雨なので息子とクッキー作り。 子供が幼稚園から帰ってきてまったりする日は、自分の小さい頃を思い出す。 私の母は、いつも手作りのお菓子を作ってくれる人で、ケーキやクッキーやゼリーなど毎日手作りのお菓子が私の帰りを待っていた。 慣れとは恐ろしいもので、子供心に「スナック菓子がおやつのお家が良かったな」なんて思ったものだ。 放課後お友達と遊ぶときに手作りケーキを持っていくとみんなが大喜びで、それが不思議だった。 仲良しのEちゃんは、帰り道に我が家でおやつを食べていくこと
人は誰でも答えを自分の中に持っていると言われるけれど…それは宇宙の根源の記憶が誰の中にもあるということ。 わたし達はここに在る。 全てはこれに尽きるけれど、端的に言えば何も変わらず何も成長せず、ただただ在ることを許されているだけ。 だから今目の前に起こっていることや握りしめている不安も結局どうでもいいこと。 完璧な流れの中で起こることはただ起こっています。 私が悩んだりどうにかしようしても、事はただ流れていき、その流れは絶対に間違った方向に流れていかない。 だからどん
確実に言えることは、私達はこの地球に生を受けてきてからずっと「わたし」だったということ。 生まれたばかりの赤ん坊は、世界全てがわたしで、そこにはあなたとわたしは存在していない。 でも母親という存在に触れ、わたしとあなたが生まれる。 そうして段々とあなたに触れることで、本当のわたしではない、あなたから見た私を創り上げていき、「私」という存在が形成される。 いつしか「私」が全てで、世界を見る目も自分を見る目も全てが「私」から行われるようになる。 本当の「わたし」はどこ?
私のセッションの中で漠然とした恐れを持っている方がいらっしゃることがあります。 私たちは自分の恐れや不安を押し殺して、頑張って我慢して乗り越えることを教え込まれています。 例えば、小さい子が転んだら多くの親がこう言います。 「痛いの痛いの飛んで行け〜ほら痛くない。もう治った。」 「男の子でしょ泣いちゃダメ」 「強いね〜」 小さい頃から痛さや悲しさにどっぷり浸かってはいけないような声がけをされます。 そして大人になると、ネガティブな気持ちや恐れや不安を持っていないかのよ
この社会の中にいると、成長しないといけないし、もっと○○できるようにならないといけない…まるで今の自分じゃダメかのように考えることがあります。 もっと頑張らないといけない、もっと上手にならないといけない、もっと充実していないといけない。 みんなが見えないどこかに向かって進んでいく。 それがこの社会の中の人生だと思いがち。 でも私たちはどこにも向かっていないし、成長なんてしていません。 自分の内側にあるその温かなものは、ずっと在って、誰からも奪われず、ただただそこに在
人は色々なことに悩み、考えて生きています。 何かに悩んでいるとき、それは過去か未来に想いを馳せています。 過去に起こった出来事に悩んだり。 これから起きるかもしれない未来に悩んだり。 悩みがあるときは過去か未来を生きています。 小さな子供は悩んだりしません。 それは今というこの瞬間だけに生きているから。 今日は何を食べよう? 今日は何時に寝よう? 昨日は怒られちゃったな。 なんてことを考えている小さな子供はいません。 子供と接しながら、「あれをやらなきゃ」「何時
私の見ている世界。 あなたの見ている世界。 同じ地球、同じ日本、同じ時間。 もしかしたら同じ人と過ごしてることもある。 けれどそれぞれが生きている世界は違う。 今日は雨が降って憂鬱。 今日は涼しくていい。 あの人はすごく優しい。 あの人はすごくわがまま。 私はツイてる。 私は何をやってもうまくいかない。 みんながそれぞれの創った世界で住み、喜び悲しむ。 視点を少し上げると、みんなのそれぞれの世界がこの地球を創り、宇宙の惑星として存在している。 あなたの光。 私
いつかの夕日。 「日本」というエネルギーについて話す機会があって、日本のエネルギーについての話は面白いなと思いました。 日本という土地が持つエネルギーは、円のエネルギー。 丸いエネルギーがこの島国にはあって、その丸い円のエネルギーがグルグルと回っています。 外からエネルギーを得たり、どこかからエネルギーを引っ張ってくるエネルギーではなく、今あるエネルギーを円の中でグルグルまわすイメージです。 だからこの日本は、輪を大切にして、調和することを大事にしているわけです。
