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今日ときめいた言葉92ー歴史学にできること「過去を過去として論じるのではなく、現代を映す鏡として見つめ直すこと」

(タイトル写真はテレジン強制収容所跡地、アウシュビッツに移送される前の中継地だった。テレジンは、オーストリアのマリア・テレジアのことである)

(2023年10月19日付 朝日新聞「第三次大戦防ぐには」歴史学者 小原淳氏の言葉)

「第三次大戦を招かないために歴史学に何ができるか」との問いに、小原氏が答えたのが記事タイトルの言葉である。小原氏はさらに以下のように続ける。

「かつての人々が危機に際してどのように反応し、何を考え、いかに対処したのか。とりわけ『失敗の歴史』を学ぶことや、他にどのような『歴史の選択肢』があったかを問うことが有効でしょう」

「さらに、歴史を通じて他者と対話すること。時に対立し合う相手の歴史を学び、相手の立場や思考を理解することが重要です。(中略ー欧州では共通の歴史教科書を編纂し、一つの主語で歴史を共有しようとしていることについて)アジアでも求められる挑戦です」

「そして、今起きていることを、できるだけ公平・詳細・正確に書き残すこと。それは、後世の人々が困難に直面した時に貴重な助言になるはずです」

学校の歴史教育もこのような視点でなされるべきだろう。私の受けた授業は、単に歴史的な出来事を時系列で暗記することだった。そして近現代史は、明治時代に重点が置かれ、それ以降の現代史は時間切れとなって終わっている。

「それでも、日本は『戦争』を選んだ」(朝日出版社)は、東京大学文学部教授 加藤陽子氏の著書であるが、神奈川県の私立学校の中高生向けに行なった近現代史の授業をもとに、本にしたものである。

この著書を読むと、加藤氏の授業はまさに小原氏が前記で述べているような歴史教育である。歴史の重要な分岐点で日本が戦争への道を選択して行った経緯が明快に描かれている。歴史教育は本来こうあるべきだと思う。歴史は暗記ものなどではなく、過去と現代の間で深く思索する学問なのだと思う。こんな授業を受けたかったと悔やまれる。

日本人の歴史認識、戦争加害の罪悪感の希薄さは、日本のこのような歴史教育と無縁ではないだろう。小原氏はこのことについて以下のように説明している。

「皮肉にも、多くの人々に戦争は悲惨なものだという認識が浸透しているからこそ加害の罪悪感が軽減されていないでしょうか。『戦争は悲惨』という意識が『誰もが戦争で苦しんだ、大変なのはどの国も同じ』に変わり、『誰かの罪を追求して波風を立てるのは良くない』とか『庶民はいつも戦争の犠牲者』『やったやられたはお互い様』という無責任論に陥る可能性がある」

それ故、過去の過ちの反省と敗戦までの「戦争の80年」から教訓をくみ取るべきであると述べている。そして、欧州諸国が戦後長い時間をかけて和解を進めたように、日本も歴史を分かち合える隣国韓国や東南アジア諸国とパートナーになれるよう和解の努力をするべきであると。

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