夕方のコーヒー
ふと思い立って、時間をかけてコーヒーを淹れてみた。
生粋のめんどくさがりやなので「ていねいな暮らし」に憧れてはいるけれど、いつもドリップバッグを買ってしまっていた。
そんなわたしはいま、ていねいで几帳面な彼といっしょに暮らしている。
「そういえば彼が前にミルとか買っていたような…?」と思い出し、唐突に「豆を挽いてコーヒーを淹れたい!」とリクエストしてみた。
わたしの微かな記憶は間違ってなかったようで、彼は棚からミルとドリッパーを出し、突然のリクエストに応えてくれた。
「君には豆を挽く係を任せよう」
任命されたからにはちゃんとやり遂げなくちゃと、コーヒー豆を挽き続ける。わたしが疲れた頃くらいに彼から新しい任務が届く。
豆を挽く係と、お湯を注ぐ係の交代だ。
シュー、と沸いたお湯を、ペーパーをセットしたドリッパーに注いでいく。コポコポと音を立ててコーヒーが落ちていく。ふわっと香る湯気がキッチンに広がった。
「夏はコールドブリューに挑戦してもいいかもね」と彼が言う。自分たちで淹れたコーヒーはちょっぴり苦味が強かったけど、なんだか格別に美味しかった。今年はこだわって豆を選んでみようかな。
普段から自分でコーヒーを淹れている人にしたら、きっとこれは「いつもの日常」だろう。
だけど、自粛前はバタバタと追われて毎日を過ごしていたわたしからすると、こんな日々のひとコマが「ゆとり」であり「ゆたかさ」なのだ。
「普通」といわれたら普通なのだけど、急にできた一度立ち止まる機会によって、とても居心地がいい空間がどんどんできあがっている。自粛中に得られたしあわせだ。
通常の毎日に戻ってしまっても、このゆたかさは失いたくない。このイレギュラーな期間は、自分のことを、自分の暮らしのひとつひとつを大切にする意味を教えてくれたような気がする。