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重たい鞄 運動神経が悪いということ Vol.37

昨年末の仕事納めの日は、重たい鞄で帰る羽目になった。仕事を積み残し、さばき切れなかった自覚があって、連休中に少しでも進めておこうと上司に断りを入れて職場のモバイルPCを持ち帰ることにしたのだ。いかに嫌いな仕事でも、連休中の心の余裕があれば案外、平素より捗るかもしれない。radikoでも聴きながら、のんびり取り組もう。そんな希望的な観測を抱いていた。

数えで42歳となる今年、私は本厄に当たるらしい。なんとなく不安な心持ちでお寺詣りから帰った元日の夕方、能登半島で大きな地震発生の一報に接した。小学校5年で経験した阪神淡路大震災から間もなく29年が経つが、元日早々の大規模災害は記憶に無い。テレビは各局の正月特番が緊急ニュースに変更され、BSに切り替えても同じだった。

西日本に住む人間としては、近未来、高い確率で発生すると言われる南海トラフ巨大地震のことも気にかかる。それにしても、新年の祝賀ムードのさなかでも起こり得るとは、自然が時を選んでくれないこと、私たちがいかに災害リスクの高い列島に生きているかを痛感する。どのチャンネルを合わせても緊迫したアナウンサーの声や被災地の惨状が飛び込んできて、息は詰まり、気分はふさいだ。

失礼ながら、ここくらいは通常放送かと思い込んでリモコンの3のボタンを押してみたら、まんまと当てが外れた。外国の方がフリップを手に多言語で語りかける映像は、災害時に備えて事前収録したものだという。被災の教訓を踏まえたサンテレビの対応には、頭が下がる。しかし、再度の失礼になるが、年に一度くらいしかお目にかかれないベテラン芸人・まるむし商店の漫才で気を晴らすことは許されなかった。

緊急事態にあっては、迅速な報道と、それを通じた注意喚起が重要なのは言うまでもない。ただ、各局とも一斉に同じ対応をとる必要があったのだろうか。伝える情報は似たりよったりにしかならないだろうし、危機に瀕した人々がいくつものチャンネルをザッピングするとは思えない。大半のテレビ局は予定通り正月特番を流すか、こんなときこそサブチャンネルを使えばよかったのではないか。第三者としてはふと疑問を抱いてしまうが、もし現場で口にすれば不謹慎だと一蹴されそうなことくらいは想像がつく。テレビが長時間にわたって足並みを揃える様子からは、災害そのものとは別の怖さを覚えた。

今回の災害に便乗して、旧ツイッター・Xではフェイクニュースが拡散されているという。地震を人為的なものだとする根拠のない情報も紛れているとかで、これこそ真に不謹慎な反応というものだ。同じXでも、心が温まることもある。他局に先んじて『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』の放送を開始したのは、テレビ東京。終了後、担当プロデューサーが複雑な胸中を「今夜の放送が誰かの支えになれていれば幸いです」と記したことに、視聴者からは「怯えた気持ちが和らぎました」という反応もあったらしい。誰かの気持ちを和らげ、支える。それもテレビの立派な役割だろう。

はや、三が日が過ぎようとしている。スポーツ観戦三昧でだらけるのは例年どおりだが、災害報道が重なるとは予想だにしなかった。心に余裕をもって、気を楽にして、仕事始めに備えよう。そんな計画は、どこへやら。いま、重たい鞄を持ち帰ったことをただただ猛省している。


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