ヘルプマークをつけた人に怒られた話
私には恋人も友達もいない。実家を離れ1人で暮らしているため、日々の会話もない。私のように惨めで孤独な人間はだんだんと本を読むぐらいしかやることがなくなっていく。孤独だから本を読むのか、本を読むから孤独になるのか。本があれば生きていけると思いながらも、読めば読むほど人間関係の素晴らしさを説かれているような気にもなって来る。
本ばかり読んでいると生来の出不精に拍車がかかり、完全なる引きこもりへと化した。このままではいけないと、゙本を買ゔという大義名分のために家を出ることにする。
私にとって、本を買いに家を出るというのは良い運動、気分転換にもなるので、少し遠出ではあるが、たくさん本屋がある神戸・三宮周辺に行くことにした。ここで買えない本があると大阪・梅田まで出向かなければならない。
全ての本を新品で買ってしまうと、貧乏の極みで生きている私はすぐに破産してしまう。潔癖症ではあるが、ここはひとつ他人様の手垢のついた中古品で我慢しなければいけない。出来れば、加齢臭を伴うおっさんの手汗ではなく、いい感じの美少女の手汗がしみ込んでいる本とのご縁を願う。そんな良縁を生田神社にちょっくら頼んでみようかと思うが、もっと必要に迫られた願いがあるはずなので私などは相手にされないだろう。
三宮から西に位置する元町方面には古本屋が沢山ある。本が無造作に散らばっている昔ながらの店もあるし、どうも古本屋には見えないような、小奇麗な店もある。私は綺麗だろうがなかろうが個人経営の店はどうも敷居が高く感じてしまう。購入する本、またその組み合わせによって店主に「こいつは分かっている」などと思われたくなってしまうのだ。だが残念ながら高度な文学知識は持ち合わせておらず、頭でっかちなプライドだけが残ってしまう。
そういうことで行きつけはもっぱら大手チェーン店のブックオフだ。ここは良い。幅広い年齢層に加え、品ぞろえも豊富で、漫画、ゲーム、CD等を大量に扱っているため格式も高くない。そんな有象無象に紛れることで安心できる人間もいるのだ。
平日のブックオフ格安コーナーは、お年寄りと、私と同様、「こいつちゃんと働いて税金納めてるのか?年金とか払えてないだろ」という社会人ギリギリ、年齢不詳の謎の男が多いように思う。ごく稀に異臭を放ち他を寄せ付けない剛の者もいる。
その日は適当に古本4冊で1000円程度のお金を使った。また兵庫県で一番大きい本屋と思われる、ジュンク堂三宮店で、狙いを定めていた本も手に入れた。私はジュンク堂が本屋で一番好きなのである。
ほくほくした気分でそろそろ帰ろうかなぁと思い、駅までの道のりを歩いていると、たまに入っては何も買わないを繰り返している古本屋があった。いちおう此処も覗いておこうと、まずは店の前に陳列している格安本コーナーを見た。ふと気になる文字が目に入る、ジョン・レノンだ。言わずと知れた伝説のロックバンド、ビートルズのジョンレノン。でかでかとジョン・レノンの文字が書かれた表紙にチラッど福音゙のような文字も見えた気がした。宗教系なら興味ないなとも思ったが、ジョン・レノンが好きな私はどんなものだろうと、その場にしゃがみ込みそれをパラパラと捲ってみる。どうやら写真集兼詩集のようで、色々な人が撮った写真とジョンの翻訳された詩がセットで見開きとなっており、それが数十ページ続いている。値段は200円と安く、状態も悪くなかったので、ちょっといいなと思い、更にパラパラ捲る。最後の方に妻であったオノ・ヨーコが何か書いていた。「オノ・ヨーコはどこにでもいるなぁ」そう思った矢先、私の真後ろで喋る声が聞こえてきた。
「ここで読んだらあかんのになぁ」「ろくでもない奴や」「あーあ」「こいつに言っても駄目みたいやな」
などと何やら批判めいた言葉が聞こえてきた。声音から察するに背後に1人ではなく、何人かの男がいるようだ。
