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みちあふれる


私はたぶんひたすらに何かを継続することが一番向いていない。

だから前回のnoteを書いてからかなりの月日が経ってしまった。
スウェーデンもそのころと比べると、だいぶん明るくなってきた。だってタイトルに、曇り空って書いていたから。私の心を象徴するようなタイトルだった。

(といっても昨日なぜかまた雪が積もったが)

前回書いたときは、まだ留学に来て3か月。あまちゃんのブログだった。
まだまだ「何かを得られていない」自分にしっかりお手本のように焦っているとき。

肩書や、何を感じているかより何をしているかが尺度となって測られる環境にいたからこそ、何もない自分がより見えてしまって、絶望して。
休学したあの時期から時間が止まってしまっていたり。
辛い経験が多かった、いろんなトラブルもあった。
でも、そんなときに心をできるだけオープンに、周囲の人にオープンであれるようにした。「助けて」を言ってみた。「もうだめかもしれない」を伝えた。

スウェーデンにいるみんなは私を決して決めつけなかった。
私は、「ダメな人」というレッテルをはられなかった。

「It is just one of the aspects in you and your life. 」

「It is going to be okay, you are okay.」

そうやって、人間としての私を包み込んでくれる人たちに、それを言葉やコミュニケーションで表現してくれる人たちに出会った。


私はスウェーデンが大好きだ。心から好きだ。
ここで学んだことが好き、ここにいる人たちの価値観が好き。
そういう思いが日に日に強くなっていって、いまの自分がいる。



知らない言語を勉強し、だめもとでも使ってみることで、言語だけじゃなくてその土地の人の価値観がみえてくること。

わたしは、だれ一人知らない環境でも、自然と「この人たちにもう一度必ず会いたい、生涯友達でいたい」という人たちに出会えていること。
泣いたり、笑ったり、抱き合ったりしたこと。


自分が口にするものをできる限り一から作る方法を学んだ。それと同時に、自分がいかに口にしているものでできているかを感じること、そして自分にやさしい食事を作ることが自分を労わることなんだということも知ったこと。

自然はみんなのものであり、自然から恵みを享受することは、自分とそして地球に生きる私以外の生物や植物を労わることにもつながるということ。


これらは簡単なようで、毎日スキップして、早道を行こうとして忘れかけていたことを、私は一つ一つ、自分の大切なこころの栄養として取り入れているのだと思う。その栄養は生涯にわたって私を燃やし続けてくれる大事な、酸素みたいなものかもしれない。



スウェーデン語を勉強する中で、私がここで学んだことを集約するような、ことわざが出てきた。

"Att älska, glömma och förlåta är livets tre prövninger"
「愛すること、忘れること、そして許すことは人生の3つの試練である」

誰かから辛い仕打ちを受けることもある。理不尽なこともたくさんある。
そして絶対に許せないような出来事もある。

でも、最終的に自分にいまあるもの、自分に満ち足りているものを大事にすること、そして人生に起こった苦しいことを消化し、許容し、怒りや悲しみ、すべてを手放していく。

それはとても困難なことである。が、それにどう立ち向かうかが私たちに課されている試練なのである、と私は解釈している。

私は、自分がこのことわざに愛されて、許容されて生きていく。
ともに許容され、愛され、そしてお互いの感情を手放していけるようなコミュニティーに身を置けたら幸せだと思う。そして置けたことに感謝している。

わたしは、いま満ち足りている。


日本に帰るのがすごく怖い。むしろ、本当は絶対に帰りたくない。
恐怖で震える、吐き気がする。

でも私が今見ているスウェーデンはきっと、ほんのほんのほんの一部でしかない。きっと私は理不尽を見ていない。難しい状況にいる人たちの苦しみまで見れていない。

私には何もない。
確かに、お金も、財産も、いい家庭環境も、成し遂げたことも何もない。
スウェーデンには二度と来れないかもしれない。

でも、その中で心が満ち溢れている。

いまがとても、いとおしい。









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