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第13回「です・ます調と、だ・である調」

「文章の書き方」編集&ライティング歴40年ほどのフリーライター。120冊以上の書籍化でライティングを担当。このnoteでは、誰でも文章が上手になるコツを伝えようと思います。特に順序立てて書くわけではありませんので、どの回から読んでいただいてもかまいません。また何回のコーナーになるかも決めておりませんので。暇な時に拾い読みして、参考になる部分だけを実践してみてください。


基本の「だ」、丁寧な「です」


 文末の書き方として、いわゆる「です・ます」で終わる書き方と「だ・である」で終わる書き方があります。どちらも書き手の断定を表現する文体ですが、「です」というのは「だ」の丁寧な言い方なのです。

印象の違い

 「私はこのように思うのだ」。これを丁寧に言うと「私はこのように思うのです」となります。
確かに「だ」や「である」で終わる文章を読むと、何となく偉そうな感じを受けるものです。そういう意味でも、今使われているほとんどの文章は「です・ます」調で表記されていると思います。

 学術論文などでは、未だに「である」などという表現を見かけますが、この表現は古めかしい感じがするでしょう。もちろん「だ」や「である」で終わる文章が良くないということではありません。書き手の好みもありますから、どちらの書き方をしてもかまわないと思います。


文末のリズム

リズム=文末の統一ではない

 どちらの分末表現を使うかよりも、大事なことがあります。
それは、同じ文末の表現がやたらと続かないようにすることです。

 たとえば、「私は昨日、渋谷に行きました」「渋谷では高校時代の友人と会いました」「そして友人と一緒に御昼ごはんを食べました」。このような文章があったとします。
この三行を読むと、文章の終わりが一緒になっています。「行きました」「会いました」「食べました」と。「ました」が三つも続くと、何だか小学生の作文のようになってしまいます。

「です・ます」調の文章を書くとしても、すべての文末を「です・ます」で統一する必要はありません。反対に頑なに統一しようとすれば、返って読みづらい文章になってしまいます。

 こういう時には、この三つのセンテンスのうち、どれかを少し違う表現にすることです。「私は昨日、渋谷に行きました」「渋谷では、高校時代の友人と会った」「そして友人と一緒に御昼ごはんを食べたのです」。このように三つの文末を少しずつ変えることで、全体的な流れができます。


終わりにクセあり

 文末の書き方には、人それぞれに癖があるものです。書きだしの癖はあまりありませんが、不思議と文末には癖があったりします。どうしてそんな癖がつくのかはわかりませんが、何となく人それぞれに心地よい表現というものがあるのでしょう。
誰かと喋っているときにも、人それぞれの話し方の癖があります。それと同じように、文章を書くときにも癖はあるものです。

 わざわざ自分の文章の癖を直す必要はありません。その癖が個性になることもあるからです。
ただし、自分は良いと感じていても、読み手にとっては読みづらいということもあります。あまり自分の癖に固執することなく、あくまでも読み手が自然に感じるような書き方を心がけてください。

翌日の自分に添削してもらう

 まずは、自分の文章の癖を知っておくことです。自分が書いた文章をしっかりと読み返すこと。
それもできれば、書いた文章を一日寝かせて、翌日に読んでみてください。書いた直後というのは、やはり自分の文章に満足しています。書きたいことを書いたのですから、満足して当たり前です。「何と良い文章なのだろう」と自画自賛する人が多いものです。

 ところが一日経って改めて読み返すと、自分で書いた文章にも関わらず、欠点がみえてきたりします。一日文章を寝かすことで、客観的な目で読むことができるからです。
その客観的な目で読むことで、自身の文章の癖が浮き立ってきます。自分で書いたにもかかわらず、何となく読みづらい個所に気づくことがあるのです。
そこで改めて文章を修正していく。文末のリズムも含めて、さらに読みやすい文章に書きなおしていく。この作業を繰り返すことで、独りよがりの文章から抜け出すことができるのです。


 もう一度文末について言うと、たとえば800字くらいの文章を書いてみてください。そして書き終えた後で、すべてのセンテンスの文末に赤線を引いてみてください。
同じ表現が続いてないか。しかも統一感があるか。読んでいて自然な流れになっているか。それをチェックするだけで、あなたの文章は一つステージ・アップします。

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