瑤(yoU)

ASD(自閉スペクトラム症)|2021高認取得→2022.4- 通信制大学|微量の語彙…

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ASD(自閉スペクトラム症)|2021高認取得→2022.4- 通信制大学|微量の語彙からなる稚拙な文章で自分語りや創作をする人

最近の記事

私は、何処にいる

私が 私自身の好きなところをあげるとするならば 相も変わらずこの名前だと言うだろう この名前は、私が何をせずとも無条件にもらえたものなのだから 音だけを聴けば普遍性に溢れているものの この漢字にこの音をあてられた人は 世界中どこを探しても 私しかいないのではないか 私以外にはいないのではないか そう頻りに考えているのが私である そんな空想に耽るだけで 私は特別な存在なのだという錯覚と 何かが心に満ち足りる感覚を 手に取るように感じられるのだ この手で名前を書いてみても 名

    • 「楽しいから笑うんじゃなくて笑うから楽しい」を体現したらうつ病になってた話

      小学校6年生 スーパーで、いつものように母と買い物をしていた そこのスーパーは家の近くのスーパーではなく、100円ショップや本屋、婦人服のお店が複合的に入っているスーパーだった 買い物を終えて、カートを押しながら出口に向かう時、私は感じた 「人生、生まれた瞬間からカウントダウンされている、こんなダラダラ過ごしてる場合じゃない!」 この悟りにも似たような感覚が、11歳の身体に宿ってしまった 私はクソがつくほど真面目だ 思ったらやらなければならない その日から、何事も全力

      • 「言わなくても分かって欲しい」って?

        相手に、自分の気持ちを「言わなくても分かって欲しい」と思う しかし、それは、自分と相手が違う人間であることを踏まえると相当難しい、ないし不可能に近いものであろう そのように頭で分かっているのに、幾度となく思ってしまうのだ この理論破綻したまさに人間の感情たる所以は一体何なのか、考察することにした

        有料
        100
        • 過去

          「終わらない今日とずっと、闘い続けて ここで泣くもんかと、笑っていた でも、その気持ちだってどこにも消えない 消えてなくなることはない 泣くのだって、今日も1人だった」 過去に起きてしまったことは変えられない 今のところ、過去に戻る技術もなければ 戻れたとして自らの手で 自分の未来を変えるほどの元気は これっぽっちも持ち合わせていないのが 私なのだと、毎日の思考の端々に感じている それは、紛れもなく過去のことだけど 過去のこと、なんて話している時点で それが現在も終わって

        私は、何処にいる

          2022.2.9

          2022年2月9日 18歳の誕生日です ここまで生きるとは思っていませんでした 大人にはならない、その前に死のう 13歳から15歳辺りはその考えのみで、もちろん生きるつもりもなかったし、生きてる想像も出来ませんでした 私の人生、自殺で終わるんだろう そんな思いを確信的に持っていました 将来のこと、進路のこと 意気揚々と夢を語る姿はたしかにそこに存在するけれどそんなものは生きていたら、の話 やりたい気持ちもあったけど、フェイクというか、とりあえず話しておく夢のまた夢のような

          幸せ者

          「もし、願いが何でも叶うなら君は何をしたい?」 夢の中、いかにも怪しそうなおじいさんにこんなことを言われた 「願い…?なんでも叶うの?」 「そうさ。なんでも。」 深夜1:00 目が覚めてからずっと考えている "願いが何でも叶うなら"って あんまり考えたことがなかったけど、みんなは何を願うんだろう… 結局あれから一睡もせず、"学校"へ行くことになってしまった でもあんまり寝ないのは毎日のことだから、慣れっこで。 昨日の夜に切った腕の傷がちょっと痛いけど、今は見たくないか

          幸せ者

          「私」

          この大きな水槽のへりを蹴って 飛び込む 今の今まで聞こえていた たくさんの音 ここに飛び込んでしまえば そんなものから引き離してくれる 水を掴み 押し流していく 浮き上がる身体 陸とは違う呼吸 青い視界 水を感じ 身体が解れていく 私だけの世界 「ここの水と私は両想いだ」 なんて____________ 身体が揺られ、乱れる動き 視界に入る人、人、人… あぁ まただ 私は泳ぎたいだけなのに ただ、この中で水を感じていたい 泳ぎたいだけだった そこ

          「私」

          学校

          「学校は嫌いだ。」 僕の名前はショウ。 学校は嫌い、と言うと、 「学校好きな人なんていないよ。」 なんて大人には笑われてしまう。 その度にため息をつきたくなる。 大人たちのその考え、僕は違うと思う。 きっと学校好きな人はいるよ。 スポーツが出来たり、勉強も出来たり、特に、友達も居るような子達は学校に来ても楽しそうにしてる。 僕みたいな人もクラスに何人かは居るよ。何人かは。でも、その少数派の子達も、学校に来なくなっちゃった。 僕はこの"狭い箱"が苦手だ。 こんな箱に34人も