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「今昔物語集」 毒きのこ

今回は、痴の文学と言われる巻の二十八に入っている話です。
本来は、金峯山の別当がワタリという毒キノコに耐性があって、彼の地位を狙う僧が殺害を企てたが、それを知らないでやって失敗したという笑い話です。知っていれば首尾よくいったのにという話ではありませんが、出来事が主役ですね。
今回殺害を企てた僧に単秀と名前をつけて彼の立場から組み直しましたが、可笑しみは滲んでも、笑い話にはなりませんでした。彼も間尺に合わないことをしてしまったと後悔しているでしょう。


「金峯山の別当毒キノコを食べるも、酔わざる語」
僧の単秀は金峯山寺の別当に次ぐ地位にながくついていた。
わたしもとうとう七十の歳を超えてしまった。
単秀は嘆いた。仏道修行の末に歳をとったことに落胆したのではなかった。単秀の目指す地位は別当だ。やっと手の届く地位にきている。しかし、今もって別当の地位が空きそうにないのである。別当はすこぶる元気だ。
顔の色つやが良い。健康の秘訣でも知っているのだろうか。若い頃には荒行をつんだというが、どんな修行をしたのだろうか。よわい八十を超えるのにかくしゃくとしている。僧衣にくるまれていつまでも生きるのではないか。単秀は焦っていた。別当の地位につけないままに自分の方が先にあの世に召されるかもしれない。そう考えるといてもたってもいられなくなるのだった。
永く修行をつんだが、自分に解脱などできないと悟っていた。地位の切望は余計に増してとどまるところがない。単秀は、別当を亡き者にしてやりたい、殺してやりたいと殺意に囚われてしまった。仏法は脳裏をよぎるだけで、無間地獄でさえ彼を止めることが出来なかった。
刺したり殴ったりすれば体に傷が残る。すぐに露見する殺し方ではだめだ。単秀が考えたのは茸の毒を利用する方法だった。僧たちの好物に平茸があるが、これに似た毒茸のワタリを別当に食わせよう。この毒にあたって死なない者はいない筈だ。
季節は秋となった。単秀は誰にも知られないようにこっそりと寺を出て多くのワタリを採って帰ってきた。夕方になって帰ってくると鍋を用意しこれにワタリを細かく切って入れた。煎り物にも調理して朝餉の準備を調えた。
翌朝早く別当のところにつかいをだした。
信者の一人が平茸を差し入れてくれた。ご一緒に召し上がらないか。旨きものを食って四方山の話でもいたそうではありませんか。
別当は招かれるままにやってきた。良い香りが漂っていた。鍋を見て、これは旨そうにと表情が和らいだ。
別当は柔らかいご飯を食し、用意された汁もの煎り物をにこにこと美味しそうに口に運んだ。単秀も自分用に調理した本物の平茸に舌鼓を打った。
別当はすっかり食べ終えて、鉄瓶で沸かした白湯を飲んでいる。
上手くいった。単秀は成功を確信した。あれだけの毒キノコを食べれば今にも症状が出る筈だ。苦しみにのたうちまわるだろう。平静を装って別当の様子を伺っていた。ところが全く変化が無い。痛みも吐き気も苦しみも。
歯もない口で別当は笑いながら言った。
「結構なワタリでした。若い頃からこれを食して、これほど美味く料理した鍋と煎り物は初めて口にしました。」
その瞬間単秀は凍りついた。別当はワタリと言った。単秀は全てが露見したとさとった。もう取り返しがつかない。唇は土気色になり視線は空を彷徨った。
別当は長年ワタリを食しておりからだはこの毒に慣れていた。それで全く効かなかったのだ。そんなこと知らない単秀には、あろうはずが無いことが起きてしまったのだ。失敗した。これは修行の差か。
今更のように怯えながら単秀は自分の部屋に戻っていった。
その後の行方は杳として知られることはなかったということだ。



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