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気絶するほど悩ましい

往年の名曲の題名をお借りして書き始めて見たが、初夏の今日この頃、皆さん、いかがお過ごしだろうか。
え?気絶するほど忙しい? 
そう、今日はちょっとその気絶の話をさせて欲しい。

これまで生きてきて何度か気絶したことがある。その瞬間は、文字通り気を失っているのでほとんどの場合細かいことは覚えていないのだが、最近また久々に気絶を経験したので、これまで経験してきた気絶も含めて、私の気絶歴を振り返ってみたい。

***

気絶と失神、そして卒倒の違い

良く考えると日本語には、気絶きぜつ失神しっしん卒倒そっとうなど同じような言葉がいくつかある。それぞれどう違うのだろうか。

辞書で調べるとそれぞれ似たような事が書いてあるのだが、色々なところに書いてある事を整理すると以下のようになるようだ。

気絶きぜつ 一時的に意識がなくなること(医学用語ではない)
失神しっしん 一時的に意識がなくなること(これは医学用語)
卒倒そっとう 急に意識をなくして倒れること(必ず倒れるという動作を伴う)

なるほど、こういう風に整理すればわかりやすい。私の場合はだいたい倒れるという動作付なので、この三通りのうちのどれで呼んでもよさそうである。

気絶は、漢字では気が絶えると書き、文字の通り気を失うという意味である。そして、卒倒は、突然(=卒)倒れるということで、これまた漢字の通りの意味と言えよう。

その点、失神はなんか哲学的でカッコいい。神を失うと書いて失神である。なんとなくおそれ多い感じもする。この「失神」という言葉、医学用語だとのことだが、病気の症状以外にも、昔、ビートルズやマイケルジャクソンを見て叫びながら意識を失う人などの症状にはこの言葉が使われていたし、なぜか、エロい場面で女性が気を失う時にもこの言葉が使われることが多い気がする。

だからどうしたと言うわけではないのでそんな目で見ないで欲しいのだが、なんとなく響きに惹かれるので、今日はこの失神という言葉を積極的に採用してみたい。

第一次失神時代

さて、私の第一次失神時代を振り返ってみよう。ほら、失神時代などというと韓流グループにありそうな名前でやっぱりカッコいい。なんとなく東方神起少女時代の系列グループという感じがする。

それはともかく、あれは十代の終わり頃だった。

まだ酒の飲み方もわからないのに、背伸びして仲間と一緒に酒を飲む機会がやってきた。今では急性アルコール中毒など社会問題にもなっているが、その頃の大人は皆、無茶な飲み方をしており、俺達もそれにならって「たくさん飲むイコールカッコいい」と思っていたように思う。夜の街に、頭にネクタイを巻いた酔っ払いが普通に生息していた時代である。

恐竜が生息していた時代にはジュラ紀白亜紀三畳紀などと名前がついているが、そういう意味では、そんな酔っ払いが生息していた時代はいっ紀と呼びたい。そう、そういう掛け声で皆が酒を飲んでいた時代である。その後、ぬるめの燗で酒を飲むようになった時代は八代亜紀と呼んでもよいかもしれない。

なんの話だっただろうか。そうそう、初めて失神した時の事である。
俺は高校の友人と一緒に初めて居酒屋に行ったのだった。文化祭の打ち上げだった。あれは高校一年生か二年生の秋だろう。

大人に見えるように、じっくり考えたあげくアロハシャツのような変な服を来て行ったわけだが、そこが逆にいかにも青二才に見えてしまっていたのではないかと思う。しかし当然本人は気が付いていない。そんな年頃の話である。

クラスのちょっとイケてるカーストの女の子グループも参加していた。学校では長めのスカートをはいてるちょっと悪いこともしていそうな早熟そうじゅく組である。あえてグループ名をつけるとすると、まあSJKそうじゅく48という感じである。実際は数人来ていただけで、48人もいなかったが。しかし、この年頃だとだいたい男より女の子の方が色んな意味で進んでいる。しかし、なめられるわけにはいかない。

初めて足を踏み入れる大人の聖地、居酒屋。皆の手前、もう何度も来ているような顔をしてみる。そして、座敷に座った瞬間に頼んでもいないお通しが出てきた時点で、大人システムの謎につつまれるわけだが、そこは表情に出さずに周りの様子を伺い(食べていいんだよな)などと思いながら、変なたこわさみたいなものを食べる俺だった。

しかし、システムは大体わかった。話も盛り上がってきた。

もう大丈夫だ。

俺は最初は皆に合わせてビールを飲んでいたが、誰かが頼んだ日本酒がテーブルに届いた。

飲むひとー!
という声が聞こえる。

俺はこう見えても港町の男である(同級生も皆そうなのだが)。
俺は「当然っしょ」という顔をしてグラスを差し出して、サッポロと書かれたグラス一杯につがれた日本酒を一気にあおった。

つよ~い!

