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悲しみの恵方巻き

コンビニに 「恵方巻き」 が並ぶようになったのはいつ頃からだろうか。元々の発祥は関西と聞くが、そもそも美味しいということに加えて、往年の志村けんのチョンマゲを思わせるその愛らしいフォルムでファンの心をわしづかみにしているようである。(←かなり勝手な分析)

こういうプチ・イベントは、商売になりそうだと誰かが直ぐ仕掛けるものである。古くはバレンタイン・デー、最近ではハロウィーンなどもそれにあたるだろう。でもこういう美味しい行事は大歓迎である。皆で何か同じものを食べて祝う行事というのはいつも楽しいものだ。

今日も通りがかりのコンビニを覗くと恵方巻きが売られていたが、感じたのは、さらに高級志向と大型化が進んでいるなということである。デパートには一万円超の恵方巻きがあると聞いたことがあるが、そこに並んでいた恵方巻の中には海産物がぎゅうぎゅうに入って一本千円弱の値段がついているものもあった。そしてサイズがやたらデカイ! これを本当に一息で食べろと言うのか! 俺はその迫力に圧倒されながら数年前の節分を思い出していた。

***

その年の節分は国内の、とある出張先で迎えた。出先で恵方巻きを食べたので良く記憶に残っている。その日は数名のプロジェクト・チーム(と言えばかっこいいが実は単に脛に傷を持つ男の集団)で出張していたのだが、取引先での打ち合わせが意外に早く終わったのでビジネスホテルに戻り一旦解散した。

チームでの出張の場合、仕事が終わると大概一回ホテルに帰って、各自メールややり残した仕事を片付けてから適当に誘い合わせて飯を食いに行くパターンが多かった。

たいしたメールもなく簡単に返信を済ませると、俺は少し腹が空いていることに気がついた。しかし食事に出るにはまだ早い。俺はホテルの横にコンビニがあったことを思い出し食料を物色しに行った。するとそこには大量の恵方巻きが並んでいた。

「そうか、節分か…」

丁度良かった。俺は手頃な恵方巻きと缶ビールを一本買って部屋に帰った。

さて、いざ食べようとすると、説明が書かれている。恵方巻きを食べる時の掟という訳である。要約すると次のようなことらしい。

【第一の掟】その年の幸運の方角(恵方)を向いて食べること
【第二の掟】食べ始めたら、一気に最後まで食べ、食べ終わるまで恵方巻きから口を離さないこと
【第三の掟】食べている途中で絶対に人と話さないこと

確かこんな内容だった。お安い御用である。よっぽどのおっちょこちょいか、おしゃべりでなければクリアできる条件ではないだろうか。その年の恵方は確か南南東だった。

俺は愛用のiPhoneを取り出すと「コンパス」のアイコンを押した。画面には瞬時に方位磁石が表示された。おかげで正確な南南東を向いて恵方巻きを食べることができる訳である。ありがとうジョブズ。

俺はベッドの上に正座をすると、正確に南南東の方角を向き、おもむろに「恵方巻き」と書かれたビニールの包みを破ったのだった。中からは漆黒のノリをまとった恵方巻きが現れた。やはりバカ殿を連想させる。

俺は掟通りに恵方を向いて厳かに恵方巻きを両手で捧げ持った。

そして食べようとした瞬間、俺の携帯が鳴った。

(ふー、あぶない、あぶない)
俺は、恵方巻きを置くと電話に出た。一緒に出張に来ている後輩からだった。

「すいません、今日急いで海外に返事しなけりゃならないメールがありまして... 」

俺はそいつの英文メールをよく添削してあげていた。

「おー、じゃ、送ってくれれば直して送り返すよ」 と言うと、

「いや、ちょっと微妙なニュアンスのところがありまして、状況を説明した方がいいかと思いまして… PC持って部屋行っていいすか?」 と言う。

(ま、確かにそうだな)と思った俺は、 「そしたら10分くらいしたら来てよ」 と優しい先輩の声で言うと電話を切った。

さて儀式再開である。俺は目の前の恵方巻きを両手に持つとおもむろに口にくわえた。鏡に映る俺は、どこか雅楽の奏者のようでもあった。こんな黒い楽器、雅楽にはなかったかもしれないが。

