年末年始をLeicaQ2とともに呆然とやりすごす
義母が亡くなってから我家のクリスマスは簡素化され家族三人の間で贈り物交換するだけですましている。無論年始はドイツ流で何もない。
故にほとんど退屈な年末年始である。とはいえそれでなんの不都合もない。
しかしその間に妻の故郷へ帰った。といっても家はすでに売却してしまったのでホテルぐらしである。
そんな味気ない「里帰り」なので特筆する感慨もない。
近くの大都市であるStuttgartも久しぶりに訪れた。以前は親しみも感ぜず、そのわかりにくい地理環境に憎悪に近い感情さえ抱いていた街だったが、今回は市中心部に宿を取ったせいか何度も往来した結果、やや印象が改善したようだ。
ホテルは最も繁華な通りの西端にあったが、そのあたりがなんとアラブ人街と化していたのは驚きだった。
以前はメルセデス工場が呼び寄せた外国人労働者のせいで旧ユーゴスラビア人が多かった街だが、いつの間にかアラブ人が主要な外国人となった模様である。
数年前のシリアとイラクからの難民受け入れの結果であろう。
しかし彼らが定住し経済力をつけたお陰で消費も向上し、彼ら目当ての商店とくに飲食店が開業しいよいよ同胞の集客力を高めているのか、よって街はアラブ化する。
しかし彼らのほとんどがクルド人なのでクルド化したというべきなのだろうか?
在独トルコ人計300万人の約半数がクルド系といわれているのでクルド人はもともと多い。そこへさらにシリアとイラクからのクルド人が加わったわけだ。
トルコ・クルドの場合はPKKという政治組織があるのでデモなど以前は盛んに行っていた。エルドアン大統領はトルコへ逃亡したシリアとイラクからのクルド人難民をプールしておき、これをEUとの、とくにドイツとの交渉に利用した。まずは百万人を欧州へ逃しEUからの経済援助を引き出しそしてまた蛇口を閉めた。つまりまた後があるということだ。
流失させられた百万人の約半数をドイツが受け入れた、と公式な数字は示すが、現実にドイツへ流入した難民は百万といわれている。
表向きは人道上となっているが実質は経済上の理由から受け入れた難民である。目に見える結果としてはStuttgartのような中心都市の一部に繁栄をもたらしている。大工場をもつ企業の人事部は忙しく、政府の税収も向上しているに違いない。
UKやフランスで多発しているイスラム教徒が引き起こすトラブルは、ドイツではそれほど多くはないようだ。かってはトルコ移民が問題であったゆえの経験と対策が功を奏しているのか、またはUK・フランスなどの紛争は故意に創出されているんだろうか?知らんけど。