない、住宅ローンも組めない

下記記事によって、精神科や心療内科に通院した履歴があると保険の加入や住宅ローンが断られるという旨が記載されている。
1度でも精神科に通うと住宅ローンや生命保険に入るのが難しくなるというのは、生命・医療保険の加入には健康状態や病歴の告知が必要であるからである。厳密には通院ではなく診断に基づくもので、病気が完治されていれば組める場合があるらしい。

精神科通院は5年前とかまでなので子供のうちに療育して対処学んで二次障害出さない方がいいし、そもそも一生精神科にかかるような強い発達障害だと保険ローンの前に収入が怪しいよ。

[B! 発達障害] 「発達障害」は保険に入れない、住宅ローンも組めない

当方ADHDで3級手帳持ち。フラット35団信なしでローン組み、条件緩和型の生命保険加入。手帳取得で多少人生ハードモードになった感あるけど、その分の社会保障を受けられてると感じておるよ。ベリーハードではない。

[B! 発達障害] 「発達障害」は保険に入れない、住宅ローンも組めない

―――発達障害の有無に問わず社会が生きづらいという事実は変わらない

抜本的な考えで、発達障害であるかどうかは診断をしなければわからず、その診断さえカウンセリングに基づく問答ややり取りに基づいたあみだくじの結果であり、医師の判断によっても左右される。結果、発達障害であるから生きづらいのではなく、障害の有無によらず自身の不届きや社会の不完全さによるしわ寄せの結果である。

ところが、「定型発達」と「発達障害」の境目はぼやけやすい。番組中では「発達障害というより『発達凸凹』」なんて言葉も出ていた。「定型発達者」として社会の中での生きづらさを感じている人々にとってみれば、「『発達障害』を理由に過剰に守られている」という印象が強まってしまう。生きづらさにもいろいろあるとはいえ、対人関係から人生につまづくケースは多いに違いない。それとはどう違うのか、となる。  ここで発達障害者の生きづらさは「脳の機能障害」に起因するものだから、という説明は、ほとんど意味をなさない。そもそも「発達障害」は原因論的に診断がおりるものではなく、「定型発達者」とされる人々の生きづらさが脳機能とは全く無縁であるという根拠は示しようがないのだから。「オレだって、他人との関わり方について努力しているけれど、うまくいかずに苦しいんだ!」という声に対して、「それは『発達障害』とは無関係だから自分の力でなんとかしてください」と答えるのだとしたら、相手が納得しうるだろうか。たぶん無理だろう。

「発達障害による生きづらさ」に向けられる視線 - lessorの日記

巷では就活の人事採用において、発達障害者を見分けるための「不適正検査」なるものが存在しているようだ。

―――"生きづらい"という現状を何かのせいにしようとする傾向

―――大人になってから好転する場合もある

―――自虐できる発達障害は社会適応しやすい

―――健常者エミュレーター

下記記事内にも出てくるが、健常者と同様に装うために模倣し、そこに労力を掛けているさまが受けて取れる。それを"健常者エミュレーター"と称しているが、これは発達障害に関わらず健常者でも常に発動させている社会的なフィルターだろう。ただ発動する労力は人並み以上に掛かることが予測される。

下記は健常者エミュレーターを具現化したWikiである。「路上で排便してはいけない」など、危険予知トレーニングのようにリスクと対処法が述べられている。

☟下記は上記Wikiを作成した著者による見解が述べられた記事である。

―――都合よくレッテル貼りとして「障害」という言葉を用いる

私は、障害の名前が差別的に使われているかどうかは、大きく分けて、その障害や障害者について考える「スタート地点」として使うか、思考停止するための「終点」として使うかだと思う。 一般に、障害者やその周囲の人々(医療関係者含む)のほうが、特に「配慮」したり「遠慮」することもなく、はっきりと障害名を言う傾向にあると思うのだが、それは、障害者やその周囲の人々は、その障害があるということを前提として、生き方や関わり方を考えていく必要に迫られているからなのだろう。障害名は、障害者の環境をより良くしていくための前提であり、判断材料であり、「スタート地点」なのだ。 他人を「アスペルガー症候群」と言うのが問題になるのは、レッテルを貼ることでその人を排除したり、自分より判断能力の劣った者として扱ったりするために使う場合だ。差別的な人の言う「アスペルガー症候群」という言葉は、レッテルを貼り、相手を理解しようとする努力を一切せずに思考停止するための「終点」である。 少年犯罪など、一見理解できない犯罪が起こったとき、安易に「アスペルガー症候群」で説明してしまい、「犯人はアスペルガー症候群だったから」で思考停止してしまい、「私たちとは違う人だから」とレッテルを貼って排除してしまうケースはよく見られる。動機自体は定型発達者でも十分起こりえることで、たまたま犯人がアスペルガー症候群だっただけかもしれないのに。

