『春』(桃萌)
空気が冷たい理由は定かじゃない。ひんやりとした冷たさより、張りつめた冷たさ。
鼓膜の閉鎖感に気が付き、少し考え耳鳴りだと理解する。目を瞑ってしまうほどまっすぐな音が頭を循環する。
それが後頭部に退くのを見守りゆっくりと目を開けると、正面に1人の少女が座っている。
わたしは電車が発車するのを待っている。座席に座り、薄暗い外の景色を見ていた。
わたしは、音楽について問いたいようだった。
「あなたは音楽がすき?」
わたしは微笑んで言った。誰に?目の前の少女に?
少女は何も言わない。少し口角をあげたまま、動かない。
しずかに電車が動き始めた。
わたしは問い続ける。
「あなたは音楽がすき?すきだから音楽をするの?どんなところがすきなの?」
少女は何も言わず、しかし静かに微笑み続ける。
「なんで音楽をするの?なにかのために音楽をするの?だれかのために音楽をするの?」
1駅目に着いた。誰も乗ってこない。
話しながら、どうしようもない痺れのようなものが全身をめぐる。
わたしは問い続ける。
「あなたはなんで音楽をしてるの?なんのために音楽をしてるの?だれのために音楽をしてるの?」
少女は静かに微笑んだまま。
「あなたにとって音楽はなに?あなたのためのもの?だれかのためのもの?どちらのものでもないの?あなたはどうして音楽をしてるの?音楽がすきだから?音楽を愛しているから?」
2駅目に着いた。誰も乗ってこない。
話しながら、瞳の奥が刺されたみたいに痛くなって、全てが流れ出しそうになる。すこし強く、息を吸う。
わたしは問い続ける。
「音楽を愛しているのに、音楽で誰かと戦うの?音楽を愛しているのに、音楽で誰かと比べるの?」
少女は静かに微笑んだまま。
「あなたにとって音楽の存在は、あなたが誰かに認められるためのものなの?あなたにとって音楽の価値は、誰かによって変わってしまうものなの?あなたが愛するものはそんなに脆いものなの?わたしが愛したものはそんなにも脆いものなの?わたしにとって、音楽は」
3駅目に着いた。誰も乗ってこない。
話しながら、瞼のうらを撫でつける鈍い熱さがして、わたしは泣いていることに気がつく。瞬きを繰り返さないとすぐに視界が歪み、前が見えなくなる。
だけど、わたしは問い続ける。
「音楽は、唯一の救済ではないの?誰もわたしのことを理解できないし痛みもしらない、だから音楽が救ってくれて、わたしにとって音楽は唯一の肯定で、何も知らない何も痛くないあなたなんかじゃ分からないようなことすらも理解できるような絶対的な存在で、わたしの全てをよく知っていて、わたしの痛みもよくわかっていて、世界のなかで1番わたしに安心と幸福を与えてくれる、おおきなものじゃないの?わたしたちにとって、そういうものじゃなかったの?わたしは、まちがってるの?わたしにとって絶対的なものはどこにあるの?わたしにとって音楽って、なんだったの?」
涙が止め処もなく頬を伝う。眼は充血し、頭は痛く、心臓はにぎり潰される。もう、何も考えられない。
少女は静かに微笑んだまま。
わたしは言う。
「ついには、精神的快楽すら、わたしのどこに存在するか、分からなくなってしまった」
少女は、静かに笑う。
しばらくなにもない、とうめいな時間が続いた。
線の薄いとうめいがあまりに続きすぎて、それに塗りつぶされそうになったとき、卒然とうっすらとした光が差した。
その先を辿り、目の前の少女がいなくなっていることに気付く。
驚くのも束の間、眩しくなり、目の前が不規則な形に分解される。全ての音が聞こえなくなる。
あぁ、めをあけて…
ゆっくり、膜をはった白さに包まれたまわりを咀嚼しながら、目をあける。
涙にあそばれた瞼は重く、まつ毛にいくつか小さな宝石がついた。
全ては夢だった。
わたしは何が聞きたかったのだろうか。
少女は誰だったのだろうか。
きっとわたし以外だれもこたえを見つけられないし、わたしすらも分からないだろう。
わたしを飲み込んだ大きなクジラはわたしに何を見せたかったのだろう。
中西桃萌
(4月テーマ : 夢)
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