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藤井風「帰ろう」より 創作短編小説「風せんせいとぼく オカンの帰る場所」


瀬戸内の離島に響くピアノ


放課後の教室で、風はひとりピアノに向かっていた。

彼の初めての勤務先であるこの小学校は瀬戸内の離島にある。島民の高齢化と過疎化が進み、児童の数が減ったこの学校は来春で廃校が決まっている。

音楽の臨時教員として、この島に赴任してから3年。関わった子どもの数は少なかったが、教え子を通して島の人々にはとても良くしてもらっていた。人と人との距離が近い小さな島での生活は、見方によっては息苦しく感じるかも知れない。だが大家族で育った風には、とても居心地が良かった。


小さな町の人々は皆、はじめは新任の音楽教師「風先生」に戸惑っていた。

田舎町では見掛けないようなスラリとした長身の美青年が、ピアノを前にすると菩薩のような表情で天上の調べを奏でる。普段、子ども達と一緒にたわむれる様子は、まるで自分も小学生になったかのように無邪気だというのに。風がピアノに向かっている時は、明らかに普段の彼とは何かが違っているのだ。

風先生の奏でる叙情的なピアノと歌は、たちどころに小さな島中の噂となった。最初のうちは多少、警戒されたものの、彼の飾らない人柄と優しい物腰に惹かれる島民は増えていった。

日を追うごとに彼は丸ごと受け入れられ、家族のように親しく付き合う家庭も多くできた。たった3年間だったが、教え子一人一人の顔や名前、家族構成や家庭環境までわかるようになっていた事が、風のひそかな自慢だった。

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放課後の教室で

クリスマスも近くなった師走の放課後、風は教室でひとりピアノを弾いていた。するとその時、パタパタパタ…というけたたましい音を立てて、誰かが駆け込んできた。

「あ!やっぱりまだおった!風せんせー!!」

まるでリードの切れた仔犬のような勢いだ。転がり込んできたのは2年生の知典。風が初めて担任を受け持った児童のひとりだった。

知典は母一人子一人の母子家庭で育ち、今は近所に住む祖母と暮らしている。シングルマザーの母親は、この夏から島唯一の病院に入院中。祖母が先日の懇談会で話すには、病状はかなり悪化しているらしい。クリスマスまでは何とか持ちこたえたとしても、年を越すのは、もう難しいのではないか、との事だった。

「なあ、風せんせい。ぼくな、先生に教えてほしいことがあるんや」

「なんやトモくん。今日はどうしたん?」

知典はランドセルを机にドスン、と乱暴に置くと、
ピアノの横まで来て風の顔を見上げながら言った。

「うん、ぼくのオカンな、病気で入院してんねん。ばあちゃんが『お母さんには、もうすぐ会われへんようになるかもしれへんから…優しくしたらなアカンで』って言うんやけど…。ぼく、どうしたらええか、ようわからん」

「トモくんのお母さん、そう言えば夏からずっと入院しとったな…。そういや今は、ばあちゃんと二人暮らしじゃったろ?」

「うん。」

「クリスマスもお母さん、家に帰って来れんの?」

「うん。もう多分、家には帰れんだろってお医者さんに言われてん。だから学校終わったら毎日、なるべく病院に会いに行くようにって、ばあちゃんが」

「そうなんか…」

「なあ、風せんせい。ボクのオカンは死ぬんか?まだまだしゃべれるし、生きてるで。死んだらほんまにもう会えへんし、おらんようになるんか?死ぬってどういうことなん?だんだん元気がなくなるん?それとも…」