俺は端から咀嚼しながら慎重に食べ進めた。全ては順調だった。

しかし、思ったよりデカイ。そして残念なことに息が苦しいからかあまり味がしない。俺は背筋を伸ばしたまま三分の一ほど食べ進めた。



その時だった。

「コンコン.... 」

ノックの音がした。

「コンコンコン... 」

(あいつ、もう来たのか。まだ2~3分しか経ってないだろ!)

しかしここで口を離す訳には行かない。俺はノックを無視して、恵方巻吸引作業を続けた。もう折り返し地点を過ぎゴールは見えている。あと一息である。

「コンコンコン... 」

俺は無視した。

「コンコンコン... 」

ノックの音は大きくなるが、急かされているせいか、俺の恵方巻吸引能力は急速に低下していった。焦るばかりで喉を通らないのである。

しばらくすると、「あれー?」と言う声がドアの外から聞こえてきた。

あれー?じゃない。シャット・アップ! もうゴールは目の前である。目の前にテープが見えている。俺は先を急いだ。


その瞬間、携帯が鳴り出した。俺が目を白黒させながら携帯の画面を見るとそこには後輩の名前が表示されている。返事がないのを妙に思い今度は電話をかけてきたということだろう。

俺はとっさにどうしたら良いか判らなかった。

電話は鳴り続けている! しかし恵方巻きから口を離す訳にはいかない! んもー! そこで俺は恵方巻きに口をつけたままドアの外に向かって「ちょっと待ってー!」と叫んだのである。

ドアの外から 「あ!はーい」 という声がして、電話の呼び出し音は止まったのだった。


皆さん、もうお気づきであろう。俺は第三の掟を破ってしまったのである。そう、口は離さなかったがしゃべっちゃったのである。

それに気が着いた瞬間俺は、思わず大きな声で 「アーッ!」 っと叫んでいた。

集中して何かに取り組み、そしてそれを仕損じた時、事の大小に関わらず、人は叫ぶのである。

後悔しても遅かった。俺は掟を破ったのである。俺は急速にがっかりして、肩を落としたまま残りの恵方巻きを無造作に食べたのだった。

恵方巻きくらいでそんなに落胆せんでも、と思うかもしれないが、やはり計画したことはどんなに小さなことでも完遂したい、それが男と言うものであろう。そして皮肉なものであるが、恵方巻きはこうして無造作に食べた方が美味かった。

俺は全て食べ終わると、ドアを開けた。

「すんません、電話中だったっすか? ダイジョブでしたか?」と後輩は遠慮がちに言った。

俺の表情から何か落胆的なものを読み取ったのだろうか。

俺が、「どして」 と聞くと、

「いや、なんか大きな声が聞こえたんで」 と言った。

そうか、俺の声が聞こえたか。俺は恵方巻きの話をする訳にもいかず、「まあ、色々あってな」 と言って大人の顔で苦笑いして見せた。

するとそいつは勝手に大人の揉め事を想像したのか、「大変すね」 と判ったような顔をした。

まさか俺の「揉め事」の相手が恵方巻きとは夢にも思っていないだろう。

俺は後輩を部屋に入れメールを直してやった。そいつは俺が直した英文を読んで 「なるほど、こう書く訳っすね」 と納得した顔をして送信ボタンを押した。

メールを送信し終えた後輩は俺の方を見て 「すんませんでした!」 と言った。

俺が「すんませんと思ったら、責任取ってちょっと付き合えよ」 と笑って言うと、そいつはメールのことを指していると思ったのだろう、すぐに 「もちろんすよ!」 と言うと 「にかっ」 っと歯を出して笑った。

外に出ると2月の冷たい風が吹いていた。


(了)

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