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公民の教科書がコロコロっと変わる理由 - 東大阪市編

 教科書は、人類にとって、たぶん、最も価値ある図書であるハズです。
 でも「あなたが感動した図書は何ですか?」と問うた場合、教科書を挙げる人はいませんよね。
 お役所の教科書検定によるオスミツキがある、にも関わらず。
 多くの賢い人たちによって、編集され、検査されている、にも関わらず。


 教科書は、健全に成長をする子どもが読む図書です。
 なので、内容は、真実が記載されていることが期待されます。貴重な時間を費やしてまで学習する価値のある内容になっているハズです。

 教科書のあり方を議論することは、人類にとって真実とは何か・正義とは何か、を議論することと同じかもしれません。

 人間が人間として望ましい形に成長する、とは何か?という議論ですから、人間の生き方・考え方にまで発展するハズです。
 期待値だけは高いですね(笑)。

 私はこの記事で教科書のあり方を、ア~だコ~だ言います。
 なので、この記事の読者は、人類の真実や正義に関して、ある程度の教養がツチカワれる可能性が少だけ残されている、かもしれません。

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子どもの教科書は、大人のためにある

 真実が掲載されているのですから、教科書の内容が変化することって、基本的に、無いハズですよね。だって、真実って1個であるハズですから。そして、普遍であるハズですから。
 特に、教科書そのものがコロコロ変わるってのは変だよね。

 教科書が進化する、ってことはあるかもしれない。
 昔に比べれば、コンピュータ関連の技術が進歩したため、英語の学習環境はかなり良くなっている。科学技術に伴う進化は、あるベキだよね。
 ハウツー系・技術系の教科は、教え方や学ぶ内容が進化するよね。

 まあ理論的にはそうなのだけれど、何故か、How to系の英語ですら、教え方が未だに確立されてない感があるね。英語教育って、数十年以上の歴史があるんだよ。しかし、今になってすら、教え方に賛否の意見が出て論戦になっているね。

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 英語ですら、こうだから、他の教科では、もっと論戦があることが予想されるよね。

 で、「公民」に目を移すのだが、論戦ってものではないよね。戦いだね。battleだね。教育現場の外での場外乱闘だね。

 公民の教科書なのに、何故、民主的に決められないのかね?
 大人の諸君は、公民教科書の決め方が変だ、と思わないのかね?

 「変だ、変だ」と騒ぐと、それが子どもに伝わり、学校や教師の威厳が無くなり、教育内容に真実感が無くなる。

 私は子どものころは「野生の猿」だった。
 「野生の猿」は、相手のスキや弱点を見つけることには長けていた。何故そこが弱点なのかを理解はできないものの、そこを突けば敵がヒルむことは、メザトく察知する。そして、実行に移す。

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教育は 野生の猿との タタカイだ (五七五)

 猿は言う:「ほほぅ、コウミンの教科書ってのはヘンなんだなぁ?よし!これで、勉強をしないで済む口実ができた!」

 「野生の猿」を前にした教育者には知性はいらない。とにかく威厳があれば「野生の猿」は恭順する。

 子どもの手前、教科書に対して、悪いイメージを作ってしまうことは避けたい。

 これが理由かどうかは分かりませんが、教科書の採択については、採択の「結果」に注目が集まります。採択率がどれだけかとか、どの自治体が採用したか、とかいう話題だね。
 採択「過程」が注目されることは、あまりありません。公正・民主的な手続きを経たのか、とかいう話題です。
 関係者諸君は、肝心なことから意図的に目をそらし、教科書としての威厳をなんとか保とうと努力をしているようだ。

 私はアえて、この記事で、この採択過程に重点を置いてハナシを進めてまいります。ぉぉ-

 公民の教科書の採択であるから、きっと、どこぞの議会よりも、とてもとても公正・中立・民主的な採択手続きが取られたであろうこと、が期待されています。みなさんは、オ・ト・ナですからね。

 あ。ついでに言っておきますが、私は子どものころは勉強などしませんでした。なので、この記事で「教科書のハナシをする」のですが、それは、子どものため、っていうよりは、むしろ大人のためにハナシをするってことになります。
 でもね、そうは言ってもね、私(東大阪市)が学生だったころの歴史の教科書には、「北一輝」「血盟団」「一人一殺」という言葉が載っていました。今で言うところのテロで社会を変革するのだね、ってことはうっすらと記憶に残っています。でも、私は子どものころは熱心に勉強などしなかったから、テロを実行したことはありませんけどね。
 いやぁ、勉強をしない、って素晴らしいことですよね!...?