少年のまっすぐな瞳に風の顔が映っている。もう、今にも泣き出しそうだ。

「トモくん、お母さんのこと大好きやもんな。そりゃあ、いろいろ心配になるな、わかるで。よう先生に話してくれたわ。ほんまに、ほんまにありがと…」

風は知典の小さな手を取り、しっかりと握った。

「今日は風先生といっぱいお話しょーか。ちょっとピアノも弾いてみん?」

そう言うと風は知典をひょいと抱え、自分の膝の上に座らせた。

ピアノの音は目には見えないけれど

「ええか?覚えて。ここがドや。順番にレ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド…」

風は知典の小さな手を鍵盤の上に置いた。そして1音ずつ小さな指で鍵盤を押さえさせた。


「音って目に見えんやろ?でも、こうやってピアノで弾いたら音が聞こえるんや。目には見えんけど、絶対にここにあるじゃろ。何にも見えんけどな」

「うん、見えんわ。けど、ポーン、ポローンって聞こえるねんな」

「そや。トモくんの気持ちも、風先生の気持ちも心の中にあるから目には見えん。だけど、うれしいとか悲しいとか、いつも違うじゃろ。見えんけど、ずーっとここにあるんや」

そう言うと風は自分の胸を指さし、知典の顔をのぞき込んでにっこり微笑んだ。知典は、まだぽかんとした顔で風を見つめている。

「でもな、せんせい。ボク、自分の気持ちはわかるけど、オカンの気持ちは全然わからんねん。いつも病院に行ったら『お母さんはだいじょうぶや。心配せんといて。ごはんちゃんと食べとる?ばあちゃんの言うこと、ちゃんと聞きや。学校の宿題すんの、忘れんようにな』って言うねん…。

…何がだいじょうぶや。自分はもう、ごはんもよう食べられんくて、ガリガリになってるのに。ボクの心配なんかせんでええのに。オカン、もうすぐ死ぬんや、いなくなるんやろ…」

そう言ったかと思うと、知典は静かに立ち上がった。風から顔を背けるようにうつむいた瞬間、彼のほほを大粒の涙が伝った。

涙の行き先

「そうなんや…トモくん、それは心配やな…。さみしいな、悲しいよな…。ひとりでようがんばっとったなあ。2年生やのにすごいで、えらいな!ええか、悲しいときはガマンせんでええんやで。先生の前じゃったら、なーんも気にすることない。泣いても、ええんよ」


風は知典の涙でぐしゃぐしゃになったほほを指で拭い、小さな顔を自分の胸に抱きしめた。まだ幼い少年の背丈は風の腰の辺りまでしかない。風の着ているパーカーをクシャッと握りしめ、小さな腕でギュッとしがみついてくる。教室中に「わーん」という知典の泣き声が響き渡った。


涙で上気して熱くなった少年の体に、確かな生命の温度を感じて風は言葉を失った。こんなに生命力にあふれているというのに…。

大切な人を失っても、残された者は生きていかなければならない。自分がこの世を去る瞬間まで、ずっと悲しみを背負い続けて。教え子は、この小さな体と心で母親の死を受け入れる準備をしている。

兄弟姉妹に恵まれ、大家族で育った風には母子家庭の苦労やさみしさは想像も付かなかった。だが高齢者施設を訪問し、演奏活動を続けてきた経験から、少年がこれから抱えて生きる孤独と喪失の悲しみに思いを巡らせることはできた。それだけに少しでも、この少年の悲しみと孤独に寄り添ってやれたら…。


「帰る」場所は

「なあ、トモくん、先生と一緒にお母さんに歌、歌ってあげようや」

知典がしゃくりあげながら、聞いた。

「歌?」

「先生な、『帰ろう』ちゅう曲、作ったんや。」

「帰ろう?」

「そそ、『帰ろう』や。」

「それ、どんな歌なん?下校の時の校内放送の歌か?」

「ちゃうわ!」

知典がやっと顔を上げ、涙でグシャグシャの顔で風の顔を見た。

「下校の曲、ちゃうんや…」

「んなわけ、ないじゃろ!」

二人は声を出して
「あはは!」
と笑った。


「先生な、ちっこいキーボード持って行くから、トモくんと一緒にお母さんのお見舞いに付いて行っても、ええ?」

「ええよ。けど風せんせい連れて行くんやったら、先に言うとかなアカン。いきなり連れて行ったら、オカンに『なんではよ言うとかんの?化粧しとけばよかったやん』って怒られるかも知れんからな!」

「そうか。ほな先生、クリスマス・イブの日にサンタの格好して行くわ」

「それエエな!でもせんせい、デカイし目立つから!病院のみんなに笑われるかも知れん。こっそり静かに付いてきてな」

「えー。先生、声ちっちゃいから案外目立たんで。だいじょうぶじゃろー」

「そやな。サンタに変装せんかったら、だいじょうぶやな」

二人の笑い声が、ガラリとした教室に広がった。

「それより、トモくん、窓の外見てみ!めっちゃキレイじゃ…」

ちょうど教室に差し込んできた夕日が、二人のほほを温かなオレンジ色に染めた。昼間は青々として生命力にあふれ波しぶきを上げる瀬戸内の海。今はただ、静かにたゆたう波間に輝きをたたえ、真っ赤な太陽さえも飲み込もうとしている。


