見出し画像

「今昔物語集」 橘則光

第二十三巻より

「天子は南面す」といって、天皇は京の北に位置する大内裏にすまい、天下をしろしめす形式をとっていました。天武・持統天皇の藤原京では内裏は京の中央にあったとされていますから大きな違いです。大内裏には東西南北にはそれぞれ三つずつ門があって、合計十二門。調べました。大内裏が東西1,2キロ、南北1,4キロの規模に設計されていたのでこれくらいの門がないと出るのに大回りして大変だったかもしれません。正式名は漢語で覚えられませんが、結構面白い。一番有名なのは南に向かう朱雀門で、南に伸びる朱雀大路はおよそ幅八十メートル。行き着いた先が羅城門。
巻の二十三巻にでてくる「橘則光」は衛門府に勤める武士で、門を衛る役人ということです。



小舎人童の蝉丸には時々頭をもたげてくる心配事があった。主人の橘則光(たちばなのりみつ)様のことだ。思い立ったらすぐに行動にうつしてしまう。お諌めしても相手にされない。世の評判では、豪胆で思慮もある。それで、侍の家の出でもないのに衛門府の武官でとして用いられている。たしかに大柄で腕っ節もよく容姿も良い。そのせいで女性にもてるのだ。
この夜もそうだった。こっそりと手招きして呼びだされてしまった。お供しろということだ。
則光は太刀を携え宿直どころをこっそりと出た。
「則光様、本当にいいんですか」
「何が」
「だって今夜は宿直でしょっ。お役目中ですよ。衛門府の役人なのに抜け出して会いに行くなんて。上官に知られたら」
「かたいことを言うな。二十日あまりも会ってない。夜明け前には帰ってくる」
「二十日なんて大袈裟な」
蝉丸がわざと指を折って数えだすとびしゃりと手をたたいた。

