自分を掘り下げると、意外と深いという話

誰しも、大なり小なり、夢やら希望がある。
もしくは恐怖や不安がある。

モテたいとか
絵が描きたいとか

キモい人にはなりたくないとか
仕事行きたくない
とか。



思っているよりも深くまで掘れる


自分の願望が何故生まれたのか掘り下げていくと
案外、自分ってのは深く深くまで掘っていけるもんなのだな、ということに気がつく

その過程で
『あ、これは思い込み』
とか
『あ、これ、実は要らない』
とか
『あ、これ実際遠回り』
ってことに気がつく


自分を掘り進め、理解する手段

自分を掘り進める手段やツールは、とにかく沢山ある
・コーチング
・カウンセリング
・日記
・会話
・観劇
・占い
・哲学
・心理学
・宗教
エトセトラエトセトラ

何を媒介、媒体にしようと『自分が何を感じるか』というところから掘り下げていけばいい。
便利なものだ。すぐ出来る。
(繰り返しと忍耐力と自分への愛は必要だが)

例えば、何か途轍もなく腹が立つことがあったとして「何故自分はこんなに怒りに苛まれるのか」と考える。
すると、「自分が否定され、侵害される恐怖を感じたからだ」と気がつく。



いざ、掘る

例えばこんな感じで掘り進める

例えば、何かとんでもなく涙腺を刺激する歌に出会ったとする。

「何故、自分はこの歌を聴いて涙が止まらないのか」と考える。

『心配しないで』という歌詞が好きなのだと思う。

ということは、自分は不安だったのか。

何が不安だったのか。

自分のような特別な能力もない人間が、この先無事に生きて幸せになれるのか。先が見えず不安だ。

「待てよ、特別な能力がないと幸せになれないのか?」

自分は、特別な能力がある人間しか幸せになれないと思っているのか?

何故だ?
(いつ、誰に、何を、どんな風に、どれだけ、言われた?強いられた?その時、自分はどう思い、どう対処した?それによって、自分の中にどんな変化があった?)

この繰り返し。それだけ。


感じ、考え、対処し、生きてきた自分を認め、許し、受け入れる。

もし、それが子ども時代の話なら、例えばこんな感じ。

『仕方がなかったのよ。
だってあの時は、子どもだったし、精一杯だったじゃないか。
あの人が言うことは全部正しいとさえ思ってたんだ。
でも、他の選択肢があるのだということも今わかった。
よかった。
私がわたしを掘り下げて、私を見つけてくれてよかった。
ここまで頑張ってきてくれて、ありがとう。』

(ついでに書いておくと、私の場合、自分を何とかここまで到達させてくれた周囲にも、感謝の気持ちが溢れたりする。人それぞれのやり方、到達地点。)


でも正直、掘り進めるのしんどい瞬間もある


途中で掘り下げ方がわからなくなるときもある。
認めたくない事実が浮かび上がることもある。

受け止めようとすると苦しくて涙が出たり、息が詰まったりする。
時には、情けなくて恥ずかしくて仕方なくなったりもする。
悲しさや寂しさが込み上げて、やっぱり世界は(あいつは)クソだ!と自棄になったりする。

そんな時は、掘り下げるのを一旦やめる。
それまでに発掘した全てを並べ、全部抱きしめる。自分の心を労わり、癒し、受け止め、許すことばかりに集中する。
誰だって、疲れ切ったら、動けなくなるものだ。

(大きなトラウマや、辛い過去を持つ人、鬱っ気があるなと思っている人は、焦らないで。焦らなくても、例え体感が亀より遅くても、向き合い続ければ、解けるタイミングが来る。今はなんとかかんとか待てばいい。)


相手のことも掘り下げる

自分の内側の事象をある程度認識し受け止めたら、今度は相手の立場に立ってみる。

・相手は何故あのようなことを言ったのか
(相手も誰かに言われたのでは?)
(相手はどこかで傷付いたのでは?)
(相手こそ被害者意識に苛まれているのでは?)
(相手が何を守ろうとしているのか?)
(何故それを守ることがよきことと認識しているのか?)
(相手にとっては心底正義だったのでは?)
(エトセトラエトセトラ)

そうすると
線を引いた方がいいところと、寄り添った方がいいところがわかってくる。
(勿論相手による。有限の人間が大切に出来るものには限りがあるから、せめて優先順位をつけるのだ。)

相手が思い込んでいる世界観においては、あの言葉は自分を守るための防具だったのだな
とか
相手が囚われている価値基準も、誰かが囚われた価値基準の延長であって、あの人が全部悪いわけじゃないよな
とか
じゃあ被害者を産む流れは、私のところで堰き止めよう。
とか

自分が思っているよりも、人って必死で、可愛くて、優しいものなんだな。
と思えたりする。

ここでそう思えた分だけ、私は確実に幸運だな。
とか。


思うことは、言葉は、なんでもいいのだけれどね。
あなたの正解があるから。

兎に角、自分も相手も、人間も、それを取り巻く構造や歴史、時代や、星回りまでも、全部を『理由があってそうだったのだな』となんとなく理解した気になってみる。そうしたら受け入れてみる。
誰かが悪意をもって行ったことではないのだと、冷静に判断してみる。

相手は相手、自分は自分。
相手の認識は相手の認識。
自分の認識は、ちゃんとこの手の中にある。さっき掘り出した。わかっているから、大丈夫。
ってなれたら、その時には結構楽そうじゃない?


