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「今昔物語集」より 陰陽師・観相師

巻の二十四には五十話を超える話が収められています。前半は陰陽師や相をみるもの、夢を占うものなどが出てきます。賀茂忠行とその弟子である安倍晴明もこの巻に出ています。
今回は「相」を観る「登照」という僧の話です。
「相」を辞書でみると、「将来の運勢、吉凶などが前もって外見に現れた形」となっています。
登照は人相、手相、家相を観ると運勢がわかってしまう人物です。
ここでは朱雀門の倒壊を予見していますが、実際朱雀門は989年突風で倒壊したとの記録があります。
個人的に占い者で思い出すのは、平凡パンチという若者の週刊誌に連載していた銭天牛(せんてんぎゅう)です。占星術、人相、手相の占い師でした。人生相談という形式で占っていましたが、毎週楽しみでスクラップ帳にまとめていました。


 登照が朱雀門をたまたま通りかかったその日、門の下にはたくさんの老若男女が休んでいた。いつも見られる光景だから気にもとめなかった。前日に春の嵐が通り過ぎたばかりで、いよいよ春であった。うららかな日になんの憂いがあろうか。登照は休んでいる人たちにはおそらく暗い影のかけらもないだろうと思った。
 ところが、けだるそう座りこんでいる一人の若者の顔が目に入った。京に流れてきたのだろうか。若いのにどういうわけか死相が表れている。いったいなぜだ。こうなったら少しのことも見落としてはならない。
 登照は女、子ども、老人とそこにいる一人一人を覗き込むようにして面を観た。全員に死相が浮かびあがっている。背筋を悪寒が走った。たとえ悪人が来ていきなり斬りつけ殺そうとしてもこれだけ全員に死相が現れるはずはない。数十人が一度に死ぬ出来事とは。いぶかしいことだ。登照はその場を少し離れて全体を目に入れた。まさかとは思うが、この朱雀門が倒れれば休んでいる者たちはいちどきに圧死するだろう。最悪の出来事になる。迷っている暇はない。外れてたとえ笑い者になろうがその方が良い。登照は腹の底からの大声で叫んだ。
「今すぐ逃げろ、門が倒れるぞ。」
何度も何度叫んだ。
何を言っているのだろう。
門が倒れるだと、馬鹿なこと言う僧だ。
それにしてはあの僧、必死の形相だ。
やはり何かあるのか。
登照の必死の訴えに門を離れる者がでてきた。
 すると怪訝な表情を浮かべながらもぞろぞろと続いてくる。突風が吹くでもない、地震が起きたわけでもない。急に東側に傾き、重みがかかった柱が裂けるように音を立てて折れ始めた。傾くに傾いてどっと倒れ、残った者たちは下敷きになって死んでしまった。
 力は及ばなかった。いくら予見できたとしても無力なときは多い。登照はそれでも相を見続けてきた。

 登照は自分が授かった力をずっと人のために役立てて来た。だがこのようになるまでには長い時を要した。才能に負けないように修練を重ねる時が必要だった。陰陽師の賀茂保憲も安倍晴明も幼い頃から鬼神が見えたと言うが、登照もまた同じであった。
 登照の異能に父親が気づいたのは都に彼を連れて行ったときだった。東の市で鉄の農具を求めるため妻の織った布を担いで出かけた。初めての都は目にするもの聞くものどれもが珍しい。登照は大喜びできょろきょろ見回しながら歩く。大きなお屋敷だね、けど。そう言って表情がくもる。かと思うとこの門のお屋敷はいいねと言ってにこやかになる。しかし、大路で多くの人とすれ違っていくうちに表情が変わってきた。市場についた。博打をうつものたち。買い物をしている者の懐を狙っている奴ら。次々と初めて目にする光景に目が眩むようだった。そして人混みの中で急に座りこんで両手で顔を覆って座りこんでしまった。無邪気に見ていたものが牙を剥いて襲いかかってきたのだ。人や家にむごい「相」をみつけてしまい止めどもなく流れこんできた。
 才は時として自身も周囲の者も不幸にすると言われるが、まさに登照はこの分かれ目に立たされていた。親はこの子を利用して財を得ようとは思わなかった。またこの子の異能を広く知られては命が縮むことにあうかもしれないとも考えた。
 世を避けてくらさせるのが良いだろう。父親は彼を寺に預けることにした。母親はせめて近いところに、なにかあればすぐに駆けつけられるお寺にと望んだ。村の菩提寺に連れて行き住職に事情を話し相談した。普段はなにかと面倒見の良い住職も荷が重いと言う。適任でないことが第一の理由だった。どこか適任者がいるところを教えてもらいたい。「相」に理解の深い人がいる寺はどこかにないか。父は懇願した。どこそこにそれらしい僧がいると人づてに聞いては寺を訪れる。連れて行った先々で登照の表情を見る。暗い表情を見れば、そこではないと諦める。家に帰ってはまた探しに出かける。幾度も幾度も繰り返した。
 伏見をめぐり山科をこえて近江まで行った。坂本でさがし次に堅田まで足を伸ばした。とあるお寺にたどり着いたが、比良の山々の影にすっかり沈みこんでいた。父親は疲れていた。今宵は寺の軒先でも借りようか。親と子は寺に登るきざはしに座って琵琶湖を眺めた。小さな港には舟がつながれ、湖面に月明かりがきらめいていた。そこにはなんの「相」も見えなかった。静謐さだけがよこたわっていた。登照は立ち上がると階段を登り境内に入っていった。そして鐘楼のかたわらに待つように佇んでいた人影に深く頭を下げた。父親は安堵した。やっと息子がいられる場所を見つけたのだった。
 預かった老僧は顕照と言い、彼もまた相を見ることができた。延暦寺の末寺であったが、ここでの月日は幼い登照に平穏をもたらしてくれた。才は消えることはなく静かに育まれていった。

