「楽しいから笑うんじゃなくて笑うから楽しい」を体現したらうつ病になってた話

小学校6年生

スーパーで、いつものように母と買い物をしていた
そこのスーパーは家の近くのスーパーではなく、100円ショップや本屋、婦人服のお店が複合的に入っているスーパーだった
買い物を終えて、カートを押しながら出口に向かう時、私は感じた

「人生、生まれた瞬間からカウントダウンされている、こんなダラダラ過ごしてる場合じゃない!」

この悟りにも似たような感覚が、11歳の身体に宿ってしまった

私はクソがつくほど真面目だ
思ったらやらなければならない
その日から、何事も全力でやってみることにした

小学生の生活基盤なんて、学校生活と習い事くらいだが、それが世界のように感じる
その中の全てに全力を注ぐようになった
そして、その当時、
「つらくても笑えば楽しくなる」
ことに気づく

何もかも全力でやる中で、常に笑うように意識していたら、顔が戻らなくなった
なんの比喩表現でもなく、本当に常に笑った顔になってしまったのだ

自分は笑っていないつもりでも、
学校や、習い事の友達からはこう言われる
「音楽室で怒られた時さぁ、瑤ちゃん笑ってたよね」
「練習の後笑顔になれるくらいならもっと練習まともにやれって、あれ瑤ちゃんのこと言ってるんだよ」

私は、自分の顔が笑顔で固まってしまったことに気づかず、
「笑ってないよ!そういう顔なんだよ、口開いてるから」
とこれまた笑顔で答えていた

小学校生活をギリギリの状態で終え、中学入学と同時に、体調を崩した
毎日毎日、立ちくらみや頭痛、腹痛等々不調があり、朝、学校に歩いていくのもとてもつらい
学校を休みたい、保健室に行きたい
毎日、つらくてそう思っていた

しかし、ここで1つ大きな壁が立ちはだかる

それは「笑顔」だ

私が体にどんだけ不調があろうとも、笑顔であることは変わらなかった
となると、誰も信じてくれないのである
笑顔で、「頭が痛いから保健室に行ってきます」なんて言っても、仮病だと思われて、おしまいだ
担任は、いつも「もう少し我慢できない?」と言い、保健室の先生は"また来た…"という顔をする

その時、私は教室でいじめにあっていた
体調さえ悪くなければこのいじめも耐えられたが、その当時はもう限界だった
それでも、笑っていた
でも、初めて私は「学校が怖い」と感じていた

中学1年生、2学期
私は、学校を何日か休み続けた後に、保健室登校になった
それでも毎日笑っていた
その裏では毎晩自傷行為をしていると言うのに
ご飯も吐きそうになりながら食べているのに
毎日泣きたくなるほど学校がつらいのに
それでも笑っていると、もう誰にも相談なんてできなくなった
そのエネルギーすらも奪われた
死ぬ事が1番ベストだと感じていた

これがうつ病の怖さである

中学校の間は児童精神科に通院し、中学3年生の8月から、病棟のある大きな精神科に転院し、初診日にそのまま入院した
診断名はうつ状態、ASDだ
後にこの診断名が、「うつ病」、ASDになる
高校1年生の時だった
その時は涙が滲むほど、ショックだった
それでも、笑っている顔は変わらなかった


今思えば、中学入学とほぼ同時に起きた体調不良は、うつ病の始まりだったのだと思える
笑顔を目的にしていると、周りからは辛さや苦しみを否定され続け、感情は行方不明になる
そして、否定された感情を言語化するなんてできなくなる
言語化できない感情は、行動として出すしかない上、下手したら自分の中に閉じ込めるしかない
それでも、私は「笑顔」という表情に縛られていた
SNSでよく見る
「楽しいから笑うんじゃなくて、笑うから楽しい」
という言説を見ると、どうにもこうにも、しんどい気持ちになる

笑顔の弊害というか、代償が大きすぎた

私のようなクソ真面目な人は、そういう言説など見ない方が身のためかもしれない

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