シャーロック・ホームズとアスペルガー症候群 - yuhka-unoの日記

―――障害を障害と認めない点にも生きづらさがある

出たよADHDを個性で片付けて手帳も取得せず都合の悪いときだけ障害者扱いしてほしがる奴。 ADHDは個性じゃない!! みんな迷惑してるの!! 迷惑だから薬飲んだり障害者手帳持つの!! ADHDを個性で片付ける迷惑さんは専用の施設で大人しくしてて下さい。

28歳「発達障害」の彼が3度仕事辞めて移る先 | 私たちは生きづらさを抱えている | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

―――病気も法律のように新たに作り出される

「発達障害」も「社交不安性障害」も「境界性パーソナリティ障害」も昔は存在していなかった。今日ではよく知られている心の病気が出揃ったのは、20世紀になってからのことだ。
(省略)
心の病気が「狂気」ひとつだった頃、メンタルヘルスの問題として治療の対象になっていたのは、かなり重症の「狂気」に該当する、比較的少数だった。しかも、すべての「狂気」が精神医療を受けているわけではなく、「狂気」の多くは街に存在し、放浪者の群れ、居酒屋の酔客の殴り合い、路上での痴話ゲンカといった風景のなかに含まれていた。
 医療制度や福祉制度が弱く、警察力も行き届かなかった過去の社会では、「狂気」という単一の分類でもおそらく十分だったのだろうし、そこまで絞ってすら、すべての「狂気」を手当てする見込みが無かったのだろう。
 黎明期の精神医学は、未来への発展可能性という意味では疑いなく重要だった。だが、当時の世の中を塗り替えるほどの影響力があったとは、考えにくい。
 ところが、19世紀に統合失調症*1が発見されたのを皮切りに、「狂気」は細かく分類されはじめた。今日、精神疾患として知られている諸々の原型は、20世紀の中頃までにはだいたい発見されて、研究家によって詳しく書き残された。なかでも、治療方法や治療の見通しについて大きな違いの見出せるいくつかの精神疾患が注目されていった。

発達障害のことを誰も知らなかった社会には、もう戻れない

436: 誰そ彼 2022/11/03(木) 06:22:37.93 ID:+Q3p4+eG0
これ病気ってことになってるけどさ、昔の人は全員これだったんだよね
自分の中に常に二人いて、後ろにいるもうひとりの方を「神の声」とか「天命」とか「内なる声」呼んでたんだよ
哲学が発展して意識というものが明らかになって、「我思う故に我あり」「神は死んだ」ということで「統合」されたのが近代の話で、
むしろ統合されてる方が自然ではない状態なんだよ

「統合失調症」とかいう1度なったら終わりの病気

―――発達障害の方に向けた適切な指南

ADHD

―――昔はその気質が役立っていた可能性、昔以上に浮き彫りになる発達障害の概念

―――ADHDは加齢によって顕在化する

熊本大学は9月27日、認知症が疑われ、同大学病院の認知症専門外来に訪れた446名の患者についての調査研究を行ったところ、約1.6%にあたる7名は認知症ではなく、高齢によって顕在化した発達障害の1つである「注意欠陥多動性障害(ADHD)」であったことを確認したと発表した。

発達障害の1つ「ADHD」が加齢により後天的に顕在化する可能性、熊本大が報告

ADHD持ちは若くして認知症的な振る舞いをしてるということだよね… たしかに昔から「天然ボケ」って言われてたけど、今考えるとこれめっちゃ意味合ってるやんって思った