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何故、育鵬社を採択するのか

 東大阪市では、中学・公民は、過去、育鵬社の教科書を採用していました。

 育鵬社は全国的に採択率が低いです。つまり、全国的に見た場合、育鵬社loveの御仁は少ない、ってことです。

 東大阪市が育鵬社を採択したのは、東大阪市には、育鵬社を愛する教育委員が多かった、ということです。東大阪市は、カタヨってる感がありますよね。それとも、愛国心の強い有識者が多いのかな。

 何故、東大阪市に育鵬社ラブの教育委員が多かったのでしょうね。

 それは人事です。

 人事を通じて教育を遠隔操作するのです。

 誰が、人事を実行したのですか?

 それは、東大阪市役所のエライさんです。

 教科書に載るべき真実が、こうもヤスヤスと、エライさんの采配によってコロコロです。
 遠隔操作ですから、エライさん自身は、教科書の採択の判断を実行していません。

 なお、教育長及び委員の任命は、市議会での同意を得る必要があるため、少なくとも外形上は、市長だけの責任ではありません。(地方教育行政の組織及び運営に関する法律 第4条)

 教育委員の言動に興味がわきますよね。
 ここで、2011年の中学・公民・育鵬社の教科書の採択をした時の、教育委員会の会議録を見ておきましょう。

・国旗・国歌について4ページにわたって記載しています。また、領土問題や拉致問題など、主権・歴史観がわかりやすく説明されており、161ページには、日本人と外国人の国歌に対する意識と態度のちがいについてのエピソードが載っており、中段には木原氏の談話も紹介され、国際的な視点から国旗・国歌について教えており、踏み込んだ部分が特徴的でよい
・国家観が感じられるかどうかを重視すべきだと思いますが、そういう意味では、育鵬社はよい
・国際社会の中で日本が国家としてどういう立場にあるかを教えていくことは大事なことであり、領土問題についてもしっかりと表記されている育鵬社がよい
・国旗・国歌や国際社会の中での日本の地位が4ページにわたり記載されており、併せて、領土問題の記載と日本国の主権も述べている育鵬社がよい
・日本の国を愛するという面で私も育鵬社がよい

 国家・国旗・国歌という抽象的なものを愛しましょう、という趣旨ですね。
 「野生の猿」の立場からすれば意味不明ですが、権威があるため、恭順させるには有効性がありそうです。


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(恭順した猿の図)
この猿の姿を見て、カワイイって感じる御仁もいるかもね
国家愛 恭順した猿 カワイイな (五七五)


 私のように、教科書に、普遍的真実が掲載されることを期待する者の立場からすれば、ガッカリです。
 国を愛することは美談かもしれません。
 今後20年後、30年後を考えると、子どもたちは世界中で活躍している可能性が今よりも高いと思われます。なので、世界全体・人類全体を考える内容の方が良いと思われます。

 国旗や国歌という抽象的・象徴的な事象に対して国家愛を抱くということではなく、市民が作り上げていく社会、ってのを題材にする方が良いと思います。そうすると、他国でも通じるような汎用性が出てきますよね。

 抽象的・象徴的な国家愛を抱いた場合、その美談の下で、具体的な利害関係案件について権力者にソンタクが図られる、ってことになります。美談は、不都合を隠してしまう危険性があります。

 残念な考え方をする精神構造は、教育委員のみならず、その方達を任命したエライさんにも、さかのぼります。

 「東大阪市はラグビーのまち」っていう標榜も、育鵬社採択も、背後にエライさんがいる点で、同じです。
 「東大阪市はラグビーのまち」は、ラグビー愛好者であるエライさんが、行政を動かしてできた、虚像です(東大阪市在住の私の意見)。

高校ラグビーの聖地といえば花園ラグビー場(大阪府東大阪市)。今年12月には100回目の全国大会を迎える予定だが、花園が会場となったのは1963年の第42回大会からと、歴史は長くない。かつての聖地を探ると、意外な場所が浮かんできた。(中略)
ラグビー好きの秩父宮が橿原神宮の参拝で大阪電気軌道(現近畿日本鉄道)に乗った際、「沿線にずいぶん空き地が多い。この辺にラグビー場を造ったらどうか」と話したのがきっかけ。近鉄はそれを忠実に実行したが、周辺の開発は小規模にとどまった。当時の甲子園に比べると、地味だったことは否めない。(中略)
花園の経営は苦しく、近鉄は2015年に東大阪市に譲渡した。(以下省略)

#日経COMEMO 「書けば、つながる」? 本当かな?