SJK48そうじゅくフォーティエイトの方から声がした。おお、なんか受けてる。俺は調子に乗ってそこからガンガン飲んだ。そして、更に調子に乗った俺は学校の先生のものまねなどを披露していた。今考えると酒場で見せる芸ではないが、これも受けているようだ。

もう大丈夫だ。

そして更に俺が調子に乗って立ち上がり、竹刀を持って歩き回る生活指導の先生のものまねをしていたその時である。

―― ん?なんかおかしい

皆の笑い声が急に小さくなり、随分遠くから聞こえてくるような気がした。そして、目に見える景色もチラチラして壊れたファミコンみたいにモザイクっぽくなり回り出した。

―― おおっ、なんか気持ち悪い。んぷっ

俺は皆に気づかれないように薄らスマイルを浮かべて立ち上がり、そのままトイレに向かった。トイレはどこにあるのだろうか。

居酒屋の壁につかまりながらヨロヨロと進むと運よく見慣れた青い紳士と赤い淑女のマークが目に入った。俺は転がり込むように個室に入った。

―― 間に合った

俺は目の前の白い便器を抱きかかえるような姿勢で胃の中のものを全部吐いた。大人になるのはこんなにつらい事なのか。朦朧とする意識の中でそう考えた。そこからは、ちょっと落ち着いたような気がして動こうとすると、また目眩めまいがしてまた吐く、というその繰り返しだった。

便器を抱えてからどれくらい経っただろうか。5分のような感じもするし50分のような感じもする。

ふいにノックの音がして、友人がドアの外から俺を呼ぶ声がした。俺は、返事をしてトイレの個室から出ようとした気がするのだが、そこからは全く覚えていないのである。

***


俺は真っ暗な闇の中で、川の真ん中を歩いていた。水の流れる大きな音が足元から聞こえている。歩いていくと、その音はどんどん大きくなっていく。この先に滝でもあるのだろうか。

――  俺、死んだのか?

三途の川は思ったより水流が激しかった。顔にかかる冷たい激流のしぶきは、もはや逆に気持ちがよかった。俺は暗闇の中を歩きながら、「カッコつけて一気なんかしなけりゃ良かったなあ」と後悔していた。思えば短い人生だった。

俺はふと、先週部屋のベッドの下に隠したエロ本の事を思い出した。

―― あの本も、家族に見られるわけか ……
俺は歩き続けた。

そうしてしばらく川の中を歩いていると、急に目の前があかるくなり俺は白い光につつまれたのだった。

***

気が付くと俺は座敷に戻り介抱されていた。目を開けると SJK48 の一人が心配そうに俺をのぞきこんでいる顔が目に入った。

―― 良かった … 俺、生きてる ……

早熟組といっても、しょせんは田舎の港町の女の子、蓮っ葉はすっぱなようでいて根は優しい。本当に心配してくれていたようだった。なんかバカにされそうに思ったが、それは杞憂だった。

そこからは後で聞いた話だが、こと顛末てんまつはこうである。

トイレに行ったまま中々戻ってこない俺を迎えにきた友人はドアをノックし俺の名前を呼んだのだと言う。そこまでは俺の記憶と同じだった。

そして俺は、便器にしがみついたままドアを開けて、立ち上がろうと便器のフタに手をかけたところ、フタが閉まってしまい、顔が便器とフタの間に挟まった状態になったようなのである。

ご存じの通り便座にはU字型をしたタイプがあるが、その手前に切れた部分に俺の首がピタッとはまった状態でフタが閉まったので完全に俺の顔は便器の中に密閉されようなのである。そんなわけで真っ暗だったのだろう。

こういうタイプのヤツ

そして、その光景を見た友人が面白半分で水を流したのだという。それが、あのの正体である。冗談にも程がある。

え、汚い?

いやいや、そういう問題じゃないだろう。一歩間違えたらとんでもない事故になるところである。良い子の皆さんは絶対真似をしないで欲しい。そんな危険な行為はバラエティ番組でもなかなか見ない。過激な韓流映画でもこういうシーンは見た事がない。

今でこそ、同級会がある度に出て来る笑い話なのだが、良く考えれば訴えても良さそうなとんでもない行為である。

しかし、こうして俺の失神ライフは始まったのだった。


第二次失神時代


第一次失神時代から何年かが経ち、俺は成人になっていた。酒の飲み方も覚えて、飲みながら歌を歌う様なこともするようになっていた。そう、カラオケである。

この時代を名付けるなら卡拉Oカラオであろう。急に表記が中国語風になり、発音は英語風で無理やり感があるが、他に思いつかないのでここはひとつご容赦願いたい。

まだまだカラオケボックスが十分に普及しておらず、スナックのようなところで知らない人と一緒の空間で歌うのが主流だった頃である。

勤め先の先輩のボトルが入っている店に連れられて飲みに行った夜の事だった。睫毛まつげの長い女性が隣に座って水割りを作ってくれたりする店である。デュエット曲などは一緒に歌ってくれるのだ。

そう、そういう演歌というかムード歌謡的な曲が大いに幅を利かせていた時代である。そういう歌はリアルタイムで聴いて覚えたわけではなく、ほとんどが、飲みに行って他の人が歌うのを聴いているうちに覚えたものだった。

俺は、先輩シンガーが歌うのを聴いて覚えたデュエット曲を店の女性と一緒にステージ(と言っても床より10センチ高い程度だが)の上で歌っていた。

俺の鼻の下も10センチくらいに伸びていたのではないだろうか。

うまーい!