夜は更けて上弦の月は既に西の山の端にかかる頃だった。
門を出るとすたすたと大宮大路を下って行く。つき従う蝉丸は気が乗らなかった。同じ小舎人童の仲間から聞いたところによると最近は盗賊がよく出没する。
月あかりの影になった西側の築地塀のあたりで、得体のしれない輩が蠢いている。大勢いてなにやら物騒な気配だ。
「則光様」
「わかっておる。静かに」
さすがの則光も背筋に恐怖が走った。露骨に引き返せば必ず追って来る。則光は腰をかがめるように手で合図し、築地塀にそって足早に過ぎようとした。
「これはこれは若君が通っておられる。止まってもらおうぞ。」
則光はかまわず無視を続けた。
「こやつ、止まらんか」
と言って走りかかってくる。則光は相手の獲物を確かめた。月あかりを受けて太刀がきらめいている。弓でない。後ろから射かけてくる心配はない。ほっとしたのも束の間、相手はす速く追いついてくる。このままだときっと後ろから太刀を振り下ろし頭から切りつけてくる。
則光は追いつかれそうなところとっさに傍に飛びのいた。相手は急には止まれず行き過ぎる。体勢を整える隙を与えずバッサリ切りつけた。太刀を握る手に刃が肉を切り骨に届く感触が伝わってきた。賊はつっぷっして倒れたまま動かない。
よしと思うや、「小癪なやつめ」
怒鳴る声がして勢いよく追いついてくる者がいた。太刀をおさめる暇はない。脇に挟むようにして去ろうとしたが、さらにこいつは足が早く追いつかれてしまった。相手の思うようにはなるまいと、則光はとっさに止まりうずくまった。男も意表を突かれて則光のからだにつまずいてもんどり打って倒れてしまった。そこを、則光すかさず太刀を振りおろし頭を打ち破った。彼奴らも攻撃には隙がなく慣れていた。三人目がすでに目と鼻の先に来ていた。
「これまでか」神仏に助けを求め、太刀を鉾のように構え持って相手に踏み込んでいった。相手も太刀を持って切ろうとしたが、素早く則光が懐に入ったので太刀をあびせることはできなかった。則光の切先は相手の体に深く突き刺さった。太刀の柄を返し引き抜くと仰向けに倒れかけたが、そこを男の肩から腕を切り落とした。次が来るかと体を整え備えたが、その気配はなかった。
走りに走って中の御門(待賢門)に入った。柱の脇に身を潜めて息を整えながら蝉丸を待った。小舎人童を襲っても益もないだろう。しかしまだ姿が見えない。まさか失敗した腹いせに切ったのではと恐れていたところ、闇の向こうから鳴き声が聞こえてきた。
「怪我はないか」
帰ってくるところを呼び止めた。則光の顔を見るや、蝉丸は安心してもっと泣きじゃくった。
「蝉の鳴く季節は終わったぞ」
蝉丸は涙目で則光を見ながら笑った。泣きおさまったところを、今宵のことは決して口外するなと口止めをし、宿直所に着替えを取りに行かせた。
「誰にも気づかれておりません」
そう言う蝉丸に返り血を浴びた衣服を隠させた。太刀に着いた血ようく洗い落として何事もなかったように床についた。
しかし目がさえて一睡もできそうにない。もしこの事件が、自分がしたことだと人に知られたらと心配だ。もし彼奴らが宮中の門に押し入ってきたのなら手柄にもなろうが、襲われた場所は離れている。困ったぞ、宿直をしてなかったことがばれてしまう。
まんじりともしないうちに朝になったが、果たして大さわぎであった。口々に、
「大炊御門の大路に、男ども三人が離れてないところで斬り殺されている。」
「大変な使い手だ。」
「三人と斬りあったのか。同じ太刀筋だ。」
「仇を討ったのであろうか。」
「それにしては盗賊のような身なりだ。」
話が飛び交っていた。耳にした殿上人たちは、
「それは行ってみよう。」
諸々を誘って出かけていく。誘いに渋る則光も、
「さあさあ」
と腕を引かれてしまう。行きたくはないと思いつつも、意固地になって拒むのも変に疑われてしまうかもと、後からつき従って行った。
死体は昨夜と同じ場所にそのままにしてあった。その傍にどこから湧いて出てきたのか怪しい風体の男が声を上げて何ら喚いていた。歳の頃三十あまりであろうか、顎はもちろん頰までびっしりと髭を生やしている。鹿皮の靴を履き無地の袴に山吹色の衣と紺の合わせを着て腰には太刀を佩いていた。鞘の末は猪の毛皮で巻いていて尻尾に見えなくもない。その男が何やら身振り手振りで話している。
何者だろうかと思っていると、牛車に付いている従者が、
「あの男が敵を斬り殺したと申しています」
と伝えた。これを聞いて則光の表情がにこやかに緩んだ。こんな嬉しいことはない。動機は名を売りたいか何か、そのあたりであろうが、理由なぞどうでも構わない。じわりと安堵が広がってきた。
牛車に乗った殿上人は、
「あの男をここへ呼べ。仔細を問おう」
と言って呼ばせた。近くに来ると、顎がしゃくれ、鼻は下がり赤っぽい髪をしていた。血走った目をして片膝をついて太刀の柄に手をかけた姿勢で仔細を話しだした。
「どのようなことがあったのか」と問うと
「昨夜とある所へ行こうと、ここを過ぎようとしましたとき、男どもがここは通さないぞと襲いかかって来ましたが、これは盗人だと思い斬りあってうち伏せました。今朝になって見ますとわたくしをここ数年機会かあれば殺そうと狙っていた者たちでした。このたび上手く敵を仕留めましたので、こやつらの素っ首切り落としやろうと思っている次第でございます」
言い終えると男は立ち上がってああだこうだと指を差し、口角泡を飛ばし狂った様に話だした。
公達も「なるほど、もっともであるな」と驚き感心している。
則光は、ますます昂って話す男を見ながら呆れていたが、この事件をこの男がやったことだと言うのなら好都合だと思い、やっと顔を上げることができた。

検非違使が操作を始めたなら、どうした何かあったのかと尋ねられ事態が発覚するのではないかと内心心配していたが、こうしてこの男のお陰で操作もされずにすんだ。この話は則光が老いて後に子供たちに話したと言うことです。


#古典が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?