2022.2.9

2022年2月9日
18歳の誕生日です

ここまで生きるとは思っていませんでした
大人にはならない、その前に死のう
13歳から15歳辺りはその考えのみで、もちろん生きるつもりもなかったし、生きてる想像も出来ませんでした
私の人生、自殺で終わるんだろう
そんな思いを確信的に持っていました
将来のこと、進路のこと
意気揚々と夢を語る姿はたしかにそこに存在するけれどそんなものは生きていたら、の話
やりたい気持ちもあったけど、フェイクというか、とりあえず話しておく夢のまた夢のような
私にとったら現実味のないことで、だからこそ話すことは全て希望に満ちていて、これっぽっちの不安もない
そんな夢を置いたまま、死ぬつもりでした

今話している、"将来"
その時に生きているかどうか分からない
それはこの世の人間全員に言えることで、自分でわざわざ死のうと行動を起こさなくても、死ぬということはあり得るのですが、私は死ぬ可能性を自分で上げ、「お前は早く死ね」と呪いのように思い続け、明日、もしかしたら今日、数分後すらもどうなっているか分からない
そんな状態でした

過去のことはあまりよく思い出せません
でもストッパーが外れれば溢れ出す黒くて重たい記憶と、当時の感情があります
いじめ、家の中のこと、心身症や精神疾患など、色々ありました
言葉にすればそれらは簡単に、一言で済んでしまうけれど、今も私の考え方や言動に影響を与えていて、その一言で表すことが出来てしまう出来事の中には、その時私が持つ言葉では、どれだけの言葉を尽くしても伝わらない、どんな言葉を使っても的確には表すことの出来ない苦しさがありました

泣きたくても、苦しくても涙なんか出なくて、ずっと笑ってヘラヘラ、ニヤニヤしている
誰にも伝わらない、このつらさの行き場は無く、毎晩毎晩、自傷をしていました
ほんの少し痛いところから、血が流れ、血と一緒に嫌なことも抜けていく感覚
刃を押し当てて滑らせ続け、ひとしきりすると、何故か安心して眠りにつくことが出来ます
自分で傷の処置をして、ベッドに横になると、切った後の左腕は、ジンジンと、ありえないくらい痛みました

"無理して笑わなくていいよ"
この言葉を言われたことを覚えているのは1回のみですが、その時は
気づいてくれたんだ
という気持ちが1割ある反面、
人に気づかれるような笑顔なんて意味ない
という屈辱的な思いがその他全てを占めていました
笑っている顔が基本装備で、笑わずに過ごすことは何故か出来ないのです
今思えば、気を抜くのが怖い、自分の気持ちを出すのが怖い、という感覚なのでしょうか

"言葉で言って"
周りの大人に何度も言われました
今まで、否定され、抑圧されてきた自分の思いや感情を、言葉にして、相手に伝わるように伝えるというのがどれだけ難しいことか
抑えて、隠して、笑って誤魔化し続けた負の感情は、自分のものなのに、実体のないもやもやとした嫌な感覚として私の中にあるだけです
それがどんな気持ちかすら分からなくなって、伝えようにも伝えられない
なんて、そんなこと相手は分からないのです
それを伝えるにもまた言葉が必要で、伝えるための言葉なんて、そんな初歩的なところを教えてくれる人は誰一人として居ないから

"そんな笑顔で言われても"
やっと言葉にして伝えることが出来たら今度はそう言われました
言葉で言ったのに
だから言葉なんて意味ないじゃない
こんな体も脳みそも要らない、話せなくなればいいのに
そんなことを思うと、怒りと悲しさ、虚しさが混ざり合い、当時にしては珍しく涙が滲んだ記憶があります

"これを見たら一発でつらさが伝わる"
そう思って、1人の部屋で自傷をした記憶もあります
その後、傷を見せた記憶も無ければ、それで周りの人が分かってくれたのか、という記憶も結局のところありません

