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若き日の思い出(その3)ーアメリカンスクールに入るまで

日本に帰国するにあたって、1番の問題は娘達の教育。一度こんな楽しい学校生活を体験してしまったら、日本の学校に入れるのは本当にしのびなかった。私の知っているあの寒々とした無機質な教室の風景がよみがえる。やっぱりいやだ。取り敢えずアメリカンスクール(正しくは、ASIJ, American School in Japan)に入学手続きをしよう。それも絶対3人一緒じゃなきゃダメだ。取り敢えず1年間位ならなんとかなるんじゃないか(でも内心は真っ暗。展望は全くなかった)

我が家は、ごく普通の会社勤めの夫と無職の主婦。授業料は法外に高い。しかも3人分。35年の住宅ローンを抱え、一体どうするんだ。親戚は無謀だと口を揃えた。もっと大きくなってから留学すればいいじゃないという。それではダメなのだ、わたし的には。小さいうちからこの空気を吸って育って欲しいのだ。勉強だけの問題じゃなく、精神の問題なのだ。

長女は4年生、二女は2年生、三女は幼稚園にそれぞれ入学した。クアラルンプールの学校とほとんど同じ雰囲気、同じ教育内容とシステム。こちらの方が歴史が古い。長女のクラスのボランティアをしたことで担任の先生と親しくなった。

就職活動開始。それまでに私が出した履歴書、数十通はことごとく全滅。中途採用は狭き門であった。これだけ落ちまくるとさすが自分自身が価値のない人間に思えて惨めになった。仕事も決まらず、来年からの授業料の資金の目処も立たず、やめるしかないと思っていた私の暗い顔を見て、担任の先生が話を聞いてくれた。


彼女は、日本人男性と結婚しているWalesウェールズ(United Kingdom 英国の一部)出身の人で、苦労して勉強をした人であった。家族はWelshウェールズ語を日常的に使っていること。家族の中で大学を出たのは彼女だけであること。ストッキングを売り歩いて学費を稼いだことなど話してくれた。

「意思があれば道は開ける」と言って私を励ましてくれた。そして、すぐHeadmaster 学園長に会って話をするようにとアポイントメントを取ってくれた。訪ねていくと彼の日本人の秘書が上から目線で言った。「個人で3人の子供をこの学校に入れるのは無理よ。今すぐやめた方がいい」そうなのだ。この学校の生徒のほとんどは、会社が授業料を払っているのだ。いわゆるSelf-payers個人で払っている保護者はマイノリティなのだ。

そうだよな。誰だってそう思う。Headmaster に会う前にもう私の心は折れてしまっていた。取り敢えず会って話だけしてみよう。私の話を聞いて、彼は無謀だからやめなさいとは言わなかった。Financial  aid(経済的に支援の必要な家庭に授与される奨学金、みたいなもの。返済不要)を申請しなさいと言って、用紙をくれた。巷での彼の評判は、ハーバード大出のエリートで、snob(気取ってる)で冷たいヤツだと言われていたけど、アメリカンスクールの懐の深さを感じた。少なくとも同胞(?)の日本人秘書のような対応でなかったことに感謝した。

Financial aidがもらえたことで、3人分の授業料は大分軽減された。そんな時、三女のクラスメイトの母親と知り合いになった。彼女はアメリカ人だが日本人男性と結婚していた。その彼女の夫は、なんと学校法人の理事長さんだと言う。幼稚園から大学まであるその学校法人の秘書室に職を紹介してくれた。

で、面接で私は、厚かましくも給料の額の交渉をしたのだ。授業料からFinancial aid分を差し引いた残りの額以上の給与が欲しいと。私だって背水の陣で望んだのだ。その額がもらえないなら娘達をやめさせなければならないのだから。結果、人事担当の部長は驚きながらもその額を保証してくれた。後で聞いた話だと、面接でそんな話をした人は前代未聞だそうだ。伝統ある私立学校の方々は、お金の話はなさらないらしい。

皮肉なことに、あんなに嫌っていた典型的な日本の学校で私が働くことになり、娘達には楽しい学校生活を提供してあげることができた。長女の担任の先生と私に職を与えてくれた三女のクラスメイトの母親には、感謝しかない。この時、生涯で受ける幸運を全て使ってしまったかもしれないと、ふと思った。「意思があれば道は開ける」とは思うが、意思だけではどうにもならなかったと思う。運にも大いに助けられた。こう言う時だけ、神様に感謝しています😅😅😅

当時、アメリカンスクールは、文科省に認められた学校ではなく、卒業しても日本においては何の資格も得られない、いわゆる各種学校扱いだった。だから高校までは絶対に卒業させなければならない。そうすれば、世界中の大学はもちろん、日本国内でもアメリカンスクールの卒業資格を認めている日本の大学なら、受験できるとのことだった。「絶対、お母さんがあなた達を卒業させてあげる」💪💪💪三女が卒業するまでK to 12( kindergarten から12年生まで)の13年間は、I MUST WORK❣️
いや、大学のことを考えたらさらに4年。最短でも17年間かな⁈


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