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辺野古の基地誘致、金武村の基地誘致でもついでに証明してしまう
この記事、1957年10月19日の沖縄新聞なんだけど金武村の海兵隊基地を陳情の見出しで書かれてる重要な文書なんだけど文中に「すぐ近くにある久志村辺野古の住民達がシュワブ海兵隊キャンプ建設のため自分達の土地を使用してくれと申し出てげんざいすばらしい繁栄をしている」と書いている
因みに沖縄県立図書館の5階資料室で誰でも見れる
日付は掠れてて見えないが、本になってるので予測はできる
辺野古区の移設への民意
肝心の辺野古区民の移設への民意は賛成5割、条件付き(インフラ整備等)では8割以上と圧倒的に容認。
しかも、2019年に米軍再編予算で下水管整備が決まってるからもう少し上かも?
何人もの辺野古区民に聞いたが、みんなこのくらいだった。(共同通信那覇市局が記事にしてる)
辺野古の基地外反対派の嘘
じゅごんの里と書かれたテント
普通、辺野古の催し物であるならば「辺野古区公民館」と書かれてるはずであるが…
じゅごんの里?調べてみたら勝手に海中ポスト設置して辺野古の漁師ガチギレさせて、引っこ抜いてテントに置かれた東恩納琢磨の関係先じゃねえかw
で、辺野古区とは無関係でした
本当、反対派は厚かましいねえ
(角力の写真は以前伺って撮ったもの)
情報開示請求は誰にでも出来ます。
金武町に行って情報開示請求して来ました。
目的は県庁の嘘を暴く為。
いやあ、自分5年前に脳梗塞やって、右半身不随やから、字が書けないのを何とかリハビリで少しは回復してるんだけど、なんとか職員さんが代筆してくれました。
自分で書いたら10分以上かかるし、汚い字なので代筆。
それと、1957年のタイムス観せたら職員の人、かなり動揺してましたわ。
そりゃ「金武村マリン基地誘致」なんて書いてあるからね。
ネトウヨ、奄美に降り立つ
嘉徳浜と言って、地元が求めた護岸工事進めているところ
嫌がらせをする反対派への地元の反対派への反応をご覧ください
まあ、嘉徳海岸と言えば、歌手の元ちとせさんの出身地
嘉徳集落の半数以上が元姓らしい
要するに反対派は直ちに立ち去れこのバカどもが
沖縄県庁「沖縄は今日まで自ら基地を提供したことは一度としてありません。キリッ」
沖縄県庁「沖縄は今日まで自ら基地を提供したことは一度としてありません。」
沖縄タイムス「金武村マリン基地を誘致 一括払い新規接収にも応じる」
「これは先の久志村辺野古に次ぐ動き」
銃剣とブルドーザー3 伊佐浜
宜野湾村伊佐浜の銃剣とブルドーザー、"要求通りの代替地が与えられない限り立ち退くわけにはいかない"ってただのゴネ徳失敗しただけの話じゃん。
あと、伊佐浜は普天間基地とは違う、キャンプ端慶覧(現コートニー)だから、普天間基地は銃剣とブルドーザーで強制的に摂取された基地とは無
関係。
しかもコートニーは県議会議事録で誘致・提供された土地を含む。
バッカじゃねえか?
銃剣とブルドーザー
琉球政府、立法院、土地連合委員会及び市町村の四者から成る軍用地問題解決委員会が作成した資料等によりますと銃剣とブルドーザーで強制摂取した土地は米軍基地面積の0.8%。
(沖縄県議会議事録平成19年3月1日)
と言う資料がある。
これを見つけた時は、衝撃だった。