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あたり前がなくなって、折り合いをつけづらくなっている気がする

リモートワーカーになって新たな発見といえば、平日日中の実家で母がなにをして過ごしているのかをうかがい知れることがひとつ。

実家にいたころは学生あるいは会社員だったから、平日の日中に母が一体なにをしているのか想像もつかなかった。

わたしは試験勉強も宿題もキッチンで取り組む子どもだったのだが、ライターとなり実家で執筆をするのもやはりキッチンだ。

母はすごい。
午前中はパートに出かけ、帰ってくるなり名もない家事をテトリスのように組み合わせてぱっぱと片づけ、空いた時間にドラマを観ている。
おそるべし、ベテラン主婦の器用さ。

今日は大河ドラマ『光る君へ』の録画を3話ほど消費していた。
舞台は平安時代。
摂政・関白政治がスタンダードだった時代だ。

戦国時代ともなれば跡継ぎとして男の子が重視されるが、摂政関白時代は「娘をお偉いさんのもとへ嫁がせて、子どもを産む」という意味で、女の子もまた重要な役割を担っていたように思う。

良し悪しではなくそれがその時代のあたり前であり、スタンダードであり、重要な出世戦略だったのだ。

∽∽∽

令和のこの時代は、もはや「あたり前なんてない」との認識があたり前になりつつある。

「家事育児は女性がするもの」との常識は崩壊しているし、当事者が生きやすくなったかどうかは脇に置いても性自認や性的指向は人それぞれとの認識が浸透しつつある気がする。

平安時代や昭和平成のように「大きなあたり前」が存在していたころは、あたり前からはみ出ている部分について「大きなものには抗えないから仕方がない」として、隠すなりごまかすなりして生きるしかなかったのではないかと想像する。

しかし今はあたり前でない部分が個性として認められるべきである、認めようという雰囲気になってきている。
つまり隠したりごまかしたりしなくてもよくなりつつある反面、誰しもが誰しもに対する気遣いをより厳格に求められる時代に移り変わってきている気がする。
(そして、気遣いを欠くとすぐ叩かれる)。

∽∽∽

映画やドラマで描写されるような凄惨なものではないが、学生時代のわたしはクラスの「あたり前」からはみ出ていたために、クラス全員からのけものにされた時期がある。

それでもわたしが心が折れるまでに至らなかったのは、オンラインゲームという第3の居場所があったから。
オンラインゲームで仲良くなった人たちのなかには、なにをやらかしたか知らないが少年院に入っていたおにいさんや、だいぶこじれた恋愛をしているおねえさんなど、わたしの「あたり前」の範疇を優に超えている人たちしかいなかった。

自分が学校でのけものにされていることなんて、ずいぶんしょぼく思えた。
学校のみんなとは仲良くできなかったけれど、ゲームの世界のみんなはクラスではみ出ているわたしにもふつうに接してくれたもの。
とてもありがたかった。

たぶんそれが原体験となって、わたしは人を集団でのけものにすることが大嫌いだ。
もちろんわたしにも好き嫌いはあるけれど、人の居場所を故意に踏みにじり、奪う行為はしないように心がけている。

…そういう性分だからか、逆に最近はどこに行ってもどこに居ても、自分の気が休まらないような感覚に陥る瞬間がある。

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自宅には夫がいるし、実家には両親や妹、姪っ子がいる。
互いにだいぶ深く知った仲とはいえ、年齢や仕事の環境、体調などによって価値観も考え方も変化するものだ。

母親や妹とはよく話をするが、わたしもふだんは離れて暮らしているし「あれ、そんな人だったっけ?」と思う瞬間がちょこちょこある。

自宅や実家はいちばんリラックスして過ごせる場所だからこそ甘えも出るし、その甘えを自分が受け入れられる余裕がなければ「家族だからってなんでもありじゃないのよ?」と言いたくなったりもする。

でも、どの違和感も自分の定規で相手を計っているからこそ生じるもの。
ゆえに、よほど自分が虐げられているとか、不当な扱いを受けていると感じないのであれば、「まあ、人それぞれだよな」として受け流すよりほかないとして過ごしている。

だって「あんたになにがわかるの?」と問われたら「なにもわからない」としか返しようがないもの。

そんな思考回路でふだん人と接しているから、たとえ相手が家族であっても相手のあたり前を押しつけられることに敏感になってしまった。
「あちゃー…わたしの価値観は尊重してもらえないのか…」と。

そうなると、どこにいても居場所がないなあと感じてしまう。
人と自分との折り合いをつけながら、折れた部分のしわをひっそり自分で伸ばしながら、時にしわくちゃになってもなんだかんだ生きていく。

不器用だ、期待しすぎているといわれればそこまでなのだけれど、そういった自分の気質ともまだ折り合いがつけられていない。


大きなあたり前という明確な折り目がなくなっているこの時代は、生きやすいようで難しい。
気遣いマシマシで生きているあなたも、どこか心安らぐ場所が得られますように。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが「はみ出ているなあ」と感じるところは、どこですか?

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