さすが水商売の女性は、歌も上手いがほめるのも上手い。俺はそこからまたガンガン飲んだ。そしてしばらくすると、ソロの歌も聴きたいなどと言ってくれる。俺の鼻の下は30センチを突破していただろう。

うーん、歌えるかなあ ……

などといいながら、実はもう何度も一人で運転中の車の中で練習して歌詞を見なくても歌えるくらいになっている必殺レパートリーをリクエストする俺だった。

ここは一発渋い曲で勝負したい。俺がリクエストしたのは泣く子も黙る谷村新司のすばるだった。

俺はイントロが始まると赤い絨毯の敷かれたステージに上がり、マイクを持つと大きく息を吸った。

〽 目を閉じて―、何も見えずー ♩

歌い出しは完璧だった。しかし、そこまで歌ったところで、歌詞に通り何も見えなくなったのだった。そう、失神である。俺はマイクを胸に抱いたまま、赤い絨毯のステージに崩れ落ちていたのだった。

この時も目を覚ますと心配そうに顔を覗き込む睫毛の長い女性の顔が目に入った。

おお、誰だこの綺麗な人は ……

その横で、先輩が「おまえなあ ……」と言うのを見て、俺は歌っていたことを思い出した。

しかし、隣のテーブルの人が、「おっ、お目覚めですね。おはようございます」などと陽気な声をかけてくれたおかげで、それほど気まずい空気にもならず、そこからまた知らない人と盛り上がったりしたのだった。良い時代である。

その後も仕事上で飲む機会が多く、そこそこの失神を繰り返していたのだが、段々鍛えられて行き、そしてある時期からは自分の限界も知り、その後は失神することもなく年を取ってきたのである。


第三次失神時代

そして先日の事だった。俺は何年かぶりに気を失ったのだった。失神は卒業したのではなかったのか? これから第三次失神時代に突入していくのだろうか。

今回の失神では何となく年齢を感じてしまった。調子に乗って飲み過ぎたわけでもないのにこのざまである。やはりここ数年コロナ禍で対面でたくさん酒を飲むという機会が極端に減っていたのが原因なのかもしれない。

それは、今年始まった社内外の部門を超えたプロジェクトのキックオフ・ミーティング(仕事始めの打合せ)終了後に開かれた親睦会の会場の韓国料理屋での事だった。久しぶりの対面の飲み会である。部署も違うので変な噂話や愚痴なども出ないし何より新しい事を始める希望に満ちた健全な飲み会で、それは楽しかった。様々な部署から参加しているのであまり上下関係もなく、参加者の年代も若手からベテランまで多岐に渡っている。

しかし、俺はここ数日色んな仕事が重なりあまり寝れておらず、逆にちょっとハイになっていたようだった。飲み放題のマッコリ(韓国のどぶろく)がやけに進む。俺はこんどのプロジェクトで協力しあわなければならないベテラン社員と酒を注ぎ合いながら話をしていた。

その恰幅の良い、マツコデラックスに太い眉毛をつけて角刈りにしたような社員と、こうしてゆっくり話すのは初めてだった。マツコは熱く語っていた。しかし、しばらくするとふいにマツコの声が聞こえなくなり画像だけになったと思ったら、顔がモザイク状に崩れていったのである。

あ、これは ……

覚えているのはそこまでである。俺はその次の瞬間、目の前のテーブルの上のチョレギサラダの大皿に顔を突っ込んで倒れたのだという。キムチ鍋じゃなくて良かった。

そして、しばらくすると俺の手をマツコが握っているのに気がついた。目の前にはマツコのがアップで見えた。その唇はだんだん俺に近づいてきている気がした。俺は何が起こっているのかわからず、「だ、だ、だめですよ」と言いながら思わずマツコを両腕で押しのけ拒絶していた。腕ピーンの状態である。

後で聞くと、その時の俺は、気を失って直ぐに顔面蒼白になり冷や汗でびっしょりになっていたと言う。話しかけても反応が薄いというかなりヤバい状況で、救急法の覚えのあるマツコ部長は、俺の脈を計ってくれていたらしいのだ。そんな優しいマツコ部長に俺は、腕ピーンである。ホントに失礼な事をした。しかし、そんな事で精神的距離も近くなり、その後プロジェクトは順調に進んでいるのである。

しかしこうして考えると、失神して目を覚ました時に目の前にいる人は確実に高年齢になってきている気がするのである。

おわりに

さて結局、ある男が3回気を失うだけの話だったのだが、最後まで読んで頂いた方々には心からお礼を申し上げたい。

いつか、どこかで一緒に飲ませて頂くような機会があるかもしれない。その時もきっとまた気絶するまで飲んでしまうと思うので、その折にはぜひ優しく介抱して欲しい。



(了)

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