死ぬという選択肢は、日常の中に当たり前のように存在しました
そこには何の境目も無く、フラットに死に向かう行動を選ぶことが出来てしまいます
首に縄をかけて、頭で血が滞り、熱く、視界は波打ち、音が遠くなる感覚を味わうと
今日はまだいいや
と、気持ちは一旦収まる
でもまた次の日になると同じことをする
そんな生活でした

"周りの影響を100で受ける、良くも悪くも"
ある人に言われた言葉です
それが元々備わっていたものなのか、過ごした環境故に備わってしまったものなのか、今もまだ分かりません
私がここまで落ちたのは、周りの感情や言葉、理不尽さを100%受け止めてしまうということも要素としてあるのかもしれません
そこから感じる怒りを、誰のことも気にせず言っていいなら、"こうなったのも全部周りのせい、かなり人生を狂わされた、ムカつく"です

悔しかったです
精神疾患になったが故に、できないことは増え、夢中になっていたことすら何も楽しくない
精神疾患に完治という概念は無く、もう前の自分には戻れません

今でも、悔しいと思うことはあります
でも、一番落ちていた頃に比べたらだいぶ元気で、楽しい生活です
"落ちたのも人のせい、上がってきたのも人のおかげ"
あまり言いたくないけど、そんなことをよく考えてしまいます

16歳
やっと自分のことを受け入れてくれる居場所が出来た感覚がありました
そこでも私は粗暴行為を繰り返し、たくさん迷惑をかけ続けました
やっと出来た居場所すらも自分で壊していく
そんな感覚が頭のの片隅にありつつも、行動は止められませんでした
やってはいけないことも平気でやってしまう
やればやるほど、自分は遠くに消えていくように、見えなくなっていきました
とにかく怒っていて、怖くて、不安でそれがぐちゃぐちゃに混ざった、混乱状態
抑えることなんて到底出来ないであろう台風のような激しさを持つ重たい、重たい感情でした
ここでは、嬉しいことも楽しいことも、悲しいことも、苦しいことも色々な感情と、色々な人と、たくさん経験しました
それと同時に、"自分の気持ちを伝えても大丈夫"という経験も多く積めたのもこの場所でした

自分の腕を切る自傷行為は、現時点で16歳の6月が最後になっています
だいぶ薄くなった傷跡も、消えて無くなることはなく、凹んだ皮膚を少し触るとビリビリと電気が走るように痛むところも、ずっとこのままなんだろう、とそんなことをぼんやりと考えます

この18歳という節目で、私は変わりたいとも思っていなければ、変わろうと決意をしているわけでもない、というのが正直な気持ちです
ここまでくると、どこに気持ちを持っていくのが正解なのかも分からないのです
決意すらしたくない、とも思ってしまいます

今を生きるしかない

そんな当たり前のようなことを最近やっと実感しています
遠い未来を考えて、終わらない思考を何度繰り返しても、それによって大きな不安と恐怖に呑まれても、結局未来のことは誰にも分かりません
ここまで生きるつもりが無かった中学生が、18歳の誕生日を迎え、それなりに楽しく、少しの社会貢献をして生活している
当時、全く予想できなかった"未来"が実際ここにあるようです
何が起きるか分かりません。
それは、良くも悪くも。
過去のことは今の私の構成要素となっています
過去のこと、という言い方はしていてもそれは一生終わらないのです
楽しかったことも、嬉しかったことも、つらかったことも、苦しかったことも、経験は全て今の私となって生き続けます
それと同じように今を積み重ねていくことで、それは後に私の構成要素となり、考え方も形成されていくかもしれません
今、今、今をこなして、たくさんの経験をしていけば、道が見えてくるかもしれません
今出来ることをやる
これほどまでに未来のためになることはありません

死にたい、と思い続けていた自分をここまで連れてきた責任をとるように、私は"楽しい"という感覚を1番大事にしたい
もう不必要に苦しんだり、傷ついたりしたくないのです
つらいのはもう要りません。笑

生きててよかった
なんて思っていません
そんなドラマチックなことを思う日が来るかも分からないし、来なくてもいいと思っています
楽しければそれで、ね。

これが18歳の私のようです

2022.2.9

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