 人気が無いため経営が苦しかったのだろうなぁ、ってことは素人でもわかりますよね。

 民間ではうまくいかなかったため、行政(東大阪市役所)が、公的教育などを動員して、市民を教育し、ラグビーの立て直しを図っていくことになったのです。

 自分の意識や価値観が、何者かの作為によって意図的に構築されたものであるということは、留意しておく必要があります。


何故、育鵬社採択が継続したのか

 2015年における採択時には、育鵬社の教科書が、継続して採用されることが決まりました。何故でしょうか。

 教科書の採択においては、まず、現場の教員や保護者から構成される「選定委員会」の意見を聞きます。この意見を基に、教育委員が教科書を決定します。
 現場の声は重視され尊重されなければなりません。当たり前の話ですよね。

 でも、2015年の中学・公民の採択においては、選定委員会の意見は審議されず、結果として、教員や保護者の意見は無視され、教育委員だけで採択され、育鵬社の教科書を使うことになりました。

 むむむ。
 これは、白昼堂々と行われ、会議録にも載っています。詳しくはWebで。
 こ~れ~が~♪、コ~ウ~ミ~ン~♪ だ~♪(この部分の歌を、楽し気に歌うか、悲し気に歌うかは、読者にお任せします)

 採決のあるべき理想から著しくカケ離れている感があります。「感」ってなもんではなく、事実ですな。
 国家愛の下で行われた、ってことでしょうかね。

 公民の教科書が非民主的に決定してしまうってのは、お笑いのコントのネタですな。誰も笑いませんけどね。ぁぁ、でもね、東大阪市のマスコットキャラクターの「トライくん」は、ニッコリ顔だね。

トライくん ニッコリ笑顔で 大歓迎 (五七五)

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 これはこれで問題ですけど、「遠隔操作しているのは誰だ」って話もあるよね。
 遠隔操作をしておきながら、「組織的に独立している教育委員会の話ですから、一般行政とは関係ありません。教育委員会にお問い合わせください」ってことですね。
 ひ~が~し~♪、おぉおぉさぁかぁ♪ だ~♪

遠隔で あやつる人事は 大当たり (五七五)

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何故、育鵬社が採択されなかったのか

 2020年の審議では、育鵬社は採択されませんでした。
 あれほど人気ナンバーワンの教科書が、審議において名前すら出てこず、いきなりの脱落です。
 コロッ、コロッ!!
 継続性が無ければ、惰性すら無い。何故なんだ?

 いままで重視してきた国家観はどこに行ったのですか?って疑問が出てきますよね。
 さすがの「野生の猿」ですら気にしますよ。大切だってされていたものが、無くなったのですから。

 育鵬社の教科書の不採択の原因は、「反対派による圧力説」や「教科書内容の不備説」、「遠隔操作を、やめた説」などがあるかと思いますが、「代替手段説」を考えることもできます。

 実は、教科書検定を受けていない、東大阪市独自のテキスト「夢TRY科」(夢トライ科)が作成・配付されたのです。
 学校に置いたままで、家に持ち帰らないため、保護者も内容を知りません。

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 テキスト「夢TRY科」を導入することによって、何の問題も表面化することなく所期の目的を果たせたため、育鵬社にこだわる必要はなくなった、ということも想定されます。

 このテキストは、
・旧枚岡市(山の手地域)出身の非日常の世界を生きる、すごい英雄を礼賛
・ラグビー愛好のための刷り込み教育
という内容です。教科書検定など通るわけありません。
(参考)東大阪市 小中一貫教育 テキスト 夢TRY科の課題


