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【わたしの美しい庭】違いに苦しむ私たちに寄り添う1冊

複雑な家族構成、一定の年齢を越えての独り身、性のマイノリティー、子なし夫婦、人と同じように仕事ができない、不登校、、、

あげればきりがない、生き辛さを感じる場面。

周囲からは心配だから、という大義名分のもと一言も二言も本人にとっては余計なことを言われがち。

私を含むそんな現代で暮らす人たちにそっと寄り添ってくれる本を読みました。

凪良ゆうさんは今私が好きな作家さんの3本の指に入る方♡

少し漫画っぽさをあらすじからは感じるけれど、そうだそうだと思うことがたくさん。

まだこぬ未来にまでアンテナを伸ばし、心配という名のおせっかいをする人たち。

わたしの美しい庭

身体を切られたら犯罪だが、心を切られてもよっぽどでないかぎり罪には問われない。

わたしの美しい庭

できれば「ぼくたちは同じだから仲良くしよう」より「ぼくたちは違うけど認め合おう」のほうを勧めたい。

わたしの美しい庭

お節介に対する言葉の選び方が秀逸だなと思わず付箋を貼ってしまった。

私の住むニュージーランドの人たちは良くも悪くも周りの人たちの選択に感情移入が少なくて、よく"Up to you"、あなた次第、と会話の中で聞かれる。
そして選んだ答えを応援する、という印象。

今困っているのを助けようとするのと、起こってないのに勝手に心配してとやかく言うのは違うこと。

学校に行かなくて周りとうまくやる力がつかないんじゃない?とか頑張れない人になるんじゃない?とか、老後寂しいよ、とか。

起こってないことだし、心配する側の人が受ける影響は何もないもんね。

なので私の中で「良かれと思って」という言葉が自分の中で浮かびそうなときはたいてい余計なことだという基準を今は設けている。

違いに関して、日本には
みんなちがってみんないい

っていう有名な言葉があるけれど、

実際は本当になんでもいいわけではなくて、"自分の中で認められる範囲なら"っていう条件付きだと感じていて。

ある日今日からクラスメートのあの子は彼ではなく彼女ですよ、ふーんそうかー。(←実話)みたいなことにはならないと思うし。

白黒つけないで、その彼女になった子がまたやっぱり彼に戻っても、ふーんそっかー。

とヒトの選択をいちいちジャッジせずにフラットでいられる、自分も自分のことを伝えられる

そんな世の中になっていくといいな、微力だけどその一端に参加したいな、と

まずは自分がその修行をしよう、そんな今日このごろ。

他のクリエイターの方たちに輪を広げていきたいです🍀🍀