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「貧乏だから」と言うな

 こんにちは、杏鎧 蒼(Angai Sou)です。僕は幼い頃から親に「ウチは貧乏だから」と毎日言われて育ちました。おかげで社交性は減り、無駄なことにお金を使い、見た目も心も貧しく成り果てました。今回は僕の体験談をお話します。


1 両親について

 僕は幸いなことに、両親共にいたのですが、成人した今でもそれを心から嬉しく思ったことはありません。というのも、僕は両親にまともに育ててもらった記憶がないからです。
 母は嫌な人で、家に帰るとずっと仕事の愚痴や他人の悪口を大声で呟いています。僕が物心ついた時には既にそうで、嫌味の英才教育を受けていました。最初は聞くようにしていた記憶があります。でないと愛されないのではないかという不安があったからです。しかし、小学生になる頃には母の独り言を完全に無視していました。今でも当時の母を思い出して気分が悪くなります。それほど嫌でした。
 父は全く家族と会話をしません。僕が幼い頃は出張に行って帰ってこない日があり、父の性質には気が付きませんでした。幼稚園の卒業文で父のことを書いたくらいには盲目でした。(当時、母のことは嫌いだったので、書かずにいたら数日間そのことについて何度も言われ、気分を害した記憶があります) 父は仕事をよく辞めたり始めたりを繰り返す人で、日帰りの仕事になった時、父の寡黙さが露呈しました。話しかけても一言二言で会話が終わります。帰るとすぐテレビをつけ、ずっとその画面を見ているのです。父と会話を交わした記憶はほとんどなく、友達との方が会話をしたんじゃないかというくらい話が弾まないのです。そして、金にがめつく、普通車免許の教習代も譲り受けた父の車を売った時もお金を返せと請求してきました。前者はまだ理解できますが、後者はめちゃくちゃ引きました。「え? あげるって言っていたよね……? 売ったらその金取られるの……? 業者に手配したのも、金額交渉したのも僕なのに……」
 そんな父と母は2人合わせて月収20万以下。毎月生活がカツカツで貯金もしていません。それどころか借金をしていました。収入面で見ても裕福とは言いようがありません。

 僕は学生の頃、バイトをしていました。とはいえ、毎日のように働くほど元気はなかったので、夏休みや冬休みの間や短期的にやるだけに留まっていました。しかし、それでも30万は軽く貯まっていたはずです。卒業した時、母から通帳が渡されました。
 ・4860円
 僕は困惑しました。4000円……? 何かの間違いだろ? そう思って母に問いただすと、母は悪びれもなく言いました。
 「あんたのバイト代で授業料払ったから」
 僕はそんな話を聞いていません。その時、初めて知りました。たとえ生活に困っていて、代わりにバイトをして授業料を払って欲しかったとしても、普通は最初に言いますよね。一言もそんな素振りなく僕の30万円(推定)が消えていました。
 そんな家なので当然大学は行けず、就職を選びます。そのことについて「大学に行かせてやれなくてごめん」という言葉も聞いたことはありませんでした。そもそも、子供を作るなら考えて欲しいものですが……母も父も金の計画性がなく、家計簿もつけない堕落した人なので、とりあえず高校までなんとか育ててそのまま就職して稼いでもらうかぁ……くらいに考えていたのだと思います(正直、そこまで考えていたのかも怪しいですが)
 働いて当然、嬉しい、普通の人になってくれて嬉しい、そういう空気感があって反吐が出そうでした。僕はそんな人生を送りたくて生きているんじゃない。そのくせ自殺未遂をした時は慌てるもんだから酷いもんですよ。自由すら与えられないんですから。
 タバコをやったり、ファーストフード店に毎月行ったり、酒を買ったり、ラノベ小説や漫画を2000冊買うくらいなら僕に習い事や塾のひとつでもやらせてくれないもんですかね。野球やサッカーチームにも入らせてもらえなかったですし、何もやらせてはくれませんでした。

2 友達付き合いが続かない

 僕は小学生の頃、同学年の人全員と話したことがあるくらいに社交性がありました。しかし、年齢が上がってくると遊びに金銭の伴うものが増えます。幼い頃、友達Aと安くて人も家族一組しかいないような遊園地で「200円だけね」と遊んだことを思い出します。一緒にいたAはそこそこお金がある家庭だったので、少し恥ずかしかったのを覚えています。後に別の遊園地やお祭りに連れて行ってもらったので、なおさら恥ずかしかったです。Aも僕が貧しいと気付いていたようでした。それはそうです。おさがりの薄汚れたボロい服、ボサボサの髪、両親の格好、家の汚さ。どこを見てもAより劣っています。それからAはたまにマウントを取るようになりました。それがすごく嫌で、僕はあまりAと遊ばないようになりました。
 時は経ち、別の友達と映画館へ行くことになりました。その日はとても楽しく、満足して帰った時でした。迎えに来た母が突然こう言います。
 「映画代1500円か〜、今月キツイな〜」
 僕は一瞬で嫌な気分になりました。楽しかった映画の帰りに子供に向かって今月キツイとか言いますか!? 酷くないですか!? 思い返すと本当に酷い話だと僕は思います。その件があって、僕はお金を使うような交流を渋りました。中学生の頃、プールに行こうと誘われた時もお金がかかるのでありもしない予定を作って断り、学校以外での交流を避けました。それは決して友達が嫌いだったという訳でなく「金がない」と親から言われることが嫌だったからです。毎日、毎日、言われ続けているので本当にこの言葉が聞きたくなかったのです。
 しかし、その選択肢を取ったことで友達は減り、まあ学校では話すよね、くらいの関係の人しか作れませんでした。そりゃそうですよね。
 修学旅行も金がかかるので行きませんでした。なので、遠出や旅行の経験がなく、成人している今でも地元から出るのがストレスなくらい遠出ができないのです。成人するまで電車もバスも飛行機も……ありとあらゆる公共交通機関を全て合わせて片手に入るほどしか経験しませんでした。そのせいで未だに徒歩か自転車が安心します。今はお金が無いのでいいですが、いずれ困りそうで嫌ですね……。

3 身だしなみが貧乏そのもの

 皆さんは学生の頃、こんな議題について話し合ったことはありませんか?
 「学校の制服は必要か、必要でないか」
 論文の授業でやったことがある人が多いのではないでしょうか。僕の考えは分かりますよね。必要です。絶対に。なぜなら、私服だと貧乏だと一発で分かるからです。シミの着いたシャツ、シワシワの服、ほつれたズボン、穴の空いた靴下……安かろう悪かろうで買った服を数着しか持っていない身からすれば、私服登校の凶悪さが見て取れます。私服登校なんて金があるから出来るんですよ。僕は制服という、貧富の差が分からない服装に助けられました。シャツがシワシワになっても上から羽織ればバレませんし、靴下も指定なので、穴なんか空いていません。母は案の定、制服代が高いことを愚痴っていましたが、僕は汚い私服で登校することの方が恐ろしかったですよ。下手したら虐められますから。
 髪は美容院も理髪店も行ったことがなく、1000円カットか父のバリカンで切っていました。(1000円カット→半年くらいバリカンとハサミで切る→乱れてくるので1000円カット、がいつもの流れです)
 なので、同級生の中で一番小汚いというか、子供のような髪型になっていました。洗顔料も安くて肌に合わないものを使っていたので、ニキビが生え放題で酷いもんでした。

4 家が汚い

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