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32. 睦月の祈り

 睦月は、神さまを近くに感じる季節だ。姿の見えない賓客をお迎えし、感謝の気持ちを申し上げる。お迎えしているのは、御先祖ということらしい。罪や汚れを祓うために大晦日には、家中の掃除をし、お節料理の煮炊きをしながらNHK紅白歌合戦をつけるのが、わが家流の過ごし方。日が変わる前には出雲蕎麦をゆで、自宅で揚げる海老天か、かきあげをのせる。紅白を見た後は、「ゆく年くる年」へとつづく。居ながらにして初詣。全国の神社仏閣が見られる至福がある。いよいよ、108つの鐘の音も終わりに近づくと、ことし初めての、神さまへ会いに行くのである。 

 闇の濃淡。凍る空気に両手を合わせて、ふと陰翳を見つめれば、釣り鐘の黒光りが、重々しい響きが、静寂の空気を包んでいる。御神酒を1杯だけ頂戴して、わたしたちは除夜の鐘をつく列へ並ぶのだ。いよいよ自分の番が来た。「せえの」と心の中で唱えて、勢いをつけて後ろへ反りかえり、挑む気持ちでゴーン!鐘を鳴らすのだ。
 

 三が日のあとは例年、島根県の出雲大社へ参拝している。日本最古の神社建築、青々しい松に迎えられる、流麗な檜皮の屋根のかたち。岡本太郎は「この野蛮なすごみ、迫力、日本建築の最高表現」と称したとか。背後には八雲山が盾になり、本殿近くになると高い雲間から光のドレープが降りてくるのが毎年信じられない現象である。神さまには多く願わないのがよいらしい。一心祈願では神さまの入るスキマがないという。無事にこられた感謝を伝え、住所と名前を伝えるのである。  

 10日には、えびす宮総本社の西宮神社へ出向いて、新しい春の商売繁盛を願う。縁起を担ごうとか、あやかりたいという思いよりも。睦月という、年の初めの寒冷の中のほのぬくい太陽が、周囲の人々のさあ、これからぞ、という勇ましい空気が。わたしを厳かへと誘い、お正月さまを迎える幸せを、寿ぐ気持ちにするのだ。こうした1年、1月、1日の積み重ねで、わたしたちは生きている。見えないものを信じ、お迎えするにふさわしい新鮮な心を忘れないように。吉夢を運んできますように。


「某企業の会員向け情報誌での連載エッセイ③2022 winter号」から

 


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