 何のチェックも無いところで、テキストの作成・配付ができてしまい、テキストは学校に置いたままで保護者は見ないのです。教育委員会の審議で表沙汰になってモメゴトになる心配はありません。ある種の思想の推進者にとっては都合の良いシステムです。
 なので、このやり方は、全国の自治体に今後広まっていくと考えられます。

 類似例として、内容が非科学的であるにも関わらず、作成・配付してしまった、香川県のゲーム条例関係の学習シートを挙げることができます。
(参考)【特集】効果は?根拠は?ゲーム依存対策学習シート 香川県教委が全小中学生に配布


 東大阪市の多くの市民は、全国の皆さんと同じような趣味・趣向の持ち主なのです。決してラグビーにカタよってはいません。
 東大阪市においてすら、野球やサッカーの方が、ラグビーよりも人気があります。
(参考)ラグビーの将来性 東大阪市民の観点から


 「東大阪市はラグビーのまち」と聞いて、「ラグビー愛好者は少数なのに、何故、そのような標榜をするのかな?」という疑問を持ってください。誰しもが疑問に感じることです。
(参考)東大阪市のラグビー事業に対する考え方

 地方自治体が作成したテキストですから「国家を愛する」ということは書かれていません。郷土愛を育むのが本来のあり方です。しかし、郷土愛をラグビー愛にすり替えているのです。

 地域振興という美名の下で、教育制度を使って、個人の好みを恣意的に操作しているのです。ラグビーを愛することが、郷土愛であるかのように教え込んでいるのです。

 国家愛であれば、それを具現化する行為として、君が代斉唱だったり、国旗掲揚だったりします。
 東大阪愛であれば、それを具現化する行為として、ラグビーを見る・支える、ってことです。

 国家愛とか郷土愛と言うと美談ですが、特定の人達への利益誘導につながる危険性に留意しなければなりません。

 君が代斉唱とかラグビーとか具体的なことは、ハナシのネタであって、生き方・考え方の問題が中心にある、とも言えますな。

 賢者の方々はよく、「疑問を持て」とか、「何故という発想が大切だ」とか言いますよね。
 何故「何故という発想」が大切なのでしょうか?
 何故という疑問は、諸般の因果関係に対する思考を促します。
 社会事象に対する、原因と結果の因果関係を導き出そうとする姿勢は大切なのです。

 私は、信頼している政府や市役所に「疑いの目を向けろ」と言っているのではありません。みなさんは、不信感を抱く必要はありません。(と言いつつ、本当は、不信感なんだけどね)

 行政から、何らかのメッセージが来た場合、「何故」という疑問を持って頂ければ幸いです。
 そうすれば、「踊らされる」という被害に遭う可能性も低くなるでしょう。(やっぱり、不信感だね)

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扇動に 踊らされてる 正義マン
自戒を込めて 踊りあかさん
 (五七五七七)

「結局、踊るんかい!」


上記記事の資料関係を次のサイトにまとめてます。


生き方・考え方

 以上の記事から、「政治的な内容だ」「社会のあり方を批判している」との感想があろうかと思います。私のことを、お笑い系の社会運動活動家だと感じる方もいらっしゃるかもしれません。

 私は、生き方・考え方を自分自身で主体的に考えていくことが大切だ、と考えています。

 そして、それを社会面で展開すると、「公共機関はいかにあるべきか」という議論になります。

 しかしながら、残念なことに、東大阪市役所では、上記のとおりラグビー事業を行い、個人の趣味・嗜好をラグビーに向かわせているのです。

 このような役所の考え方・活動のあり方は、私の考え方とは真逆です。

 私のような人間が少数であることは承知しています。
 そして、役所の勢力は絶大です。

 でも、note内の記事を読んでみると、私が共感できる方々が多数いらっしゃいます。
 「人気タグ」を見ますと、#生き方 #考え方 など人間の内面に関する用語を多数見受けます。生き方・考え方を自分で考えるということです。そして、その記事に「スキ」をしている方々も多数いらっしゃいます。
 これは、救いです。

 私の記事が、生き方・考え方を大切に考えていらっしゃる方々と共有できれば幸いです。

 公共の話題として、他の方の問題もご案内させて頂きます。次の記事も、社会全体の問題として、知り・考えて頂ければ幸いです。

以上

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