゙ジョンの魂゙の欠片を味わっていた事もあり、最初は気にしていなかったが、嫌でも会話が耳に入ってくる。会話を聞いていると、どうやら私を指した言葉の様子だった。背後に立たれているという、絶対的不利という状況もあいまって冷や汗をかき始めてきたのが分かる。
頭が急速に回転する。
「もしかするとここは立ち読み禁止か?いやそんな古本屋あるのか。この店には何度か来ているので、立ち読み禁止なんてことはないだろう。仮に、本当に立ち読み禁止でも、この本を捲りだしてまだ30秒もたってない。ブックオフでも15分以上の立ち読みはご遠慮くださいみたいなノリじゃなかったか?この程度でとやかく言われる筋合いはない。というかお前ら誰だよ、店員でもないのに何様だ」
そんな風に脳内で私は悪くないんだと自己弁護していると、無性に後ろにいる奴らに腹が立ってきた。いつもなら波風立たせず穏便に済ませるところだが、今日の私は一味違う。こちらに非は無いんだと自分を鼓舞し、ここは一つこいつらのご尊顔を拝見してやろうではないか。
意を決して下から挑むように振り返ると、そこには2人の男が立っていた。1人は頭を丸坊主にしたのち、そのまま髪を伸ばしている非常にみっともない、清潔感が微塵もない男。よれよれのシャツを着て、何色だかよく分からない、かつてベージュであったであろうチノパンを履いている。絶対に彼女はいない。もう1人の男は少し肥えており、銀縁の細長の眼鏡をかけ、上着はアルファのMA-1、色はカーキでなかなか良いものを着ている。靴はダサいスニーカーで臭そうだが、もしかしたら゙ハズじで履いている可能性もある。パンツはジーンズで、良い感じにヒゲが付いており、なかなか様になっている。
下から見上げているため正確には分からないが、どちらも身長はそこまで高そうではなく、共に30前後の年齢に見えた。
その2人の顔を見た瞬間、わたしは委縮してしまった。なんかちょっと強そうだった。特に小太りの方は、脂肪の下に筋肉を蓄えてそうなレスラータイプの体つきで「あ、これは負ける」と直観的に判断した。真の強者は相手のレベルを瞬時に判断できるものである。
瞬時に目をそらすと、何食わぬ顔で手に持っていた本を棚に戻し、なにか良い本ないかな~という風を装った感じのスタイルに自然な形で移行した。
「そもそも相手は2人、多勢に無勢、戦略的な撤退である」そんな事を考えながら、貴方たちの事は少しも気にしていませんからねと、友好の証として口笛なんかも吹いていたかもしれない。脇に大量の汗を感じる。
そうして私の発する不快な音に嫌気がさしたのか、2人の゙紳士゙の足音から、その場を遠ざかっていくのがわかる。
完全に離れたのがわかると、最後の抵抗とばかりに2人の後ろ姿を睨み付けることにした。2人とも共に黒のリュックサックを背負っていた。絶対に彼女がいない方のリュックサックにカラフルな赤いお守りの様な物が付いているのが見えた。赤い背景に白色の十字と、その下にハートマークが書かれたストラップ、通称ヘルプマークだ。理由は様々だが、周囲の人間に配慮が必要な人々が付けるものだ。
それを見た瞬間、自分の狭量を嘆いた。悲しくなった。もっと余裕のある男になりたいと思った。私には友達がいない。こんな嫌な人間だからいないのだろうか。
楽しそうに喋っている彼らの後ろ姿を羨望の目で眺めた。私の身体は健康そのものだし、病気もしていない。けれどこの社会に対して、なにかどうしても生きづらいと感じているこのハンデはなんなのだろう。私のヘルプマークはどこにある?
もっと優しくなりたい。人に感謝される様な人間になりたい。そしてあわよくばお金持ちになって尊敬されたい。ついでに可愛い彼女が欲しい、それが無理なら誰でもいいから友達が欲しい。
祈りにも似た、強い願望であった。
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