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全裸特急

紳士、淑女の皆さん。長い長いコロナ生活、いかがお過ごしだろうか。なんだかこの生活にももう飽きて来ましたね。ところで、このドキュメンタリー風の題名に魅かれてこの記事を読みはじめていただいている貴方。これからする話には一応全裸シーンはあるものの残念ながらそっちの路線の話ではないという事を先にお伝えしておきたい。

しかし、コロナ前の出張の日々が懐かしい。海外出張できないのはあたりまえだが、なんと国内出張にさえもほとんど行く機会がないのだ。最後に出張したのはもう何年も前の事のような気がする。

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国内出張する時はほとんど飛行機か新幹線の移動だったが、寝台列車で移動する機会もあった。寝台列車、またの名を夜行列車。なんとノスタルジックな響きであろうか。アガサクリスティのオリエント急行殺人事件なんかも寝台列車が舞台だったが、これぞ旅行の王道という感じがする。トルコのイスタンブールからフランスのカレーまでなんと一週間も掛けて移動するのである。一週間である。そりゃ、事件も起きようというものである。

しかし、日本は狭いので夜行列車に何泊もしながら旅行するというのは難しい。大体一泊すればどこにでも着いちゃうのである。

寝台列車というとまず思い浮かぶのは「北斗星」と「カシオペア」ではないだろうか。かつて上野と札幌を結んでいた超人気寝台特急列車である。名前に星の名前を採用しているところも、実に夜行列車的であると言えよう。「北海道に出張の機会があれば一度乗って見たい!」とずっと思っていたのだが、いつも超人気で予約は取れず「いつか機会があれば乗ろう」などと思っているうちに、いつのまにかどちらの列車も廃止になってしまったのである。(団体用としては一部走っているようだが)

となると、もう現在国内で定期運行している寝台列車は「サンライズ出雲・瀬戸」くらいではないのだろうか。「サンライズ出雲」は東京 ⇔ 岡山 ⇔ 出雲、「サンライズ瀬戸」は東京 ⇔ 岡山 ⇔ 高松を結び運行している。上り列車も、下り列車も、夜出発で目的地に早朝到着という感じである。

何年か前のある日、その「サンライズ出雲」に乗る機会があった。

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岡山で夜仕事を終えた俺は、もう東京に帰るには時間も遅いので岡山に泊まろうとビジネスホテルを検索をしたのだが、あれこれ検索しているうちに、東京に朝到着する夜行列車があることを知ったのだ。
「夜行列車という手もあるか!?」
ウェブで客車の写真を見ているうちに猛烈に興味が湧いてきた。

岡山駅を20:00過ぎに出発して朝には東京に着くという。「でも、当日に席が空いているわけないよなあ」と思いながらウェブサイトを読み進めると、「この列車はオンラインなどでは予約ができず、窓口でしか取り扱っていないため、当日も駅に行けば切符を買える可能性がある」などと書いてある。俺はだめもとで岡山駅に向かって見た。

夜行列車。なんと誘惑的な響きだろう。俺の頭の中には既に「津軽海峡冬景色」の咽び泣くようなサックスのイントロが流れていた。俺は、頭の中で鳴り響く石川さゆりの甘く切ない「♪ 上野発の夜行列車おりた時かぁらぁ ♪」と言う歌声に身を任せ岡山駅への道を急いだ。

駅に着くと、まだ発車時間まで大分時間があるようだった。果たして本当に当日切符が買えるのか。駅の窓口を見つけると、俺は誰と競争している訳でもないのにやや小走りで駆け寄った。俺は緊張した面持ちのまま、駅員さんに「サ、サンライズ出雲に乗りたいんですが」と告げた。ガラスの向こうの駅員さんは厳かな表情でスクリーンをにらみ端末を叩いていたが、俺の方を見ると、空席があるといいながら微笑んだ。わざわざ駅に来てみたかいがあったと言うものである。

最終的に無事に東京行き寝台の切符を手に入れることができた俺はガラスの向こうの駅員さんにお辞儀をしながらゆっくり「ありがとうございました」と声を出さずに口を動かした。歌い終わったあとの石川さゆりがやる、あれである。

さて、無事切符を買って落ち着いたところで時計を見ると出発までまだ30分くらいありそうだ。俺は駅で簡単な食事を済ませると、土産に「岡山名産きびだんご」、そして一人旅の友、魅惑のアルコール&つまみ一式セットを買い込むとホームに向かった。

