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福祉の現場で働き続けることの焦りと葛藤

たぶんまともに働けない

最近の悩みといえば専ら福祉の現場で働き続けることへの焦りと葛藤だ。

たぶん、私は資本主義社会の中だとまともに働けない。新卒でちょっとだけ勤めた不動産会社では、シェアハウスの管理業務を行っていたのだが、家賃の仕組みに納得が行かなかった。何故すでに富のある大家さんのために収益をあげなきゃいけなくて、経済的精神的弱者の方の入居はお断りしなきゃいけないんだろう、大家さんは(物件提供以外)何もしてないし、別に人として好きでもない彼らの利益のために何故私は日々働かなきゃいけないんだろうとか色々考え始めたら身動きが取れなくなってしまった。

他の仕事も色々みてみたけれども、人間は誰しもいつか死ぬし世界は消えてなくなるという前提の上で世の中を覗いたときに、限りある短い人生を捧げたいと思えるような仕事には中々出会えなかった。

たぶん私は社会のマイナスをプラスに引き上げることには意義を感じられるけど、プラスをプラスにすることにはあまり熱意をもてないのだと思う。あと、匿名じゃない愛する誰かのためじゃないと頑張れない。

そんな悩みが絶頂だった頃、偶然いまのうちのNPOの理事長と出会って「どんな人でも絶対に入居を断らないシェアハウスみたいなものやってるからおいで」と言われて興味本位で北九州までついてった。

福祉の現場との出会い

元ホームレスのおいちゃん達30人が暮らすその家は確かに社会からも家族からも見放された過去を持つ人達のオンパレードだった。野宿歴30年の人とか刑務所歴50年の人とかアルコールやギャンブル依存症、発達障害…とにかくこれまで生きづらかっただろう人達が、人生の晩年をありのままの姿で生き生きと暮らす姿をみて、ここはユートピアなのかと何度も目をこすった。

社会の最底辺とされる場所がこんなに明るければ希望が持てる。元ホームレスだろうと元犯罪者だろうと元ヤクザだろうとおんなじいのち。その人がその人らしく生きる権利がある。彼らの幸せや権利を守るためなら働けると思い、北九州に移住し、気がつけば現場の支援員になって5年が経った。学校・部活・バイト・仕事のどれも2年以上まともに続かなかった私が5年もひとつのことを続けていることは奇跡に近い。

今の仕事は誰のために何のために働いているかわかりやすく、心から意義があると思えるし、自分の信じている&作りたいと思っている世界観との矛盾が少ないから、とても居心地がよいのだと思う。何よりおいちゃん達のひとりひとりが魅力的で私は彼等に助けられている。

福祉の現場で働きつづけることの焦りと葛藤

でも、30歳になって同僚達から「これからどうするの?」と訊かれることが増えた。うちは地方のNPOなので給料は決して高くない。東京の友人達の1/2以下。清貧を保てば自分一人は何とか養っていけるぐらい。車とか家とか子どもを持つとかはたぶん到底無理。友達の結婚式も全部はいけない。

事実、うちのNPOはごっそり30代40代の職員がごっそりと抜けている。仮にいたとしても、夫or妻がしっかり稼いでいる人達。あとは、20代前半の若者と50代後半のアーリーリタイア組だ。

入職当時、20代だった私もついに30代を迎えてしまった。ここでおいちゃん達のために、ずっと働き続けたいという思いがある一方で、この先ずっと現場に身を捧げる人生でいいのか、働き盛りなのにちゃんとお金を稼がなくていいのか、清貧に今後も耐え続けられるのかなど色んな焦りと葛藤が頭をよぎる。

国と社会からのやりがい搾取

こんなことをずっと考え続けていると、たまに国や社会からやりがい搾取されているように感じて苦しくなる。そもそも『やりがい』とされるのもなんか違う。国や社会が放置した人々をどうしても見過ごせなくて、他に誰もやる人がいないから、それなら私がと手を挙げただけだ。もちろん、その苦しさを引き受けることを選んだのは自分自身なのだけど。

更に辛いのは、私の現場は国の法律で定められた福祉事業の網を滑り落ちた人達を相手にした自主事業であるということだ。日頃、どんなに社会福祉士としての専門スキルをがっつり生かして仕事をしていても、社会福祉法上では私の福祉のキャリアは0年として換算される。これがネックとなって、経験年数がものをいう福祉業界において、私はケアマネやサービス責任管理者等の福祉の上位資格をとったりできずにいる。

処遇改善なんて夢のまた夢。保育士や介護士なども同じく低賃金が叫ばれているけれど、社会福祉法の範囲内なので長い目でみればいつか改善されるだろう。でも、法の外にある私の現場じゃ、よっぽどの社会変革がなされないと無理。少なくとも令和じゃ間に合わない。

社会にとって必要だと思える仕事をやってる誇りはあるけれども、資本主義の中で換算されると甘く見積られるのが悔しい。社会の歪の代償を『自己選択』という名前の元に背負わされているような気がする。福祉の仕事は好きだし誇りを持ってるけど、立ちはだかる現実を前に仕方なく現場を離れた同僚や、優しすぎるがために精神を壊した同僚を何人も見てきた。

第三の道を探す

社会をいますぐに変えるのは難しいから、結局自分自身を変えるしかない。このまま色々折り合いをつけながら福祉の現場で働き続けるか、将来のことを考えてもうちょっと資本主義よりの仕事につくか(私自身が適応できるかはさらにまた別の問題)。でも、今はそのどっちも選び難くて第三の道を必死に探してる。答えはまだないんだけど。もしも、宝くじが当ったら、今の現場でずっと働きつづけたい。

※今日はおいちゃん達と花見に行って四つ葉のクローバー探した。色んな過去を背負っている彼らが今、目の前で無邪気に笑っているのは本当に尊い。

▽私の仕事観



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