「ミュータントメッセージ」を書いたマルロ・モーガンの本。 もう廃版になっていて、ネットでも高値だったので図書館で借りて読んでみた。 ミュータントメッセージ同様に、舞台はオーストラリアのアボリジニの話。 この本はまさに宇宙の根源を描いた本で、大いなる真実はこれ以上でもこれ以下でもなんでもなくて。 批判もあるのかもしれないけれど、シンプルに真実を書かれていて、きっと彼女もこのことを書くことが決めてきた魂なのだろう。 永遠♾というものは、途切れず果てしなく続き。 私たち
久しぶりに海に行って、石ころを積んでみたり、寝転んだりしながら。 スピリチュアルな力の個性について考えた。 我が家は祖母の代から色々なものが見える家系だけれど、みんな得意不得意があって結構面白い。 例えば祖母は未来の大きな情勢が見えるので、戦争や災害なので大きな出来事が予測できました。 母はモノや人の記憶にアクセスできるので、人探しなどが出来ます。そして祖母と同じように未来が見えます。 兄は地球や大地などのエネルギーに敏感で、地震などが予知できます。 私は人の
雨の降る音。 雨の降る音は実はとても無音に近くて。 大地やモノに当たってはじめて、私たちが想像する雨の音になる。 大地があり、水があり、大気があり、宇宙がある。 全ては完璧なバランスの中で調和しながら共存している。 大地に染み込む雨も、葉っぱにたまる雨も、川に流れる雨も全て完璧。 この宇宙に存在する全てがいい感じ。 私もあなたも雨と一緒。 全て完璧で、やっぱり全てがいい感じ。
私は祖母の代から代々エネルギーを見ることができるけれど、エネルギーって何?気と違うの?と時々興味をそそられます。 特にスピリチュアルな勉強をしてないので、スピリチュアル界隈での共通言語?のようなものを聞くと、単純に何?なに?と興味が湧きます。 大抵は「なーんだそれか」となります。 すでに自分の中に在ることが多いので、スピリチュアルな世界ではそういう風に呼ぶのか…ということになります。 そんなにシリアスに、そんなに大それたように言わなくても…と思うことも多々あります
この桜が咲くと、桜の季節も終盤だなと思います。 毎日ゆっくりと咲いていく桜。 歩みをとめて、空を見上げ、花を愛で、下を向けば息子が楽しそうに笑っている。 それだけで幸せなわけです。 今この世界で起きていることは、決して怖いことではなくて、この地球が新しい学びを経て新しい価値観を持って進むという決意です。 歪んだ価値観を一度リセットし、本当に大切なことは何かを教えてくれています。 大切な人を大切にすること。 思いやること。 気にかけること。 ゆ
春の世界が溢れていたのに、今日は雪模様。 桜もびっくりしているかな。 桜が咲き始めた頃、息子が公園でお友達と遊んでいて肘が抜けてしまった。 すぐに病院に行き措置をしてもらったものの、腫れていてずっと肘をかばっていた息子。 大人も怪我をすると心がびっくりして疲れてしまうけど、子供はもっと強烈な出来事として捉えていて、下を向いて歩く姿が痛々しい。 その晩、私の母とスカイプをしながら怪我をしてしまったんだという話をした。 「脳が痛さを記憶してるんだよね。無理しないよう
どこまでも続く海を見ていると、私たち人間は自然の前ではちっぽけで、ここにいることただそれだけなんだなぁと思い出す。 くじらを探しに行って、何もない海の上でどこ までも続く海と太陽を感じながら呼吸をした。 吸って、吐いて…吸って、吐いて。 海の揺らぎ、太陽の暖かさ。 船のエンジン音。 みんなの笑い声。 海の上でも、やっぱり生かされてるなと実感した。 この地球に住まわせてもらい、今日もこうして呼吸して存在してる。 あぁ、なんて幸せなんだ。
梅の花が最近きれいで、見かけると嬉しくなる。 人は見たいように世界を見て、そこに自分を住まわせています。 嫌な人が登場する世界。 優しさに溢れる世界。 ウイルスが蔓延り恐怖を感じる世界。 生かされていることに感謝する世界。 自分が傷つかない世界。 人に祈りを捧げる世界。 私たちは、あることにこだわりを持ち、そこにエネルギーを注ぎ、思った通りの世界を自分で作っています。 そうは言うけど、私は嫌な人と出会いたいなんて思ってないし、傷つくことなんて望んで