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「夏休みの宿題」「自由研究」って必要ですか?

小学生の夏休みにつきもののこの二つ必要でしょうか?夏休みは、何にもない開放感を思いっきり味合わせてあげればいいのにとずっと思ってきた。何かをしていても、いつも「宿題」のことや「自由研究」のことが気になっている、言わば「生殺し」みたいな気分で過ごす夏休み。こんな状態で日々楽しく過ごせるんだろうか?

「小人閑居して不善をなす」の発想でしょうか。「漢字100回」「計算ドリル100問」忙しくさせるだけのこんな宿題、もう肉体労働でしょう。昔、夜遅くまで塾に通う日本の小学生の行為を「児童労働」と評した海外メディアがあったけど。

このように何かに縛り付けて精神的に押さえつけておくという手法あちこちに散見できます。例えば内申書。高校生になるといつもそれが気になる。何をするにもその圧力を感じ続ける。でも内申書って、先生の主観でしょ?時に先生が脅しにも使うとか、「内申書に書くぞ」とか言って。

そんな曖昧なものに自分が左右されるって理不尽じゃないですか?その内申書、生徒の側からの反論の機会や第三者からのチェックがあって、説明責任が果たされているのでしょうか?公平性、正当性が担保されているのでしょうか?内申書ではなく、推薦書(recommendation)とすべきでしょう。

外国の小学生は長い夏休みを思いっきり過ごします。最も学年末の休みなので勉強はその時点で完結しているということもあるでしょう。アメリカの学校など6月始め頃から休みが始まって8月末まで2ヶ月半。日本よりずっと長い。親にとっても結構悩みの種でもあるようだが、休み期間中の受け皿になるシステムがある。サマーキャンプとかサマースクールとか、公営私営共にある。分厚いガイドブックが出版されてもいる。

私の孫たちは市が運営するサマーキャンプに通っている。働く母親に対する配慮もあるようだ。娘たちはそこに子供たちを入れてやりくりしながら働いている。日本のアメリカンスクールでも日本人の子弟対象に毎夏開催している。学校の施設を借りて別会社がビジネスとしてやっている。だからお値段は結構高い。でも徹底的に子供を楽しませるプログラムになっている。私の娘たちは高校生になるとお小遣い稼ぎにそこで「リーダー」や「スイムコーチ」のアルバイトをしていた。

先日の朝、小学校の前で出会った少年と目があって「おはようございます」と挨拶された。気分が良くなって「今日は登校日なの?」と聞くと「お母さんが仕事なので」と答えて校門に入って行った。「学校が預かってくれるのか?学校でどうやって一日を過ごすのだろうか?」とふと思った。

日本でも小学校の校舎を使って市が運営する楽しいサマーキャンプを開催すればいいのに。徹底的に子供を楽しませるプログラムで。学童保育や学校の預かりより、夏休み中の子供の生活を楽しませるためにもっと積極的に関わってもいいんじゃないだろうか。子供を抑えつけておくのではなく、開放してあげる、そんな夏休みを。非日常の体験は心に刺激を与え、成長を促すと思う。

余談だが、NHK「最後の授業」と言う番組で、講師の柄本明氏が興味深い話をされていた。反抗期だった息子さんがオーディションに合格し、劇団に通い出したそうである。そうしたら、すっかりいい子になって帰ってきて反抗期ではなくなったと言う。子供の成長についてのとても示唆に富んだ話だと思った。

閑話休題!メディアもよく取り上げる自由研究。興味深い記事に出会った。

ー自由研究「自由」ってなんだろう(2022年8月20日付 朝日新聞 教育学者・西郷南海子氏)ー

概要は、西郷氏の8歳の息子さんが自由研究で何をしたらよいか悩んでいる時に、「好きなチョコミントアイスで実験でもやってみたら?」という提案でそれは始まったという。各社のチョコミントアイスを食べ比べ、そのパッケージを画用紙に貼り、チョコとミントのバランスをメモしたりと、のめり込んだそうだ。

だが、この研究を学校に出すのはおかしいと言って結果的には出さなかったそうだ。理由は、学校で「浮く」ことを心配したからだとか。この時、西郷氏は「自由」ってなんだろうと考えてしまったと言う。そして、以下のように書いている:

(息子さんが)「自由研究は自由すぎても怒られるし、自由じゃなくても怒られる」と話していた。大人の一人として、申し訳ない気持ちになった。空気を読んで『この程度の自由が求められているんだろうな』と先取りする行動パターンは、就活でも仕事でもずっと続いていく。私たち大人に染み付いてしまった処世術が、こんな小さい時から・・・と。

これを教育学では、「hidden curriculum (隠れたカリキュラム)」と言うそうだ。言語化されていないが、子供が暗黙に従わなければいけないと感じていることの一つだそうだ。子供たちは「学校からある程度の子供らしさが求められているが、度を越しては行けない」と薄々感じているのかもしれないと。こんな風に感じてしまう子供の心。外国の子供も持っているのだろうか?

このチョコミントの自由研究は今でも続いているそうだ。そして以下のように締めくくっている。

「誰に見せるでもなく、誰に評価されるでもなく、ただ好きだから続けている。これこそが本当の自由研究かもしれない」


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