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あいだけが救えないもの

映画館に行くといつもカップルがいる。仲良さげに手を繋いでいるひともいれば、何だか気まず気に距離をとって歩いているひともいる。 

もちろん、家族とおぼしきひとたちもいる。

制服を着て、何の加工もなくても、キラキラ光る何かが見えるようなそんな子たちも。

それを見るたびにいいな、と思う自分と、映画は1人で見るものじゃん、と冷めた目で見る自分がいる。

映画館に誰かと来ると、どうしたって映画だけには集中出来なかった。その人がどういうところで笑ったり、ぐっときたりしているのか知りたかった。同時に、自分の感情が動かされているところを見られたくなかった。

自分に自信がひとつもないくせに、他人の感情の機微には敏感で、自意識が過剰だから他人も自分と同じような目を持っていると思っているし、持っていて欲しいと思っている。

だから、いつからか、ずっと映画は1人で見るものだった。1人で人知れず楽しみな映画リストを作り、映画館へ行く。たまに舞台挨拶なんかにも行って、ミニシアターのときには監督や役者と仲良く話している人たちをじっと外から見つめたりする。誰に感想をぶつけることもなく、映画館の帰り道、カフェに入ってその映画の感想をリサーチして、頷いたり、訝しんだり。

そんな、1人ループの繰り返し。


それで、ずっと満足だった。

自分がとてもよいと思った映画の感想を誰かに伝えて、否定されることが恐かった。その映画のためというよりも、自分の保身のため。センスなんて見えないもので私自身もひとを判断するくせに、ひとから判断されるのは大嫌いだ。

でも、いま、映画館が、そもそも映画産業自体が経験のない危機に立たされている。

今日4/18、全国のおそらく全ての映画館が休館していると目にした。

この世界には、映画を好き、という人がびっくりするくらいいる。
年間100本以上の映画を何十年も見続け、ちょっと私が映画が好き、といえば、私の何十倍の熱量で語る人たちが。

映画は思っているよりも儲かることの少ない産業だ。
こと、日本、さらにミニシアターの系の映画は、少し詳細を掘り下げれば、あるひとにとっては生活の足しにもならないくらいの稼ぎしかないを知る。

映画は、愛だけで成り立っていると、いつも思っていた。どんなにビジネス、利益を重要視するひとでも、映画に愛のない人は、多分映画業界にはいない。

映画は、誰かに見られて完成するものだと、多くのひとが言う。監督、キャストを始めとしたスタッフ、それを繋げるたくさんの人、映画館の人、観客。その一つ一つの繋がりで、映画が完成して、映画ファンも含めて、映画なのだと。


その輪を遠目で見るのはやめた。


ずっと、羨ましかった。
映画を見終わったあと、スクリーンを後にしながら、映画の感想を言い合う背中が。
愛の詰まった表情で、監督に、その愛を遺憾無く伝えられる人が。


金銭的な余裕が一つもなく、MINI THEATER AIDにも大きな額を寄付することは決してできないけれど。

また、何の罪悪感もなく、ただ期待で心を包ませて、映画館に行けるようになったら。
今度は、誰かと行っても、顔色を窺わない強さを持って行くから。
今度は、好きな映画をみんなに心の底から伝えられる強さを持って行くから。

あなたのことを、何も救うことはできないけれど、
ただ、絶対にあの時とは違う自分で映画館へ、行くから。


私が映画への愛を語ることが、どこかの映画館を存続させることには結びつかないし、誰も救えない。
でも、いつか、もう一度映画館で行く日まで。


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