「あんなトモくん、『帰ろう』はな、ワシが死ぬまでに絶対、書きたいと思っとった曲なんや。いま元気で生きてる人も、いつかは必ず死ぬ。まだトモ君には難しいじゃろうけど、死ぬときには何も持って行かれん。

だからな、生きている間に一生懸命がんばりたいんや。ああ、楽しかったな、もう何も要らんわって。ニコニコしながらみんなにサヨナラできたらいいなぁってな」

知典はすっかり赤くなった目をこすりながら、風の話す言葉にうなずいた。


「風せんせいは、大好きな人が死んだことあるん?」

風は知典の頭に手を乗せ、サラサラの髪をクシャックシャとなでた。にっこり微笑むと、何も言わずピアノに向かった。

「ああ 全て与えて帰ろう
ああ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ 与えられたもの
ありがとう、って胸をはろう」


風が歌い終えると、知典がポツリとつぶやいた。


「ぼくのオカンも、死んだらどこかへ帰るんか?風せんせい?」

「そうじゃな。帰るかもしれんし、ずっとトモくんのそばにおるんかも知れん」

「でも、もう会えなくなるんやろ」


見えなくても、ここにいるから

少し考えて風は答えた。

「そうじゃな…。でもトモくんのお母さんは目には見えなくなっても、トモくんの心の中にはいつもおるんやで」

「それ、どういうことなん?」

「さっき、音楽の話したじゃろ。ピアノの音は目に見えんけど、絶対にここにあるって。トモくんのお母さんの心もな、目には見えん。けど目の前からいなくなっても、ずっとトモくんの心の中にはいるんじゃわ。音楽が目に見えんけど、絶対にここにあるんと同じやな。心の中じゃから見えんねんけどな。でも風先生にはちゃーんとわかっとるで。

トモくんの体も心も、お母さんからもらった温かいものでいつも満タンなんじゃ。それは覚えといて。悲しくなったり、さびしくなった時は心の中のお母さんに話しかけたら、ええ」

そう言うと、風はまた知典の頭に両手を重ね、髪をクシャクシャと撫でた。

「そうか、いなくなっても見えへんくても、ボクの心の中におんねんな」

「そうじゃ。見えないだけで、ちゃーんとおるねんで。」

知典が風の顔を見上げてニッコリ笑った。


「あらま!先生、話が長なってしもたな。ゴメンナハイ!そろぼち行かな病院の面会時間、終わるんちゃう?お母さんに会いに行っといで!」

「ホンマや!風せんせー、話長いねん!」

「あー!言うたな!」


すっかり笑顔になった知典は風に手を振ると、またリードの切れた仔犬のようにパタパタと駆けだして教室を出て行った。


変わらないもの


クリスマスの翌朝、知典の母親は息を引き取ったという。
少年は祖母と二人で母の最期に立ち会ったらしい。

母親は

「わたしがいなくなっても何一つ変わらないから。それじゃ、またね」

と言い、事切れたそうだ。

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ワシの「帰ろう」は、あの親子の心に届いたじゃろか…。

風は誰もいない教室で少年のこれからを思いながら、ピアノと語りあっていた。



画像引用:藤井風公式YouTube
TOPのイラストはらう♪@Laulu_ff14さんに描き下ろしていただきました。「廃校が決まっている小学校、夕日の差す音楽室の片隅で、男の子とアップライトピアノを弾きながら歌う風さん」外にはバイク、チンチラは二人を見守る”透明”な存在(知典の母親)という設定です。以前、藤井風さんが色んな街をバイクで訪れる企画で「風さんぽ」という旅番組があれば楽しいかなと話していました。風さんが訪れるなら、古き良き日本の懐かしいふるさとを感じさせるような場所。アップライトのピアノがあればなお良し…という事で浮かんだシチュエーションがこの情景です。このような内容をお話ししたところ、すぐにラフを頂きました。光と影の美しさが表現されたとても素晴らしい作品に仕上げていただき、本当にうれしいです。らうさん、素敵なイラストを描き下ろしてくださり、ありがとうございました。




執筆中はピアニスト小原孝さんの「帰ろう」ピアノアレンジをずっと鳴らしていました。NHKーFMのラジオ番組「弾き語りフォーユー」で弾いてくださったものです。とても優しくて美しい「帰ろう」でした。


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