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彼の好きなところが分からない

「彼氏さんの、どんなところが好きなんですか?」
と尋ねられて即答できず、あたしはしばし沈黙してしまう。
 
 あたしの彼。一歳年下で、大酒飲みの大食漢で、丸くて可愛い、あたしの彼。あたしが彼を愛していることは、太陽が東から昇ることぐらい普遍的真実なのに、どうしても彼の好きなところを説明できない。
 一体ぜんたい、あたしはどうして彼を好きなのだろう。

 仕事着のスーツ姿も、待ち合わせに絶対遅れない律儀さも、あたしを嬉しそうに愛撫する姿も、ごはんをかきこむ姿も、信じられないぐらい愛おしいけれど、どれもあたしが彼を好きになった理由ではない気がする。
 この気持ちをあえて言語化するなら「意味不明に好き」なのだった。

 困ったものだ、とあたしはしみじみと腕組みをする。好きな理由が分からないということは、煎じ詰めれば、もう彼を嫌いになれないということなのだった。

 好きな理由が明確なら、その理由がなくなったとき、好きであるという感情に終わりが来る。
 たとえば彼の丸い体が好きなら、彼が細身になったとき恋情は冷めるかもしれない。彼の仕事への態度が好きならば、彼が仕事をやめたとき心が離れていくのかもしれない。そして、彼があたしにむける大きな愛が、あたしたちを繋ぎとめる理由ならば、彼の愛が消えたときあたしの愛もまた死滅するはずだ。

 だが、好きな理由がない以上、あたしのこの感情に終わりがくる見込みはない。現に彼は、出会ったころよりも10キロ近くやせた(心配だ)。それに都内での二人暮らしを始めるにあたって、彼は今の仕事をやめるという。

 それらのことは、あたしの心の中で「彼を守る理由」になっただけで、意味不明な愛情をさらに燃え上がらせただけだった。
 万が一、――これは本当に仮定の話であってほしいが――彼があたしに愛想を尽かしたとしても、そのことがあたしの彼への気持ちの歯止めになるようには思えない。(誓って言うが、ストーカーにはならない。二番目の女を甘んじて演じ、虎視眈々と王座奪還の機会をうかがうのだ。)

 誰でも何年かを共に過ごせば、恋心は落ち着くのだという。
 本当だろうかと、近頃あたしは訝しむ。あたしの彼に対する愛情は、まるで無尽蔵のダークマターのように、今日もダブルベッドの上に渦巻いているのだった。

#熟成下書き

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