 お師さまにそろそろ都からの迎えがくるころだ。
 登照は庭に散った金木犀の小さな花を掃き清めながら思った。
 顕照のところには春と秋年二回使いが来る。都からの使者だということはわかっている。顕照はある殿上人の家の生まれで、都へ行くときは生家の護持と先祖の供養をつとめていた。
「都に行きます。供をしなさい。」
 これまで都へのお供に登照を選んだことは一度もなかった。十年経って初めてのことだ。賑やかな都に果たして慣れるだろうか。幼い頃の記憶がよみがえりかけた。ためらう登照に構わず、師は準備を促した。
 翌朝、二人は凪いだ琵琶湖の湖面を見ながら寺を降りて行った。堅田から南に行くとすぐに坂本に着く。背中に荷が結えられた馬が坂道を登っていく。登った先には比叡山の延暦寺がある。米などの生活物資をここから運んでいた。行き交う人々の表情は登照に苦痛を与えなかった。
 山科に入ると顕証は馬を南に向けた。都に入る前に方角をかえて一晩泊まる予定だ。
 ここで延暦寺の末寺に宿をとった。その夜のことであった。
「お師さま、笛の音は命と一緒に消えていくものなのですか。そんな笛があるのですか。」
 顕証はその言葉に耳を傾けた。確かに笛の音が聞こえていた。秋なのにその音は湿りを帯びているようだった。というより雪の夜に笛の音が吸い込まれていくような危うさだった。
「かの者を呼んできなさい」
 言われるままに登照は屋敷をとび出し笛の音を追った。追いかけながらますますこの笛の音に危うさを感じた。早く見つけねばならない。しかし、辺りに不案内なうえに夜中である。焦る気持ちを抑えて耳をすまし目を凝らした。うっすらと闇に残る音を追いかけた。登照には笛の音まで見えるようだった。
 ご本尊のまつられた須弥壇の前で顕照は待っていた。焚かれた香の香りがかすかに残っている。
若侍はかしこまりながらも訝しそうに言った。
「お呼びになったのは、どのような仔細でしょうか。」
顕照は揺れるご灯明に映しだされる若侍の顔を見た。今にも命が尽きようとする相が見てとれた。登照はこれを笛の音から観たのだと感心した。
師はどんなことばをこの若い侍にかけるのだろうか。恐ろしい事実を告げるのは自分にはできそうもない。信じてもらえるかも自信がない。
「笛の音を耳にしまして少々気になることが。」
「お耳汚しでしたか。」
顕照は笑みを浮かべて打ち消した。
「今宵はどちらへいかれますかな。」
「この先でもよおされる普賢講にうかがって、法会で一晩笛を差し上げる所存です。」
「それは殊勝なお心。」
師の表情はいつものように変わらず穏やかだ。
「いかがでしょうか、ぜひここの御本尊に召されたと思って吹いていただけないでしょうか。」
登照は師の意図が分からなかった。
一心に吹く笛の音を聴いていると御本尊としてまつられていた薬師如来のお顔に慈愛が浮かんだような気がした。
視線があった師の表情はほころんでいた。
吹き終えた若侍に顕照は言った。
「これもさだめでしょう。この登照を一緒に連れて行ってもらえますかな。」

翌朝帰ってきた登照に師はたずねた。
「どうであった。」
「普賢菩薩様と結縁を得ました。」
師の問いかけに登照はにこやかにこたえた。若侍の命は脅かされることはないであろう。
登照が、自分に人を助ける力があることを初めて知った出来事であった。




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