「今昔物語集」 橘則光
第二十三巻より
「天子は南面す」といって、天皇は京の北に位置する大内裏にすまい、天下をしろしめす形式をとっていました。天武・持統天皇の藤原京では内裏は京の中央にあったとされていますから大きな違いです。大内裏には東西南北にはそれぞれ三つずつ門があって、合計十二門。調べました。大内裏が東西1,2キロ、南北1,4キロの規模に設計されていたのでこれくらいの門がないと出るのに大回りして大変だったかもしれません。正式名は漢語で覚えられませんが、結構面白い。一番有名なのは南に向かう朱雀門