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高速バスで出会った女の子は島の出身だった

だんだん世の中が元に戻ってきているようで、このところ出張も増えてきた。色々なところに出掛けられるようになったのはとても嬉しい。しかし日本は狭く飛行機や新幹線に乗ればどこにでもそれほど時間をかけずに移動できるので、あまり移動の間の事が印象に残らないことが多い。

国内移動の場合は、なんとなくメールをチェックしたりスマホを見たりしているうちに着いちゃうし、海外に行く時でさえ、乗り換えでもない限り、出された飯食って映画を見たりしているうちにあっという間に到着というのが常である。

しかも今じゃ、スマホや iPad のようないわゆるポータブルデバイスの画面を見ている人も多いので、隣り合った人と話をするような機会は中々ないと言えるだろう。昔は飛行機の中でも結構暇つぶしに隣に座った知らない人と話をしたもんだよなあと懐かしく思う。

高速バスも乗っている時間が長い乗り物の代表だが、学生の頃は良くお世話になった。最近の高速バスは飛行機なみの大きなシートで、ゆったりと三列、下手すると二列なんて仕様のものもあるらしく、カーテンなんかでプライバシーが守られてゆっくり寝られるようだが、昔の高速バスは窮屈だった。

隣の席との間の肘掛も共用の小さなものが二人の間にひとつあるだけなので、さり気ない取り合いバトルが発生したりする。やっとの思いで手に入れた「マイ肘掛」も、カーブの遠心力でうっかり腕を外したりすると、その瞬間に奪い取られ「ヒズ肘掛」になっていたりする。ま、よくある平和な光景である。

そして、隣が普通の相手なら良いのだが、夏などに運悪くメジャーリーガーのような腕の毛深いおじさんの隣なんかに座ったりすると、道中ずっとオジサン側の腕に、毛が触るか触らないかのサワサワ状態が続くのである。経験のある方は判ると思うが、これはキツイ。途中で「もう、いっそ触るんだったら、一気に触ってー!」などと叫びたくなったりするのである。

そんな高速バス。でも、その頃は他にチョイスがなかったのである。

***

遠い昔の話である。無事に大学生となった俺は、生まれ故郷から離れ東京で学生寮暮らしをしていた。友達も出来て1年目の大学生活に慣れて来た頃に初めての夏休みがやってきた。

俺は大学生らしくアルバイトなんかもしていたのだが、お盆の期間には寮が閉鎖になると言う。東京でできた友達の下宿(死語か?)に転がり込んで過ごしても良かったのだが、高校卒業から半年会っていない地元の友達が皆その後どうしているか様子も知りたかった。そこでお盆の間はバイトを休んで実家に帰ることにしたのだった。

しかし金はない。その頃は新幹線も開通していたが、まだ俺にとっては「貴族の乗り物」という感じだった。やはりファーストチョイスはバスである。夕方に池袋から出て、夜通し走り早朝に故郷に到着という訳だが、そこは貧乏学生、時間と体力だけはいくらでもある。望むところである。

さて帰省当日、俺は「どうか、サワサワおじさんの隣になりませんように」と祈りながら東京土産と着替えを詰めたカバンを持って池袋に向かった。池袋駅に着くと、高速バス乗り場は帰省客で込み合っていた。俺は運転手さんに荷物を預けるとバスに乗りこんだ。

俺の席は通路側だった。俺は腰を下ろすと、バスに人が乗り込んでくる度にそちらを見て、
「うわ、この人でかいな、こっちくんなよ」とか、
「おっ、おとなしそうな人、この人ならいいかな」なんて勝手な品定めを始めていた。なんせ下手すると10時間一緒にいるのである。この人生のパートナーが誰になるかは実に重大である。

しかし中々俺の隣の人は現れなかった。
(もしかして、空席なのかな?)
空席ならばそれはそれで大歓迎である。もうそろそろ出発の時間だ。俺は雑誌を取り出すと読み始めた。

すると俺の目の前に「ひょいっ」と手が現れた。空手チョップをするように上下に動くその手は、前を通してくれと言っていた。

(やっぱり来たか)

俺はその、「ちょいちょいちょい」と言う感じの空手チョップの様子から、おっさんを想像して顔を上げたが、目の前にいたのは小柄で健康的な女の子だった。彼女に似合わないそのアクションがなんだかおかしかった。

Tシャツにジーンズという気楽な格好のその女の子は俺にペコッとお辞儀をした。俺は席を立って窓側の座席に通した。

(女の子か …… )

サワサワおじさんでなくて良かったが、これはこれで、なんだかちょっと窮屈な感じがした。俺はその後も雑誌を読みながらなんとなく右半身(彼女側)でその子の様子をずっと意識していた。

まあ、俺も若かったので緊張してしまうのも無理ないのである。そしてバスは走りだした。若い二人、どちらも遠慮しているので肘掛の上は空である。俺はずっと本を読んでいた。

しばらくすると最初の高速休憩所についた、まだ2~3時間しか経っていなかっただろうが、じっと同じ姿勢でいるのはつらいものである。俺はバスを降り売店で飲み物を買って席に戻った。