[B! ADHD] 発達障害の1つ「ADHD」が加齢により後天的に顕在化する可能性、熊本大が報告

―――メリット・デメリット、対外的か内在的かで出てくる問題

ASD(自閉症スペクトラム)

自閉症スペクトラム(ASD)には、非常に幅広い症状がある。例えば、社会的行動や対人コミュニケーションの難しさ、学習障害、反復行動、強いこだわり、刺激に対する過敏な感覚。

自閉症スペクトラムの発症には「ジャンクDNA」の突然変異が影響していた──AIによるゲノム解析で明らかに|WIRED.jp

―――アスペルガーを定義したアスペルガー氏もまたアスペルガー

―――世界の正確性を確認したいのがASD、自分の正しさを確認したいのがADHD

―――言葉の裏を理解できないASD

下記にはその例となるエピソードが記載されているが、本当に意味を理解できていないというよりは、1人を好むASDの建前の受け答えのようにも捉えられる。一人でいたい言い訳にわからなかったとしているだけで、一緒に食べることによって発生するコミュニケーションの壁を避けているように思える。

先輩から「お昼どうする?」と言われた際、「私は向こうで食べるんで」と答えたサトエリさん。彼女はこれを「お昼をどこで食べるか聞かれただけで、誘われたわけではない」と判断した。
しかし、おそらく「お昼どうする?」という言葉の裏には「一緒に食べよう」という意味が含まれていたのではないだろうか。ASD患者は言葉をそのまま受け取り、会話の裏に潜んでいる感情を汲み取ることが苦手とされている。

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―――特徴を理解し、適材適所で動けば強みになる

―――腸内細菌が作用しているという研究も

下記が『腸内細菌と自閉症スペクトラム障害』と題された論文である。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsbpjjpp/30/2/30_55/_pdf

―――障害も見方を変えれば癖が味になる

これから

―――悩んだらまず生きる選択肢を考える

「死にたい」と心の中で思ったことは幾度とあるだろうが、実際に実行しようとしたことがある人はそう多くはないだろう。昔、学校で先生が道徳の授業か何かで自殺未遂をした過去を述べ「首をくくろうと思った時、家族の顔が思い浮かんで、悲しむだろうと思った。」と語っていた。生きる選択肢を取ることは、未来はわからないものの死よりは良い選択だと思われる。

下記記事では、希死念慮は視野狭窄が引き起こすものだと述べていた。死にたいと思う状態の際、身近なことが億劫になることで生活習慣が悪化し、悪循環に陥り、思考が「死」で埋め尽くされる。「死」によってすべてが無になり、苦しみから解放されるという結論だけで埋め尽くされ、生きていく際の次のステップが踏み出せない・思い浮かばないままぼんやり息をしている状態になる。個人的な持論としては、気分が安定している時に身近な面倒ごとを片付け、将来を見据えて努力することで、万が一ダメになったときの生きる上での選択肢が浮かびやすいので、先延ばし癖を辞めてとりあえず何かしらに手を付けて夢中になるということが重要だと思われる。

今、思えば、人が死にたいと思うのは、端的に言えば「視野狭窄」、つまり視野がものすごく狭くなって、それしか考えられない状態です。自分も捨てたもんじゃない、ということがまったく思いもつかない状態なのです。こうした「視野狭窄」から抜け出すにはどうすればいいのでしょうか? 今日はそのことをお話ししたいと思います。
私が経験から学んだ抜け道は、ひとつは肉体的なこと、もうひとつは精神的なこと(心がまえ)です。
ひとつは体を動かしましょう、ということです。
自殺未遂をしたあと、母は私が引きこもっているのを見かねて、私を夜のドッグランに連れ出しました。住宅地の人が犬を散歩させる場所です。
私は夜、真っ暗になった誰もいないドッグランで、母に見守られて毎日走りました。33歳の無職の独身女性が、誰もいない真夜中のドッグランで走っているのですから、そんなに楽しいものではありません。運動すると息苦しく、不安になるときもあり、将来の展望も持てず、本当にみじめな気持ちがしました。
しかし命というのは、肉体と精神が磨かれて、初めて輝くものです。ほとんど見えないような緩やかな速度で、私の魂は徐々に回復していきました。

33歳のとき、一命をとりとめた教員が伝えたいこと

参考・関連文献


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