マガジンのカバー画像

星の一つも探しにいこうか

21
歴史のこと、テレビドラマのこと、デザインのこと、仕事のこと、社会のこれからのことなどなど、呟く代わりにここに置いていきます。無料です。フォローしていただけると喜びますよ。
運営しているクリエイター

2018年7月の記事一覧

正しさと快適の厄介な関係

何故大河が「史実と異なる」ということにあんなに疲弊する人がいるのか、ということはこれまでのちょいちょい考えてきました。 私の結論としては、大河ドラマというものが「正しさを錯覚する」という人間の能力を上手に利用して作られているからではないか、ということになります。このことについてちょっと書いてみます。 デザイン的には、人間にとって「正しさ」というのは非常に安定した、快適な、とても気持ちの良い状態こと。 自分自身や環境が正しいと確信が持てたとき、人間はすごくリラックスします

大河の礼儀お作法のやらかしについて

現時点の考えを整理してみるとこんなふう。 やらかしレベル1 知らなかった。序盤によくある。 制作と考証の連携がうまくいかずに起こった事故的なやらかし。事故なので今後気をつけてくれたらそれでいい。次に活かせ。喝。 やらかしレベル2 間違えた。どういうわけか起こってしまった事故。作っているのが当時に比べれば礼儀作法の摩滅した現代に生きる現代人なのでやはり時々ある。 あと我々の方が間違えている場合も多々ある。明治大正昭和の新しい慣習を、日本の伝統的な礼だと勘違いしてたりする。歴

大河で歴史を学ばない

私が真田丸で学んだのは「大河ドラマで歴史を学んではいけない」ということです。 正確にいうと、これを学んだのは丸島先生の解説ツイートですね。 伝承も含まれれば、講談由来のエピもあり、おなじみの史実もあり、専門家にとっては常識だが一般には知られていない史実というものあり、最新の学説が取り入れることあり。 それらがまんま使われることもあれば、アレンジされたり、見る人にわかりやすいように or 予算と尺の都合で簡略化されたり、創作エピと組み合わされたり。 こういったものに法則

ヒー様のこと。

松田翔太くんに粋な羽織を着せて、江戸弁のドSな色男にして、実は豚肉大好き一橋慶喜です!!とやるセンスはまったくもって最高だと思う。 当初、「八重の桜」の小泉慶喜と同じイケメンサイコパス路線かな?と思っていたヒー様でしたが、意外にも将軍継嗣問題あたりで見せてくれた人間としてのまともさから、もしかしてサイコパスじゃなくてゴッシーの皮をかぶった本木慶喜(「徳川慶喜」)の軟着陸路線なの? …と思わせて、再登場で久光を芋と罵倒し倒したあと、暗殺の恐怖からぶっ壊れて二心様になってしまっ

ペルソナの話の続き

前回のエントリの続きになります。 大河で「ペルソナ」という手法を取ったことに問題があるとすれば、ターゲットされていない人にとっては「面白くない」ものであることでしょう。しかもかなり激しく面白くないはず。 ここは理解されにくいらしく、「ターゲットされていなくてもいいけど、ドラマが面白くないのはなんとかならないのか」という風に感じる人も多いようなのですが、そうではないのです。面白く感じられないのはターゲットされていないからなのです。 今やそれくらいコンテンツ制作者は想定した

歴史をあんまり知らない人、という新規市場

デザインやマーケティングの話になるんですが、現代はもう「いいものを作ったら売れる」という時代ではありません。サービスもプロダクトも飽和してますから。 コンテンツ産業も同じ。 では飽和した市場で、どのようにして新しいサービスやプロダクト、コンテンツを考え出すかというと、いろんな手法がありますが、代表的なものに、それを使用する架空の人物を設定する「ペルソナ」という手法があります。 (「ペルソナ」はこの場合「仮面」ではなく、架空の人物というような意味合い) この架空の人物「

解釈されない歴史イベントは

「歴史を描いていた分、花燃ゆの方がマシだった」と言う意見を、そういえばぼちぼち見かけるなあと思いつつ、感じた違和感について。 私の場合ですが、製作者が何かしらの意図をもって、つまりとある事件をとある角度から意図的に切り出してドラマ独自の解釈を盛り込み、さらにそれがまあうまくいっている、と私が思う場合に限って「描く」という言葉を使います(と思います)。 言いたいことはわかるけどもう一声、と思う場合には「描こうとした」って書くな、多分。 で、特に意図を感じないような歴史描写

思いの器

「西郷どん」における西郷隆盛は「人々の思いを受けとめ得る器」である、というのは一部のツイッター民による分析なんだけど、これでこの物語における西郷隆盛の正体が明確になった!!くらいの重要概念の発見でした。(私の発見ではなく、他の方、あるいは他の方達による発見です) 西郷は持って生まれた巨躯と共感性という魅力で思いの器となり、もう一つの思いの器となる一橋慶喜は高貴な血筋と才覚という点で西郷と違っていて、島津久光は思いの器にはなれないという点で、西郷・一橋双方と対照的な位置に立つ

久光くんについて。

と言うわけで、早速大河について書くのである。 島津久光について、西郷の敵役として必要以上に愚物として描かれていると脚本、演出を非難する声が続出していますが、私はちっともそのようには思わない。 むしろ作家にこんなに愛されちゃって、と思っている。 実兄・斉彬に憧れる弟キャラ、両親からの愛情を素直に受け取る良い息子、しかし家臣にはぞんざいな態度を取る政治力を全く持とうとしないアホボンとしての姿と共に、危機に備えて資料を探しにきたり、私欲にとらわれず、瀕死の兄に尽くそうとする善

read me

こんにちは。見つけてくれてありがとう。アンチョビです。 これまでは、ドラマのこと、歴史のこと、デザインのこと、そのほか様々雑多にこれからの社会のこと、人間性のスキルの話などなどを、思いつくままにツイートしてきましたが、今後はnoteに書いていこうと思って、新しいマガジンを作って見ました。 今まではTwitterlandでふと思いついたことをツイートしてきました。それはそれでとても楽しかったんですけど、ずーっと続けていたら「自己消費」みたいな気持ちになってきたんですね。