見出し画像

まち並みという「文化」を歩く。


どの国にいたとしても、吸い込まれるように路地を歩く。

細い道の両側に、ぎゅうぎゅうに犇めき合った建物の群を眺めながら、「もしも自分が、このまちの住人だったら・・」と勝手に想像する時間が好きなんだと思う。


どこかのアパートの1室で、今日もだれかが暮らしている。
仕事をしたり、料理をしたり、掃除をしたり、友達と話したり。

地元の方にとっては当たり前の日常なのだけど、そういった “交わることはないだれか” の生活を想像しながら歩くのがたのしくて。

:::::::::::::::::

はじめて「まち並み」に興味をもったのは、おそらく高校の修学旅行でシンガポールを訪れたとき。

小さい国のなかに、高層ビルがどんどん建てられている場所もあれば、チャイナタウンやリトルインディアといった異文化が集まる場所もある。バスで国内を巡りながら「まちの発展とまち並みの保存」を、なんとなく眺めていたんだと思う。


その後、大学時の都市計画の授業で、ヨーロッパのまち並みの美しさはファザードの保存に力を入れているからだと知り、それまでなんとなく好きでなんとなく写真に収めていた「まち並み」を、それまで以上に意識するようになった。

アジアやヨーロッパのまちを歩く視点が変わった。といってもこの頃は、ほんとうに「感覚」だけでまちを歩いていたとは思うけど。

もっともっと、その地域ならではの文化や時代の流れに触れる旅がしたい。

そして、2年ほど前に、京都府北部の舞鶴で、KOKINというまちづくり団体の代表を務める方から「まち並み=地域文化」というお話を伺ったとき、わたしが無性に路地を歩きたくなる理由はそこにあると気がついた。

:::::::::::::::::

では、地元のまち並みはどうだろうか。

わたしの家は山と田んぼに囲まれている場所なので、まち並みというよりも「田園風景」の一部になると思うのだけど(それはそれで好きですけどね)、まちなかには城下町が広がっていて。新築に建て替わったところも、昔ながらの京町家が連なるところもある。

そんな城下町にある商店街に関わるなかで、まち歩きをしながら地元を案内するとしたら、この場所がいちばんおもしろいだろうなと思っていて。城下町の風景は、新しくつくることができないし、「まち並み」は一度失うと二度と戻ってこない。だからこそ、なるべくみんなで保存できる方法をとっていきたいね。

一応、“若い” という分類にいるわたしが、町家や古民家に興味をもつ理由はいろいろある。たとえば、その建物に昔の人の知恵や職人の技術が詰まっているところ、キュンとする粋な仕掛けがそこかしこにあるところ。それから、そういった場のチカラを借りて、なにかヒントが得られるところ。

:::::::::::::::::

なぜそんなことを考えはじめたかといいますと、10月にとあるシンポジウム(?)でお話をさせていただくことになりまして。わりと緊張する方々と並ぶことになるので、自分自身の思考を整理していかないとな〜というところです。

アレックス・カー氏を含めたちいおりの皆さんと亀岡市がつくっているゲストハウスが10月後半にはオープンするので それに関する会なのだけど、わたしの視点って一体なんなのだろう。

かたちだけのリノベーションを進めたいわけではない。古民家が全てゲストハウスになる必要もない。

ただ、国籍・年代を超えて、いろんなひとやアイデアがクロスする場所が古民家だったらいいなあとか、移住したい方が希望する住まいとして古民家が挙げられることとか、そういった古民家を後世に残していくことがこれからを生きるわたしたちの何につながるのかとか、目的やその手段について考えていることを、もう少し解像度あげてお話できたらいいんだろうな。


10月までもう少し時間があるので、京都市内も合わせてできるだけたくさんの古民家を訪れてみよう。

:::::::::::::::::

本日は、みんなのフォトギャラリーからmomokaさんのお写真をお借りしました。いますぐにでもヨーロッパのまちを歩きたくなりますね。すてきなお写真をありがとうございました!


いただいたサポートは、より良い文章をかけるように有料noteや本の購入にあてさせていただきたいと思います◎