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伴走者としての「わたし」。


それでもいまは、とにかく前へ。

幅を広げるための時間は、そんなに嫌いじゃない。それを辛抱強く続けられるかどうかは、いずれにしてもわたし次第。あとはどこまで突き詰められるかですよね。

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先週、ひさしぶりに映画「かめじん」の上映会を開催しました。

この日は、新年が明けてから1ヶ月の間に出会った人たちが観に来てくれていて。生まれた国や異なるバックグラウンドをもった方々の目に、「亀岡」というまちがどんな風に映るのかすこし不安でした。

でも、終わったあとにすごくうれしい感想をいただいて。

「いますぐ亀岡を探検してみたくなったよ!」
「それであなたはここを選んだんだね。いい選択だ!」
「自分の国でも上映会をしたい!」


ひさしぶりの再開や、偶然の出会いも同じ会場で起こっていて、なんだかさらにうれしさに包まれた夜でした。

終わったあとにお客さんも自分たちもほっこりできればきっと、なにか次につながる気がして。それは数値的な成果としては出てくるものではないけれど、わたしはそっちを大事にしたいかな。もちろん、クオリティーを保つことも同じくらい大事なので、そこが得意な人に任せられるようになりたい。

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ありがたいことに、いろんなところから声をかけてもらえるようになってきた今日この頃。期待に応えたい気持ちはたくさんあるけれど、いまのわたしのままでは確実に限界が来る。


ひとまず、現在抱えているものを手放さないと、あたらしい余白はできないわけなので、とにかく片付けていかないとね。でも、丁寧さだけは忘れずに。信用は、失ってからでは遅いから。



なんて言いながらも、すべてを完璧にすることはできないわけなので、そこらへんの塩梅はわたしが決めないと。次回以降、「断る」という選択肢があることも忘れずに。



ふぅ。

こころを安定させるために書いている文章は、ほんとうに自分のためのもの。ほかのだれかが読めるものにはなっていないのは承知の上で、未来の自分のためにnoteで書かせてもらえたらと思う。

「わたし」のいちばんの伴走者は、やっぱり「わたし」だから。

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