しばらくすると隣の子も戻ってきて、また空手チョップで俺の前を通ろうとした。俺は脚を引っ込めて彼女を通そうとしたが、タイミングが悪かったのか彼女は俺の脚にひっかかりそのまま自分の席に勢い良く転がり込んだのである。俺はえらいこっちゃと思い「大丈夫ですか」といいながら彼女の顔を覗きこんだ。幸い特になんともなかったようである。

でも、それがきっかけでどちらからともなく少し話をし始めた。彼女も大学生で実家に帰るのだという。聞くと私の故郷の街からフェリーで数時間の島の出身のようだった。しばらく話すとまた、次の休憩になった。彼女が席に戻ってきたので、俺はまた彼女が転ばないようにと手を広げて構えたら、彼女は笑って席に座った。

俺は高校の頃にバイクで彼女の出身地の島に行ったことがあったので、その時の話をすると喜んで聞いてくれた。そこから色々と話をしたが、同県人でほぼ同じ年代ということもあり話すことはいくらでもあった。

しかし、しばらくすると消灯の時間になり周りの皆が段々と寝始めたこともあり、俺と彼女はどちらからともなく静かになった。俺は灯りを点けて少し本を読んで見たが、バスの揺れのせいもあるのかウトウトしてきた。さりげなく彼女を見ると、彼女も窓に寄りかかり膝の上に上着をかけて眠っているようだった。俺もそれを見て灯りを消した。

***

何時間くらい寝ただろうか。周りがガサガサする音で目が覚めた。次はもう最後の休憩のようだった。休憩所に着き俺がトイレに行って戻ってくると彼女も目を覚ましていた。もう明け方近いようで辺りは明るくなりかけていた。再び寝る気にもならず、そこから俺達はまた小さな声で話し始めた。彼女と話をするのは楽しくて退屈しなかった。

気がつくと、バスの運転手が吐息交じりの低く艶っぽい声で、「ご乗車の皆様、お疲れ様でございました。後5分程で終点に到着致します」とマイクで告げた。俺は急に、彼女と話せる時間がもう終わりに近づいたのを感じてあわてて色々考えた。

(うーん、どうする、思い切って電話番号くらい聞いてみるか?)

しかし、今なら携帯の番号やラインなど気軽に交換するのだろうが、その頃は電話番号を聞くなんてのは非常に勇気がいるアクションだったのである。

そして、そうこうするうちにバスは高速を降りてターミナル駅に近づいていた。良く考えると名前も聞いていない。しかし、今頃聞くのもなんだか変な感じがする。俺は結局あたりさわりのない話を続けていた。そしてついにバスは終点に到着してしまったのである。

「お忘れ物のないようにご注意下さい」
艶っぽい低音のアナウンスを聞きながら俺はバスを降りた。

バスから降りて自分の荷物を受け取ると、俺はあたりを見回した。すると少し離れたところから彼女がこちらを見ているのが見えた。俺は荷物を持つと彼女に向かってゆっくり歩きながら、同時に頭の中の8ビット低速コンピュータは目まぐるしく動き色々なことを考えていた。

(こんな早朝じゃフェリーなんかないだろうにどうするんだろう ..…. どこかで時間つぶすのかなあ)

(聞いてみようかなあ ..…. でも変に思われるかなあ)

(俺も何の用事もないから、一緒に始発までどこかで話をしようと誘ってみるかな …… うーん、そんなことできるか?)

(せっかくいい感じで話をしてきたのに、下心があるように思われるのもなんだよなあ)

(俺、気が合うから話したいだけで、下心なんてないんだけどなあ …… でも、もうきっと二度と会えないよな …… )

(断られたっていいよな …… じゃ、聞いてみるか …… なんて言おう …… )
(あ、もう近づいてきた … どうする … )
(よーし!)

そして皆さん。その後、俺はなんと言ったか。

俺の口から出てきたのは、「じゃ、気をつけて」だったのである。俺のばかばか!

そして歩き始めた俺は、心の中で、
「うん、やっぱ男はこういう爽やかな感じで去るのが一番だよな」
と必死で自分に言い訳していたのである。

しかし歩きながら、なんだかとてももったいないことをしてしまったような気がして俺は振り返った。するとである。なんと彼女もこちらを振り返っていたのである。まるで、ドラマのようではないか。幸運の女神が微笑んだのである!

俺は彼女を見つめた。
彼女も俺を見ている。
最後のチャンスである。

そこで、俺はどうしたか。

俺は、お辞儀をしたのである。

筋金入りのアホと言えよう。ペコリじゃないのである。

彼女は胸元で小さく手を振っていた。その時彼女は何を考えていただろうか。俺がその時勇気を出して戻ったら何かが起きたのだろうか。

結局、ここまで読んでいただいた方々には大変申し訳ないのだが、最終的に何も起きずにこの話は唐突にここで終わるのである。

青春はほろ苦いのである。



(了)

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