26.「愛と同じくらい孤独」フランソワーズ・サガン(少女時代の読書)
フランスワーズ・サガンは、18歳の時、処女作「悲しみよこんにちは」でデビュー。一躍、女流作家となったことは皆、知るところだと思うが。私がそれを読んだのは、中学1年の頃だと記憶している。
私はベッドいっぱいにさしこんでいる、斜めの暑い太陽の光で目をさまし、コーヒーのカップとオレンジを持って、のんびりと、階段に腰を下ろして朝の楽しみにとりかかった。オレンジに齧りつく。続いて、やけどしそうに熱いブラックコーヒーをすぐ一口、それからまた果物の新鮮さを、交互に……。
というような文節に憧れて、たかが12歳の子どもが、自宅の階段に座り、何度となく真似をした。カンヌの太陽もコートダジュールの海も、この頃に覚えた。
その頃、リルケやゲーテも図書館で出会い、よくわからないまま必死でページをめくっていた。シェイクスピアも同じく。いま、思うに、読んだとはいいずらく、言葉の表面をなぞっていただけだろうと思うけれど……。
フランソワーズ・サガンは、たぶん15冊くらい読んでいたのだろう。異国への憧れとともに、恋愛、怠惰、裏切り、女性としての生き方など多くを学んだはずだが、今はなにひとつとして覚えていない。
それでも、すごく印象に残っているのがこれ。「愛と同じくらい孤独」(インタビュー集)。死に対する思いや孤独など、彼女の作家としての日常と裏側が痛ましいくらい記録されていて、すごく影響をうけた一冊。
今、私はライターとしてインタビューをする立場にあるのだけれど、その「原点」ともいえると思う。全編読まなくても、数行拾い読みしてもいい、だからこんなにはげて擦り切れている。言葉の扱い方が丁寧だし、ドキュメンタリーのよう。フランソワーズ・サガンの映画も、「サガン 悲しみよこんにちは」(2008年)は、時を変えて二度、視ている。
彼女の生き方は、子どものように純粋で傷つきやすいのだ。
「わたしは時々人生が恐ろしい冗談だと思うことがあります。少しでも感受性があると、そこらじゅう傷ついてしまいます。いつも。そのうえ、ちょっと苛立ったり、じれったいと思ったりすることが始終あるし……。(中略)
人間はいつも何かに頼ってしまいます。それが恐ろしいことだと思います」
「愛とおなじくらい孤独」の翻訳は朝吹由紀子さん。サガンの小説の翻訳のほとんどを由紀子さんの母、朝吹登水子さんが手がけていて、『私の巴里・パリジェンヌ』『豊かに生きる』など、エッセイを書かれており、今でも時々、眺める。わたしのヨーロッパ好きはこのあたりから来ているんだろう。
作家の朝吹真理子さんは、登水子さんの姪にあたる。『きことわ』『TIMELESS』「抽斗のなかの海」などなど。朝吹真理子さんの著書はそういう流れの中からとても親しみをもって読ませて頂いています。言葉の選び方、語るニュアンスもとても好きです。