そこには二階建ての立派な列車が停まっていた。切符に書かれた番号を見ながら細い通路を進むと俺の寝台は下の階だった。ドアはやや小さめだが中に入るとちゃんと個室である。列車の窓に沿って細めのベッドがあり、小さい机やコンセントなんかもついている。上等である。正に秘密基地的な感じである。窓の高さは丁度ホームの足元の高さなので、部屋からホームにいる人を見上げる感じである。上等である。

既に辺りは暗くなっており、気が着くと列車は静かに闇の中へと走り出していた。俺はスーツの上着を脱いでベッドに座って見た。俺の直ぐ横にはベッドと同じ長さの窓があり、ベッドからは斜め上に星空が見えるのである。俺と星空だけ。他には何もない。これはもう飲むしかない。

俺はざっとメールのチェックをすると、急いで個室を出て共同のシャワーを浴びるとイソイソと部屋に戻った。電気を消すと、窓から見えるのは遠くを流れる木々の影と星空だけである。暖房のしっかり効いたその部屋で、俺は仕事の終わった開放感につつまれたまま、裸でベッドの上で横になった。そして暗闇の中で片肘をついて駅で仕入れたワインを飲みながら星空を見つめ、その日やっと片付いた面倒な仕事のことを考えていた。いい気分だった。

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しばらくして俺はふと目を覚ました。眠ってしまっていたらしい。俺は一瞬どこにいるのか判らなかったが、目の前の景色が流れているのを見て寝台列車に乗っていたことを思い出した。俺はまだ片肘をついたままの姿勢でいた。ビルマかどこかに金色のお釈迦様が片肘をついて横になっている大きな像があったように思うが、まさにそのポーズである。お釈迦様は服を着ていたと思うが、俺は全裸である。窓の外はもう明るくなっていた。

そこからはあっという間の出来事だった。なんと列車は急にスピードを落として次の駅で停車したのだった。気がつくと、俺の目の前のホームから、橋田壽賀子氏に良く似た女性が俺を見下ろしていた。その女性からすれば、ホームに立っていたら目の前に、片肘ついて横になった裸の釈迦像が滑り込んで来た様な光景だっただろう。

あまりの急な展開で、全裸の釈迦像(=俺)は動くこともできず、そのまま金縛りの状態でいた。壽賀子(仮名)は表情を変えずに俺をじっと見つめているように見えた。しかし、その銀縁眼鏡に朝日が反射してその下の眼が見えないのである。

俺は考えた。「向こうから俺はどう見えているのだろうか。辺りは明るい。もしかしたら、列車の中は見えておらず、壽賀子は窓に写った自分の姿を見ているだけなのではないか。…… それとも俺の裸体は既にロックオンされているのか」

俺はここで体勢を変えたら何かに負けてしまうような気がして、じっとその姿勢を保ったまま壽賀子の眼鏡を見つめ続けたのだった。相変わらず壽賀子の視線は銀縁の眼鏡に隠れて読めないままである。壽賀子も微動だにしない。朝の静寂の中、時間だけが流れて行った。

俺の額から一滴の汗がシーツに落ちた。するとまるでそれを合図にするかのように、ようやく列車は動きだしたのだった。実際には数分の出来事だったのだろうが、釈迦像にとっては時間が止まったかと思う程長い瞬間だったのである。列車が走りだし、時計を見るとまだ午前5時を過ぎたばかりだった。とすると沼津か熱海あたりだったのだろうか。そして今のは一体誰だったのか。列車に乗らなかったということは乗客ではあるまい。ご婦人風の駅員のおじさんだったのだろうか。全ては謎のままである。

俺はぐったり疲れてしまったが、終点の東京駅にまた全裸で滑り込む様なことにならないようにカーテンを閉め、また何があるか判らないので念のため一枚だけ履いて再び眠りについたのだった。朦朧とする俺の頭の中に、「安心して下さい。履いてますよ」とその頃流行っていた芸人のセリフが浮かんで消えた。

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自由に出張できない日が続くと、こんなちょっとした出来事も懐かしく思い出してしまう。なんでもないような事が幸せだったと思うというヤツだ。そして、なぜこんなことを書く気になったかというと、今年2021年4月4日に橋田壽賀子氏が亡くなられたことを知ったからだ。なんと大正14年のお生まれ、享年95歳との事である。ご冥福をお祈りしたい。

しかしその訃報を知った時に橋田寿賀子氏がなんと熱海にお住まいだったと聞いた俺は、そんな訳ないと思いながらも「も、もしかしてアレはご本人だったのでは」などとも思ったりしたのである。

まあ、そんな明け方に大作家の先生が駅に佇む用事もないだろうし今となっては全く調べる術もないのだが、今でもふとした時に朝日の中のあの姿をなんだか懐かしく思い出すのである。


(了)

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