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我慢じゃない。楽しみの先延ばしだ。

なにかを得たいのなら、なにかを我慢しなきゃ。

その昔この言葉を言われたときの強烈な違和感をいまだに覚えている。

「我慢」の2文字はこの世でわたしの嫌いな言葉BEST3に根強くランクインしている。
ミュージックチャートならたぶん、サザンにもB’zにも劣らないウルトラロングヒットぶっぱなし中だ。

手に入れたいものもやりたいことも、そう多くない。高望みしているとも思わない。
なのになぜ我慢せにゃならんのだ。

たとえば最近でいうと、仕事はしばらくのあいだバリバリやっていきたいし、勉強会にだって参加したい。本も読みたい、映画も観たい。あとはジムよ、筋トレよ。

ところが二兎も三兎も追ううちに、だんだん「できてない」ことにストレスを感じるようになり、いちばんやってはいけないとわかっていても、寝るのも惜しいと睡眠を削り、挙げ句の果てにぶっ倒れている。


くそう。
何度同じことを繰り返しているのだ。
なにかを得たいのなら、本当になにかを我慢しなきゃいけないのか。
そんなの嫌だ。
あんなやつの言うとおりにしてたまるか。


だがしかし体からサインが出てしまったらもう赤直前の黄色信号だ。
変わりたいのなら、なにかを変えなきゃいけない。

時間が経てば体調は戻る。
でもそれと同時に喉元すぎて熱さまで忘れてしまう。
今なのだよ、今。


自分に二兎も三兎も追いかけるキャパも能力もないのなら、一兎ずつ狙い撃ちするしかない。
「今はやらない」と決めれば「やってない、できてない」とストレスを感じることもない。

我慢じゃなく、楽しみの先延ばしである。

好きな食べものを最後に食べる人というのは少なくないだろうが、まさに好きなものをあとの楽しみにとっておくのと同じだ。

好きな食べものにたどり着くまでのあいだ、我慢してほかのものを食べているか?と問われたら答えはおそらくNOだろう。(嫌いな食べものでない限り)
そこに我慢の感覚はないのだ。


時間が解決してくれること、時間しか解決してくれないこともあるかもしれない。
だからといってただツバメのヒナのように口をぱくぱくさせて待っている自分では在りたくない。

変わりたいなら、変える。
小さなことでもばかにできない。
効果があっちこっちに波及していき、大きなスパイラルとなる。

流れに乗れれば、先延ばしにした楽しみだって今よりうんと容易に掴めるだろう。

変わりたいなら変えよう。
なにかひとつでも。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが今いちばん変えたいことはなんですか?

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