線の引き方(一例)

相手の人生は相手の戦い
自分の人生は自分の戦い

誰もが流れ矢を制御できず、部外者同士で傷付けあっている。
それは例え親子でも。

流れ矢を跳ね返すのは悪いことじゃない。酷いことでもない。
むしろ、それは相手の問題を相手にちゃんと返すこと。
相手は自分と同じように、それを乗り越えられるだけの能力を生まれ持った人間であると、敬意をもって対処することに他ならない。

自分の戦いは、自分の内(フィールド)で、自分を信じて行えばよい。

部外者を攻撃したところで敵を増やすだけである。
ただでさえ、自分との統一(統合)のための、人生をかけた戦いであるというのに。

部外者に、良い作戦の参考文献や、助言をもらえることはある。
もし相手が直接攻撃してきたとしても、それは相手が自分の戦いに集中できていない証だ。
それは自分の戦いを中断させ、外部に向けて矢を放つ理由にはならない。
戦いの目的が変わってしまうからだ。

他者への自己顕示は、自分の内側の戦いをある程度おさめてからの方が、スムーズに進む。
外部への侵略から始めても、結局基盤の脆弱な部族が腕力だけで他部族を制圧したところで、最終的に政治は成り行かず崩壊する。

何事も順序がある。

その順序を踏まえて進めた方が、結果的に、自分も味方も、誰しも世界も、楽なのだ。



順序、効率、見栄えだけではなく、自分が本当に望んでいることを行うため

何のためにこれだけあらゆる価値観の人間が溢れかえっているのか。
あらゆる楽しみがこの世にあると証明するためだ。

それは『これが望みである』と、できる限り根元のところまで遡り、純度の高い認識ができた者だけに与えられる可能性だ。
その可能性を与えられるのは栄誉だ。そして幸運だ。
少なくとも私は、それ以上の幸運はないと思う。
自分として生まれ落ちた意味、そのものなのだから。

他者が楽しいと言うことに同調できなくても構わない。
あなたはあなたの楽しみを見つければ良い。

何故根元に遡るのが大事なのかというと、それは『手段が増える』からだ。
自分を満たすのはプロの声優になることだけだ、とか
自分を満たすのは世間的にレベルの高い配偶者を得ることだけだ、とか
自分を満たすのは、揺るがない安定だけだ、とか
そういう思い込みから解き放たれる。

自分は車を作るしかないと思っていたとする。
でも根元まで遡ると、ただ単に『鉄の凄さを感じていたい』だけかもしれない。

変な例えですまんな。

でも、そのくらい突拍子もなくて、笑っちゃうほどピュアで、感覚的なものが潜んでいたりする。

そのピュアで感覚的で脱力するほどシンプルなものが重要ならば、別に、砂場に入って磁石で砂鉄を集めているだけで充分かもしれない。
変な例えですまんな。

すごいと思われなきゃいけないとか
認められなきゃならないとか
生きていかなきゃならないとか

何故そう思う?ってのを掘り下げると、自分っていうものは思っていた以上に「経験によってできている」と気がつく。

じゃあその経験ってのは、本当に全てが何の偏りもない、何が起きても決して変わらない、圧倒的で絶対的な宇宙の真理だったのか?本当に?


もし少しでも「そうじゃないかもしれない」と思えるなら、きっと、あなたには、もっと自由で楽で幸せになる道が用意されてるってことだ。


その道をうっすら見つけたらこっちのもの。
スムーズにその道に進んでいくための準備が整っている。
気持ちも表情もスッキリするから、周りからしても、さらに素敵な人になっている。
そりゃあ、ね、過去からは想像つかないほど上手くいく!

せっかくあなたに生まれたその人生、あなたが楽しんであげるしかないのだよ。

こんな長い記事を最後まで読んでくれた人たちに、幸せの可能性がどんどん見えてきますように。
選択肢が増えていきますように。
それは、思っていたより全然楽で、ただただ嬉しいことなのだと、
面白おかしく素敵なことだと、感じられる日を楽しみに。




追記

I.何が目的なのか


勘違いして欲しくないのは『これらは自分を正し、修正するためのものではい』ということだ。
自分が本当に求めているものの方向へ自分を連れていってあげるために
経験に埋もれて溺れている自分を掬い上げられる隙間を探し、手を伸ばす。そのためのものだ。
部屋の掃除と同じ。経験と心の掃除。


Ⅱ.正解はない


ここに書いたのは私自身のことを"例"として挙げたもの。
あなたにはあなたの正解。
誰かがやっていて正解に見えるものを追うのではなく、あなた自身の中にある正解を見つけて、救い出してあげてください。


Ⅲ.私の場合、どんなだったか

まとめました。お暇な時によろしければ。一つの事例として、参考までに。


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