私は、何処にいる

私が
私自身の好きなところをあげるとするならば
相も変わらずこの名前だと言うだろう

この名前は、私が何をせずとも無条件にもらえたものなのだから

音だけを聴けば普遍性に溢れているものの
この漢字にこの音をあてられた人は
世界中どこを探しても
私しかいないのではないか
私以外にはいないのではないか
そう頻りに考えているのが私である
そんな空想に耽るだけで
私は特別な存在なのだという錯覚と
何かが心に満ち足りる感覚を
手に取るように感じられるのだ
この手で名前を書いてみても
名前を呼ばれる声を聴いても
なんて素敵な名前なのだろう、と

日常的に「私」である感覚が薄く、
「私」というものに違和感すら覚えることも少なくはない
だからこそ
それは確かに自分のことであるのに
なんて素敵な名前なのだ、などと謙遜や遠慮とは無縁に、賞賛をしているのかもしれない

しかし、自分がこの名前を持っているという
実感が湧く時が、私にも少ないものの存在する
この時だけは、私が私であることに
この上ない幸せを感じるのだ
他者に名前を呼ばれても、
心の中でその音を噛み締め
脳内では嬉々として反芻を繰り返す
自分で名前を書く時も同じである
なんて綺麗な文字列なのだと見とれてしまう
その小さな文字が並ぶ光景を
何度も何度も思い浮かべては幸福感に浸っている

小学校の頃、担任の先生は教えてくれた
「名前は、生まれて初めて貰うプレゼントですよ」

私の名前はそれに相応しい
紛れもなく、最高のプレゼントだ

かくいう私は?

私は、その名前に相応しいのか
この名前の価値に値する人間か?

そんなことを考えても答えは見つからない

この名前はどこにある?
…私にある、そう思いたい

じゃあ「私」はどこにいる?
…この名前に導かれた先とでも言うのか
それとも、この名前の始点に存在しているのか

その名前と「私」は、
今も繋がれているのだろうか____

こうやって、だんだんと途切れていく線の
辿った先で、どんどんと絡み合う糸のように
出口の見えない問いに入っていくことも
私らしいといえば、そうなのかもしれない

いつも複雑に絡んだ線の中で苦しむこともある

でも

もし、
ここにある12の糸が綺麗に解けてしまったら
私はどこにも存在しなくなるのかもしれない

壮大で、手に負えない
恐怖なんてものに飲まれて、
私は辺りを見渡すのだ

いま、私は何処にいる?






#創作大賞2023

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