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雨が降らないことを確認し続けることは、雨を待ち侘びるみたいな矛盾を感じる

◇ 後に遺ることは寂しさでもあるのかもしれない

萩原朔太郎の詩集が欲しくなったから
本屋さん巡りに出かける
Amazonだったら一歩も外に出る必要など
まるでないのだが、私は本屋さんに行くこと
それ自体に意味を感じる
結果から言うと、5店舗ほど廻ったけれど
買うことは叶わなかった
じゃあ、Amazonか、と言われるとそうではない
少しも偶然ではないけれど、出会いたいのだ

それにしても書棚を上から下に目で追い続けると
生きているなかで読んだ本に邂逅し、無言で
『あ、これ読んだ』『これも、これも読んだ』と
目でしるしをつけていくのだけれど、同時に
『あぁ、この方はもうお亡くなりになってる』
『この方の新作をもう何年も見ていない』と
思うことも同じくらいあって
常々『遺す』ということにこだわりをもって
いるけれど、遺ることも良し悪しかなあと
今日は思った
作者の意図や想いによらず、置き去りになった
ように見える作品たちは何を思うのだろう
歴史的に評価されたもの以外は忘れ去られてゆく
ということもまた事実なのだなあ、と思った

活字にも宿る想いや命がある


◇ 知覚されることで自覚する自身の生

目だけを開けて人波のなかにいると
私はいないのではないかと疑念が浮かぶ
三連休のあいだは、とにかく人が多く
まっすぐ歩くことの難しさを感じたけれど
家族連れやひとりでいない人たちのなかで
私という存在はいないことになってやしないか
とおかしな疑念が浮かんでくる
そんなはずもなくペットショップに行くと
店員さんにロックオンされ、やがて仔猫を
タオルに包んで抱いてみませんかと営業を
かけられる
タオルの何倍もほにゃほにゃして、あたたかな
ちいさな体を腕のなかにおさめると
こちらに視線をむけながらちいさな手で
襟首に引っかけた眼鏡をおもちゃにし始める
無垢が私に触れたら汚してしまうのではないか
なんて余計なことを考えることそれ自体が不純で
まんまと私はほだされて、ピンク色の肉球や
潤んだ瞳を愛くるしく思う
そんなちいさなちいさな命に私は存在している
ことを教えてもらう

かんたんに説明のつくこともまた
疑わしく思える時がある
それを払拭するのは難しい論理や講釈などではなく
とても簡単にして稀有なぬくもりなのだと
気づかされる
ひとりでは気づかないことばかりなのだ


◇ 内側に何もないから旅に出たくなる

自暴自棄でも自信喪失でも惑い迷いでもなく
自分自身のなかの無や虚無、絶望のようなものを
常に感じているなかで、考えを巡らせると
旅に出たいなあと思い始める
幸か不幸か夏休みを取ることなく夏は終わって
しまったから、旅に行く時間は取れそうだ
去年のふしぎな旅のように色々なところに行って
自分の感受性をふるわせたいものだ
何もないからこそ飢えるのかもしれない
絶望の濁流にあっても生きるしかないから

本当はどこまでも歩き続ける旅や
特に目的もなく海外に移住してみたり
したいけれど、日々の生活を捨てることが
私には出来ないでいる
それはつなぎ止める理性の杭のようでもある


たんなるにっき(その66)

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